やあ、こんにちは。いや、こんばんは、が正しいか。今夜は良い満ち月ですね。
『何故、気づいた』
うん? ここ最近ずっと私の後をついて来てくれていたでしょう? そりゃあ気づきますとも。いくら貴方が気配を消すのに長けていても、巨体の這い跡は隠せないし、音だってします。私は結構耳が良いのですよ。 御礼申し上げる、「森の神」よ。貴方のお陰で、獣に追いかけられることが随分と減りました。私もこの森を住処とし始めたのに、随分とご挨拶が遅れて申し訳なかった。
『構わぬ、鱗持たぬ者よ』
ふふ、では改めて。私は薬師。この豊かな森で草を摘ませてもらい、薬を精製し、人の病を癒す者。人は、森の賢者と呼ぶが、そんな大層なものではなく。ただ病と薬について知っていることが、徒人よりも少し多いだけの人間。父から継いだこの呼び名に相応しい賢人になるべく日々精進を……。
『……子供らしからぬ物言いをするな、吾には不要である』
子供……はは、私ってそんなに幼く見えるのか。もう十七なんだけどな。 こども、馬鹿な子供だと舐められてつけ入れられるから……ああいう口調になっちゃうのは宮廷に仕えてた頃の癖のような物かな……。
『何故、こんな夜更けに森を歩いている』
心配してくれるの? 優しいなぁ。 今日は妹の結婚式だった。ここから大分先の、小さな村で。式は華やかで、妹も笑っていて、新郎は裕福ではないけれど誠実な良い男で、きっと妹を幸せにしてくれる人で。妹は温かい家庭を築くだろう。新郎新婦も、祝福する人も、皆笑っていて幸せそうだった、月並みだけど、幸せ、以外の言葉がいらないくらい、皆。 私はそこから逃げ出してきた。怖くて。どうして怖いかもわからないまま。 私はあの幸せの風景の外にいるような気がして、私自身がそう望んだのに、何だか、苦しい。どうしようもなく。これからどうやって生きていけばいいか、分からない。
『…………』
苦しい。妹を愛していることが。 苦しい。妹から両親を奪ったのが自分であることが。 苦しい。両親が私のせいで、私を庇って殺されたことが。 いっそ、全てを忘れてしまえれば、全て最初から無かったものとできるなら。 自由に生きられるのだろうか。
『……なら、全て忘れさせてやる』
忘れ、させる? 異形の男の顔がすぐ目の前にあった。
『真っ新になったぬしを傷つける全てから、守ってやる。幸せにするとは口が裂けても言えぬ、ああ言えぬとも。けれどぬしが傷つかぬ、不自由ない暮らしを約束する』
あれ、そもそも私はなんで、あんなことをあなたに、今まで誰にも言ったことがなかった、のに。口が勝手に。甘い匂いがする。苦しい。苦しい。苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい、いっそ死んでしまいたい。消して。
『好きだ……好きだ、好きだ、好きだ……泣かないでほしい、けれどこれはきっと建前で、吾は…………』
口が押し付けられた。頬が濡れている。そうか、私は泣いているのか。泣いているのは私なのに、ねえ。ねえ、何で。何であなたがそんな辛そうな目をしてるの。 唇を割り開いて舌が入ってくる。二又に分かれた先端が湿った何かを乗せて口腔に擦り付けるように動く、毒、毒だ、いや、薬? 頭がおかしく。なる。
『最後にぬしの名を教えて欲しい、呼べるのは吾一人になる、名前を』
なまえ? 私、俺の、名前はレム、レム・ゴウセル――――。
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