レイン・ミーツ・サンライト
09

『行ってたまるか、かったりィ』
『休日は見舞いだ』

そう買い物の誘いを断った、自分と爆豪を除くA組生徒は今頃ショッピングモールだろうか。
病院に背を向けて、ふとそんなことを考える。
全身の水分を引き抜かれそうな猛暑日。空調の一定に保たれた建物内を出て数分と経たないうちに滲み出た汗の感覚が気持ち悪い。右半身で一定体温を保ちながらの帰宅となった。
じりじりと照り付ける太陽と、その日光に焼かれるアスファルトに挟まれて、微力ながら冷気を放出できる分には他の通行人よりは恵まれている。上着を片腕に汗を拭いながら日陰を選んで歩くサラリーマンを見て、自分の幸運を噛み締めた。
暑い、暑い。みんみんと騒音宜しく喚くばかりの蝉の声。近くの民家から微かに聴こえる風鈴の音。温まり過ぎたコンクリート道路も、気持ち悪く肌を滑る汗も。季節を実感させるそれらの要素すべてが熱となって纏わりつく。
冷気も放った直後は心地の良い涼やかさを与えてくれるが、突き刺すような日差しの下では冷やした側からただの生ぬるい水や雫に変わり、皮膚に落ちては汗と混じってこの上ない不快感ばかりを植え付ける。これなら、何もしない方がまだましだ。
ため息を付く気力すら削がれ、注がれる熱を浴びる景色に目を向けた時。
ふ、と。陽炎の向こうに良く知る少女の影が揺れた気がした。
いや、それは気のせいでも、もちろん勝手な幻覚などでもない。みょうじなまえ、紛れもなく彼女自身。確信を持つのだけは早かった。
声をかけようとして、一瞬躊躇う。
愛情の裏に芽吹かせた黒い嫉妬を隠そうともしない自分が彼女の隣に立つことは許されないような気がしたのだ。
くるりと背を向けてしまえばそれまでだ。礼儀正しい彼女だ、視線が交われば会釈くらいしてくれるだろうが、それすらもやってはいけないような気がして。それでもせかせかと夏の道を歩む少女を完全に視界から外してしまうのは惜しい気がした。なんせ想い人、なのだから。
結局視線を外すことはできず、だが通りすがるだけから挨拶、会話へ発展しないように赤の他人を装って。感覚は暑さを忘れ、静けさと陽の温かさの中にひとり取り残されたような気分でいたが。

「――轟君?」

世界一無駄とも言い切れる俺の努力は虚しく、あっさりと、さも当然のように彼女は俺を見つけ出す。
途端、全身を苦しめる暑さと、より一層引き立てるような真夏の騒音が戻ってきた。

「よく会うね」

高い遭遇頻度に慣らされてしまっては、もう通常通りには戻れない。そんな風に狂わされたのは自分だけなのだと、相手の口から告げられたような気分だ。
何も言わない俺を見兼ねてなのか、みょうじが首を傾げる。

「大丈夫? 体調悪い?」
「……いや、そうじゃない」
「35度とか超えたらしいし、日陰に移動した方がいいかもしれないね」
「個性で体温調節利くから平気だ」

今にも木陰のベンチに踏み出しそうなみょうじを止めるが、無謀だったらしい。

「じゃあ私が暑いから少し涼もう」

それならいいでしょ? と笑う彼女を突き放せないのは自分の弱みだ。あえてなんの、とは考えないでおくが。
私が暑い、というのも本当だろうが、俺一人を座らせて自分は飲み物を買いに走ってしまうあたり、底を知らないお人好しで、何より惹かれた理由なのだと改めて認識した。
生ぬるいような熱を運ぶだけの風に頭上の葉が音を立てて揺れ、数枚の木の葉をひらひら落とす。木漏れ日がその形を変える度、光と影の入り乱れる地面模様は流れる水面のように移り変わる。
ぱたぱた、足音が地面を叩くようにして近づいてくるのを聞き、視線を上げた。

「緑茶とウーロン茶、どっちがいい?」

ペットボトルを二つ突き出し、尋ねる少女を愛らしいとは思ったが、それにしたって選択範囲が狭すぎる。

「みょうじは?」
「私はウーロン茶がいい」
「なら緑茶」
「え、いいよ。好きな方選んで」
「買ってきたのお前だろ」
「そうだけど……」

その手の中から緑茶のボトルを抜き取れば、諦めたようにみょうじは隣に腰を下ろした。
視界に踊る金の光の粒が真横の彼女の横顔を彩るようで、柄にもなくぎゅっと強く心臓を掴まれたような気分になる。そんな恋する乙女が思い浮かべるようなものとは、至極無縁な高校生活だろうと信じて疑いもしなかったのに。
喉を潤す緑茶を飲み下すが、そんな誤魔化しも最早自分にすら通じない。
抱き始めて、自覚して、日に日に膨れ上がっていく感情に蓋をするのはもうやめよう。
みょうじに、伝えたいことがある。
ここまで大きくしておいて今さら無視などできるはずがないのだ。

「みょうじ、」

たった数文字の名前を、そこから続く言葉を、丁寧に紡いでいく。

「――お前が好きなんだ」

2016/09/02 書き上がり
2016/12/08 修正

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