短編

わたしが落ち度になるのです


冬の朝にはなまえは、布団が解き放ってくれないなどと言って随分と遅い起床で、慌てて身支度に取り掛かり始めるので、どうせ寮から校舎までの短距離だからとマフラーや手袋と言った細々とした防寒具の装備を横着する。息を乱して疾走する短距離では真冬を舐めきった軽装でもさして気温も気に留まらないものの、スロウペースに歩む放課後にはその短距離を後悔しているというのが常だった。
今日に限って手袋を忘れてきてしまった俺もうっかり者だなんだのとあまり人の事を言えた口ではない。だからちゃんと手袋して来いっつったろ、と咎めようとした口は噤み、なまえに左手の温度をお裾分けしに手を伸ばした。指先にまで神経を張り巡らせてしっかりと繋ぎ返してくる彼女は。

「轟も寒いでしょう?」

なまえはポケットで孤独に縮こまっていた俺の右手に寄り添った。
俺は体温調節を容易に行えてしまうから必要ないと、人並みに寂しがりな癖して黙せない俺は誰かと触れ合う機会をも自ら潰してしまうもので彼女の温かさが氷を吹き出す肌には物珍しく、良く染みた。きっとそれはどこかで恋しく感じていた探し物。

「優しいね」
「そう思うか?」

冬季には便利な其方は暴力的な面と嫌悪の象徴でしかない。

「轟は優しいよ」

俺が――。
なんでもない事実を告げるような物言いでしかなかったというのに妙に肋骨のあたりにむず痒さを覚えてしまったのは、己を個として見つめて貰う事に不慣れが故。

***

素直に本音の固形物を差し出せば笑われてしまいそうであるから、ほんの戯れとして俺は独白してみる。
ほんとうは。

「俺がいつかお前を傷つけやしねえか、って。本当は不安で仕方がねぇんだ」

――俺は本当は、酷いやつかもしれない。

そう簡単に壊れてしまうこいつでは無いことくらい承知の上で。
自分の胸に根を張り、住まう、酷い存在。モンスターの奏でる生活音はずっと昔から俺の耳朶にちょっかいをかけていた。不定形のモンスターは鮮血の色で揺らめき、絶えず燃え続けている。
いずれは訪れるであろう、怪物の這い出てくる其の日に怯えながら日常を吸い込んで呼吸として。
俺の醜さを前になまえはどんな顔をするのだろう。どんな顔をさせてしまうのだろう。ともすれば火傷も凍傷も恐れずに抱き止めそうななまえをいつかこのどちらかの手で殺めてしまうやもしれない。

「じゃあ酷い轟も見せて」

一聞、というよりきちんと脳で理解してもやはり、なまえの応答は頓珍漢だ。
眼前の女生徒の、焦がれて止まない有り触れた色彩の双眸。そこを覗けば、ある意味では“酷い”――酷く悲しげな面持ちの人影が反射していた。俺である。
するり、と。なまえは俺の手を握る指の力加減を改め、一層強く結び合う。
途端、自身の角膜に覆い被さる水膜が膨れ上がり、空気の流れに揺らめいた。歪んで斜陽を乱反射する眼の潤みが一滴となって溢れる直前、なまえが慌てた様子で絡めた指を解こうとした。恐らくはポケットティッシュを求めての善行のつもりだったのだろうが、「すまん」と離れようとした手を未練がましく俺は捕縛する。
目尻に這う他人の指の腹には、そこに描かれた年輪のような指紋のざらめき一つ一つを知覚して、されるがままに。


2018/03/27

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