短編

報酬は苺だけで充分よ


用具箱からおでましの箒から香る、古びたメルヘンチックはさながら魔女御用達のそれのような。母校はモップとブラシタイプのものだったから描いたような定番が何だか新鮮だ。
放課後の教室に生徒を縛って、挙句埃を被せる嫌な当番。だけれど捻くれてひん曲がりに曲がったような汚い事さえ思わせて貰えず終わるのは、帰り際に律儀にもエールを残してくれる委員長のあまりに綺麗な勤勉さがあるからだ。「みんなが明日も気持ちよく勉学に励むことが出来るよう……頼んだぞ」なんて、王座を託すみたいに。そんなに映画みたいに日常を駆け抜けないで欲しい、こちらも笑いをこらえるので必死なんだから。
束ねた繊維の先っちょが床をふらりさらりと撫ぜ、積もる塵も積もらぬうちに絡め取って、攫ってしまう。

「もういいんじゃねえか」
「そうだね。じゃあ私ごみ行ってくる。みんな先に帰ってていいよ」

委員長の煽てで出来た正義感を引きずって、自らごみ屑籠の中身の処分を買って出た私に続き、極自然に同藩の彼は、

「じゃあ行くか」

すっ、と。可燃とプラスチックの籠を同時に持ち上げようとした私に先んじて、前者の方を奪ってしまった――轟は。

「う、うん」

私が持ち上げたごみ箱はまばらな大きさのペットボトル数本が放り込まれた程度で、余りに軽い。一日に何人かが自動販売機の世話になるかならないかで、早々一杯にはならないのだから当然だけど。
ひとつ階段を降りて、涼やかな紳士性が周囲を惑わす所以だなんて考えて。二段目を踏んで、でも近頃の様子を目で追うに狙った素振りはまるでない。涼風の横顔、けれどぽわぽわ陽溜まりの子どもが散るように。意図した振る舞いでも心臓は早鐘を打ち鳴らすのに、もしもそうではないのなら血潮が騒がずにはいられない。そんな風に、三段目、四段目。
戻れば、すっからかんの座席達。茜色をした伽藍洞の中、ぽつり、と仕舞い忘れと思わしき箒が一本壁に立て掛けられていた。それを焦点に認めると、もぞり、と胸中で幼気な欲望の種が蠢いて、発芽する。
収納ついでのほんの少しの魔女ごっこ、それくらいは許されるんじゃないか。轟も今にも教室を後にしようとしている様子だし、私には背を向けていて振り返る素振りも見せないし。少しだけ。少し跨いで、ぴょん、と一歩か二歩分跳ねてみるだけだ。
そろり、と。宅急便のお姉さんになる未来設計は無いけれど。
小学時代のおしゃまな私は恥ずかしくって出来た試しがない。机の中に忘れ物を見つけて、不安が昇華して、スキップをしたくなる気分によく似ている。楽しい、とかではなく。なんだろうな、言い表せるものじゃないな。ぴょん、と飛び立つ真似で、宙低くに躍り出たその瞬間。

「先行ってるぞ、みょうじ。……お?」
「あ……っ。え、いや……えーと」

あっという間に――まさに「あっ」と口にするあいだに。
魔女見習い、落下。
そうだこの男子、存外律儀だからドアをくぐる直前で態々足も止めてくれるし、挨拶も残してくれようとするんだ。

「だ、だめだったかなぁ」
「いや、いいと思うぞ。迷惑にもなることじゃねぇし。戻し忘れたやつも悪いだろ」

頭を掻く私に、轟は下手というより不慣れそうなフォローをくれる。
そんな彼は、開いたバリアフリードアの手前で立ち止まったまま。柔らかな輪郭線の顎に拳を当て、ほんの数秒探偵のような考える素振りを見せた後。

「……お前そういうところあるだろ、だから、多分」

多分、とそこで打ち止められる。何を紡ぐはずだったのだろう、と想像を馳せるけれど当然無意義でしかなくて。傾げていた首は正位置に戻しても、疑問符はひとつも消化されない。
ここでわざわざ遊離する理由も無く、寮までのごくみじかな帰路を共にする運びとなって。掃除当番と同じような距離感をボーダーラインか何かのように保ちつつ、守りつつ。不揃いなリズムの靴音を奏でる。
下校とも言えない道のりと時間を通れば、あっという間に真新しいビルディングは眼前だ。
ハイツアライアンスの窓から漏れる同級生の灯りも、季節の高い日差しと混じり合って私の足元までは届かない。

「なぁ、みょうじ」

扉に手を添える直前の厳かで凪いだコール。

「お前が好きだ」

まさしく奇襲に他ならない、それは。静かな、ともすれば呼び止めた先の声量よりも微かなものだったかもしれない。

「それだけだ――それだけ伝えようと思った。引き留めて悪りぃ」

一方的に壊されたのはボーダーラインでもパーソナルスペースでもなく、なら一体どんな障壁だ。瓦解したところから互いの本心が顔を出して、自分の胸の内も自分からまで丸見えで、心の奥底の音色と対峙させられて、けれどもう破壊主は優雅に踵を翻してしまっていて。
奇声をあげたい、どうしようもない!


箸から米粒は取りこぼすし、おかずは挟み上げ損ねるし、お風呂の湯の温度を先に確かめもせずに総身を浸してしまって火傷一歩手前の地獄の釜を味わう羽目になるし、自室の床に落っこちていた鉛筆を踏みつけて足の裏を軽負傷してしまうし、網戸も降ろさずに開け放していた窓からは大きめの虫が迷い込んできてひとり大惨事になるし……エトセトラ、エトセトラ。
ぼんやりと焦点は虚ろで、意識はそこかしこの宙に散乱で、注意力は欠如。
それも、これも、どれも、あれも、全部。全部だ。全部である。こんなにまで私を惑わせ、狂わせている要因は。
こそり、と耳打ちをして、リビングスペースから自室へ引っ込もうとしていた、件の男子を廊下で捕獲して。さっきのって……? と問ってみても。

「そのまんまだ」

って、答え位言わせてくれてもいいのに、普通に。

「普通、はそうなんだろうが。俺が勝手に伝えたかっただけだしな。押し付けたりするつもりもねぇよ。忘れてくれたってかまわねェ」

なあに、それ。
端正さに見合う哀愁が胸をくすぐる。
ひとり吐露して、自分だけ脱皮したような満足感と爽快感に髪を躍らせて、何それ、ずるいでしょう。
こんなにまで引っ掻き回されてしまったら、この気狂いを彼の握るそれと同意義だって勘違いするのも時間の問題みたいじゃないか。


2018/06/16

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