短編

ドーナツホールのピントじゃぼんわり


※3期edネタ。

移動式のドーナツ屋を目に止め、食べていこうよ、とは誰が言い出したのか。誰が私達を蜜に吸い寄せられる蝶々にしたのか。からりと揚げた甘味の香ばしさはともすれば花粉の魅惑よりも強烈なもので。
弾力たっぷりの生地に歯を沈ませれば、しゅわ、と油の粒が繊維の隙間から溢れてくる。はふはふ、と湯気が肺や腹部に溜まるので少し器官が焦げそうな不安な心地もありながら。

「美味い」

ぼそり、と轟が落とした一言に、選んだドーナツの味は違えど、最もだと胸中激しいヘッドバンキングで共鳴した。胸中で、である。狂気的な肯定をする己を空想上に作り上げつつ、現実ではこくこくと数度頭を振りかぶるのみだった。
下校時刻で研ぎ澄まされた味蕾にドーナツはとても染み込むものだから、しかしながら果たして空腹を香辛料として用いただけでここまでの美味と錯覚できるだろうか、などと野暮な疑念まで生まれ落ちる。嗚呼、もしかして、だけれど。級友がまるで珍道中であるかのように魔法をかけてくれるから、感覚器官を幸福な方へ狂わせられているのやもしれない。

「普段はお前と二人でさっさと帰っちまってたけど、偶にはいいな。こういうの」

私は、うん、と咀嚼音のこびりついた相槌を閉じた口腔で打つ。

「味は何にしたの?」
「プレーン。お前は……チョコか。そっちもうまそうだな」
「いいよ。ちょっとあげる」

す、と轟の口元まで揚げ菓子を運んで食べさせてあげる際の、あーん、の格好は図らずも、だ。恐らくはご家族へのお土産なのであろう――まさか上品な生まれのせいで購入量を見極められなかったわけではあるまい――紙の大袋を抱え、両手の塞がれてしまっている轟では、自身のドーナツを袋を抱える手に持ち変えて私のものを受け取り食す、なんていう起用で高度な真似は難しかったであろうから。
轟はやや姿勢を屈め、はくり、と齧り取った。舌が大いに気に入ったようで、幼げに表情を輝かせながら、もう少しいいだろうかという風に私を伺う。無論差し出さない理由などはなく。
熱と戦いながらちびちびと食む彼の、流れ落ちてくる赤と白の短い鬢が混ざり込み歯の上で不協和音を奏でてしまうのも可哀想なので、代わり私は指で堰き止め、毛流れの針路を変えてやる。

「悪りぃ、結構食っちまった。俺のもいいぞ」

あーん、とされるので高校生同士の食べさせ合いっこのような妙な図とはわかりながらも結局頂いてしまった。そうだ、川の水のように人に一切疑念を抱かせずに流してしまう彼が悪いのだ。
だけれど恥じらいと味覚とは結びついたもの同士ではないので、そこ同士で感情の共有などしないし、不一致であっても咎められない。ドーナツは空気を読んではくれない。

「おいしい……」
「だろ」

轟の淡い微笑みを一人隅っこで手に入れた時、級友達の喧しさが耳殻に貫いた。刹那、神風が睫毛の先を駆け抜け、瞬きの間になんということか、轟の紙袋が神隠しにあったではないか!
何事かと神風の行方に眼界を転じてみれば、梅雨ちゃんにのしかかられている峰田と、その周辺に散らばる食べかけのドーナツがかろうじて知覚できた。
女子陣の声から察するに、金欠故に強奪を試みつつあわよくば関節なんたらを目論んだ彼が下衆にも強硬手段を用いたが、勇気ある梅雨ちゃんにより無事取り押さえられ未遂に終わったといったところか。それにしてもこんな餓鬼染みた手段に及ぶだなんて、持て余した割には細やかな性と食の欲求だ。こんな間食、そして、関節……。というか、関節、って。
嗚呼、私達――。
蘇る先刻への赤面の拍子に、私はある一つの動作を度忘れしてしまっていた。
はて、首とはどのようにして回すのであったか。自分より背の高い少年の顔とはどのようにして仰げば良いのだったか。はて、はて。はてな。


2018/04/07

- ナノ -