短編

キッチン・ドール


※同棲設定。


煮え滾るような初夏の休日と、煮え滾る鍋の中。ぐつぐつ、と水泡を膨らます後者を、つんつん、箸の先で弄くり回す。午前中とは信じられない程に燃え盛っていた太陽は、躰の底から潤いという潤いを引きずり出さんばかりに熱する、凶悪極まりない敵にさえも劣らない。こんな日はボウルに落とすだけでバターはよく蕩けてくれるが、オーブンを開けるのなど真っ平御免被る。棚を開けて選んだ昼食はせめてもの涼やかさ、夏の風物詩の素麺だったのだが。ありつけるまでが熱く暑いことを失念し、私は今鍋と火と格闘するので必死だ。
そのさなか。ふらり、と。清潔な白の手拭いに頬を埋め、繊維と自身の赤髪を絡めながらキッチンに顔を出した影が一つ。風呂上がりの同居人の肌にも睫毛の先端にも雫が留まっていたが、微力な気化熱にも縋りたい今日はちゃんと拭いてなどとお節介は言わない。世話焼きを黙らせる程の暑さだったとも言えるが。

「素麺か……」

蕎麦党の呟きが湯気と共にシンクに流れていく。

「ふふ、お蕎麦の方が良かったでしょ?」
「……、素麺も美味いだろ」

「助かる」とフォローする轟は失言だったかなように淡く悪怯れているらしかったが、嗜好を知る私は次は買っておくねと、湯気に熱せられた頬に笑窪を刻むだけだ。
大きく白い皿に一口量ごとの山々を連ねて盛り付け、器に注いだ麺汁と共に食卓に運ぶ。
無造作な濡髪と、気温に脱力した肩にかけられたバスタオルという真夏日のだらしなさが休日全開な姿でも、眼に染みるほどの保養をくれる恋人。なんて魅力的なのだろう。メディアと大衆が知る若手実力派ヒーローの、汗とも若草の香りとも無縁そうな、涼しげで造り物めいてすら感じられる端正さも、家ではリボンがたゆむようにかたちを変え、ぽわりとなる。そのぽわりとした中にある優しさで、以前轟自身の躰が冷え切る寸前まで私を気遣い室内を冷却してくれたことがあった。以来、自宅でもエアコントローラーに頼るよう同棲上の鉄則に書き加えられている。
風呂上り姿で室内を回遊したり、食器を運んだり。それだけでも写真家の被写体の中のように様になってしまう轟の浮世離れした魅力に肺が溺れかけ、一瞬この白昼から切り離された。
向かい合い、「頂きます」と手を合わせ、箸を持ち上げる。

「轟……色のついた麺ばっかり食べてない?」

やってしまった、とでも言いたげに口元は結ばれ、ぴたり、美しい持ち方の箸が虚空で停止する。

「つい子供心くすぐられちまった」
「じゃあ私の分もあげるね」

本気で忍びなさげに悪びれられると、頭部に錯覚したぺたりとなる犬の耳に心臓がきゅうんとなり、全力でピュアな童心の持ち主を抱き締めたくなる。
床に溜まっていくクーラーの冷気に突っ込んでいた両脚を組み替え、テーブルに身を乗り出して轟の方へとお裾分け。

「暑いよねぇ」
「あぁ。俺が冷やすか?」
「いいよ、寒くなっちゃうでしょ」

ずず、と啜る音が双方の器で重なった。

「日暮れて、涼しくなったら散歩でも行くか」
「いいねー。どこ歩く?」
「……外?」
「外かぁー。外だねー」


2018/06/07

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