レイン・ミーツ・サンライト
恋が愛に変わった瞬間

偶然なんかじゃなかった。
以前と比べて減ったものの、保健室への通院回数が異様に多い緑谷君に林間学校前に買い物に行くのだという話を聞いた。苦笑いをしながら、轟くんとかっちゃんは行かないみたいだけど。とも付け足された言葉を信じ、まさか自分がストーカー一歩手前の行為に及ぶとは思っていなかったけれど結果的に会えて向こうも偶然だと思ってくれているから結果オーライ、ということにしよう。
ずる賢い自分に後ろめたさを感じながら、“偶然”を信じているらしい彼の隣に腰を下ろして。そして。

――みょうじ、お前が好きなんだ。

つい数秒前に受けたばかりの告白を回想する。
答えは二択だったが、それは悩むまでもない。
だが、答えに……答え方に困った私は何も言わずに目を丸くしたままで硬直状態にあった。
はい、と頷けばいいのだろうか。だけど探せばもっとまともな答え方があるんじゃないだろうか。思考に思考を重ねて答えあぐねていると、視線を落とした轟君が口を開く。

「……忘れてくれ」

場の空気が悪い方向へ流れ始めていることを肌で感じ取った。

「な、なんで?」
「何でって……付き合ってる奴、いるだろ」

どうやら私は、彼に何か盛大な勘違いをさせてしまっているらしい。
どうすればいいかわからない口と頭で、精一杯の否定を紡ぐ。

「いないよ?」
「うちのクラスの緑谷、別れたのか?」
「別れる以前に緑谷君とは付き合ってないし違うけど。それに緑谷君、私より麗日さん――だっけ?――との方が仲良いように見えるよ」

瞬間。はぁー……と大雑把に息を吐き出す轟君は、それまでのクールな印象もあって何だか新鮮だ。
轟君は困ったように頭を掻いて、綺麗に分かれていた白と赤を乱し。ちらりと向けられた視線に心臓が跳ね上がる。

「……本気で焦った」
「色々、ごめんね」
「でもみょうじは俺じゃだめなんだろ?」

どうやら問題は全て片付いた、というわけではないらしい。
ごめん、と言おうとして開きかけた口をまた閉じる。ここで謝ってしまったら、立派な失恋シーンの出来上がりである。
じゃあなんて。この感情をなんて伝えればいいのだろう。見失った言葉を取り戻すようにふらふら視線を彷徨わせて口籠ると、心なしか轟君の横顔が悲しい表情になった気がした。
あぁ、多分この沈黙が彼の不安を掻き立ててしまっているんだ。悟ったときにはもう遅い。

「……困らせるようなこと言って悪かった」

彼は別れの挨拶にはあっさりし過ぎた一言だけを置いて、私の隣を立ってしまっていた。
だめだ、止めないと。考えるまでもなく、本能的に手を伸ばしていた。

「ま、待って!」

咄嗟に掴んだ左手は、この時期には可哀相とすら思えるほどに暖かい。

「ごめんなさい!」
「それはもういいから、みょうじ」
「そうじゃなくって! 私、好きなんだよ!」

また妙な勘違いをされてはいけない、と思い、足りない言葉を付け加える。

「私も轟君が好きなんだよ!」

もっと気の利いた素敵な台詞を探してからにするべきだったのかもしれない。少女漫画のようなかわいらしいムードの時を選んで告げるべきだったのかもしれない。抱えるには大きすぎる想いに反して感情の絞り口は狭すぎるのだ。だけど。それでも。
焦りと勢いに乗せられて飛び出した本音は、思いのほかすんなりと滑り落ちた。

「…………」

訪れたのは、沈黙だった。
多分、今の私の一言が彼の中の何かをぶち壊してしまったのだろう。振られて、失恋から立ち直る方法を探し始めている状態で全部を覆されては、誰だって豆鉄砲を食らったような顔をする、と思う。
一秒が経つ。轟君はそこから表情を変えない。
五秒経って、瞬きをする。
そして十秒経過後。はぁー、と本日何度目かのため息をついて。ぽふ、と頭にひんやりとした手が乗った。顔を上げて彼を見る。

「……初めからそう言えよ」

私の大好きな笑顔を浮かべて、少し力が抜けたように笑う姿はどこか幼い。じんわりと、心が温まっていく。

***

どこに、いるのだろう。
ヒーロー科、サポート科、普通科、それから経営科。見渡す限り、雄英高校の制服を纏った生徒達でごったがえしている食堂全体をトレー片手に見渡しながら、みょうじなまえは呟いた。がしかし、なまえの小さな声はなんて事はない日常の喧騒が掻き消し、自分の耳朶にすら触れることはなく。
様々な“個性”の持ち主で溢れかえるこのご時世、特徴的な容姿を持って生まれる人間などそう珍しくはないが、目に飛びつくような白と赤に分かれた髪色は人混みの中では際立って見えた。
いた、と。やはり自分でも聞こえない声に変わりないが、零してみる。
轟焦凍を発見した途端、無意識ながら早まる足でなまえは迷いなく進んで行く。

「お待たせ」

かたんとトレーを置く音となまえの声に、それまで蕎麦を啜っていた轟も気づいて顔を上げた。偶然空いていたのか、それとも彼が取っておいてくれたのか。空席だった轟の向かい側に座る。

「授業長引いたのか?」
「あ、いや、ちょっとぼーっとしてたら板書し損ねて……」

あはは、と苦笑してみると左右で色の違う両眼が湛える光をいくらか柔和なものに変えた気がした。なんとなく安心して、いただきますも早々に漬物に手を伸ばす。

沢庵のしょっぱい味付けを新たに白米を投入することで薄く調節して味を噛み締める。
偶然と偶然と偶然を装った故意により、相手の名前を知って友達以上の関係を持つまでに至ったが、元々それらしい接点などなかった二人だ。交際を始めた現在とて、互いに意識して時間を調節しなければ関わり合うことなどほとんどない。無駄に広い敷地内、合同授業か強制参加の行事でもあれば別なのだろうが、必然的に顔を合わせられる時間と場所は昼食時の学食に限られてしまうわけで。それでもできるだけ時間を割いて一緒にいたいと願う気持ちは同じなようで、唯一の――といっても過言ではない――貴重な時間を過ごすことが暗黙の了解となり、轟の隣、あるいは向かい側の席はなまえの定位置となりつつあった。
彼女の特権、なんて誇れるほどのものではないけれど、彼の特別であれることはやはり嬉しい。ささやかな幸せを実感して、浸りながら轟を見遣る。目に留まった、女の自分よりも長い睫毛を恨めしげに見つめながら、おかずを食す。

「……あ」
「どうした?」
「傷、増えてるね」

自分の右頬を指先でトントンとつついてみる。
やはりこの国の未来を担うヒーロー科の授業内容はなまえが属する経営科とは比べものにならないほどハードなのかもしれない。そう思った。だが。

「これはさっき壁にぶつけた時のだと思う」
「そうなの……」

意外とドジなんですね。
知れば知るほどなまえの中で“クールでイケメンな轟君”のイメージが崩れていく気がする。

「下げないの?」

よくよく見れば、轟の器は既に空だ。

「待ってる」
「ごめん。すぐ食べちゃうね」
「いや、まだ時間あっから……」

ゆっくりでいい、ということなのだろう。時計をちらと横目で伺う姿から察する。
言葉に甘えていつものペースでゆっくりと箸を進めていると、不意に轟が口火を切った。

「放課後、用事あるか?」

味噌汁を含んだままの口だったので、ふるふると首を振る。

「途中まで一緒に帰れねぇかと思ったんだが」
「……っうん。平気!」

一気に飲み込んでの返答に、喜び過ぎだろ、と彼は薄く笑うけど、約束がひとつ増えた。それだけでもなまえは心が温まる気がする。その証拠に、机の下では左拳をきつく握りしめていた。

2016/10/09 書き上がり
2016/12/12 修正

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