花が咲いた、と俺を拾った蛇は言った。赤い花が風に揺れている。

「一目でぬしに恋をした。つがいにせねばならぬと思った。故に、花が咲いた」

 蛇は男だった。美丈夫と呼んでも遜色ない顔立ちと筋肉質な上半身を覆う皮膚は細かい傷が数多走る褐色で、形状は人間によく似ている。けれど、取り出したばかりの心臓のようにぬらぬらと輝く赤い瞳の、白目であるべき部分は塗りつぶされたように真っ黒で、そして何より男のへその当たりから続く長く太い白蛇の身体が、彼が人ではないということを視覚から訴えてくるのだ。
 祭りで舞う乙女のように白い長髪に編みこまれた赤い花々、瞳と同じ色をしたそれを一本手折り、男は差し出す。

「記憶を失くして困っていると言ったな、鱗持たぬ女よ。やはり、吾の棲家に来るが良い。吾のつがいとなって子を成すのが良い。そうすれば、吾の力の全てで以て、不自由ない暮らしを約束するとも。だからどうかこの花を」

 受け取ってはもらえぬだろうか、そうなぞる唇から覗いた舌もまた酷く赤く、二又に裂けていた。彼の白い尾が持ち上がり、一度地面を打つ。

「えっと……」

 確かに頭の中身は真っ白だ。蛇の男の整った顔を眺めながら、朝起きてからそうするように、再び記憶を手繰ってみるが、やはり何も出てこない。
 何も思い出せなかった。名前も。己が何者かも。今までどのように生きてきたかも。ただヒトとして生きていくうえでの常識的規範だけが体の中にぽつんと残されているだけだ。いやしかし。

「記憶をなくしてても、分かることくらいあるんだけど……」

 つまり、その、な。怪訝そうな顔をした蛇に見つめられながら、そっと自分の胸に手のひらを当ててみる。喉の中腹に指を這わせてみる。うむ。

「……俺も男なんだ、ごめん」

 褐色の手のひらからぽとりと音を立て、赤い花が落ちる。男は、口をあけて、固まった。




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