短編

君と一緒に一歩ずつ


照明の落とされたフィールドで、赤茶の体にたくさんの傷を作ったロコンが上体を起こす。
大丈夫? と不安げに尋ねてくる少女に向かって、自分がまだまだ戦えると意思表示するように彼女は天井高く真紅の炎を巻き上げた。

目の前の、石ころ同然の丸っこい身体から腕を生やした姿が特徴的な小型ポケモン――イシツブテは、岩と地面の両タイプを併せ持つ。対して開始早々息をあげ追い詰められたパートナーは、そのどちらにも不利な炎タイプのロコン。
これでもトレーナーの端くれだ。敗北の結果を予測できていながら、実力者と名高いジムリーダーを相手に相性最悪のポケモンを推薦するだなんて、とんだ常識はずれ。
だがしかし、ロコンで挑んだのには明確な理由があった。

「ロコちゃん、“ひのこ”!」
「イシツブテ、“たいあたり”で突っ込め!」

放たれた火の玉。瀕死ぎりぎりのロコンが放出した渾身の一撃を岩の体はもろともせず、ほんの少しの焼け焦げた傷跡を残しただけで突進の勢いを緩めることはできなかった。
鈍い打撃音が響き渡る。

「とどめの“いわおとし”!」

至近距離から畳み掛けるよう投げ落とされた石の塊が、立っているのもやっとであったロコンの急所を貫き――。目を回して崩れ落ちるパートナーの敗北を表すフラッグが翻ったところで、非公式の練習試合は幕を閉じた。

***

「あ〜っ! 清々しく負けましたっ!」

仮にも女子がこれでいいのかと言いたくなる大雑把な動作で、控室のソファに嘆きながら座り込んだ少女、なまえ。そんな彼女に、お疲れ様、とタオルと共に缶ジュースを差し出すタケシはその隣に笑いながら腰を下ろした。

「いやでも、最初の頃に比べれば随分上達したよ」
「そうですかねぇ」

ぷしゅっ、と缶を開けると炭酸の弾ける音がした。鼻腔をくすぐる爽やかなソーダの香り。
最初は相性がいいはずのマダツボミを相手に腐敗の結果を、数字が2桁に登るところまで軽々と収めていたじゃないか。そう自身の黒歴史を漁り始めた糸目の男に、なまえは苦笑いを零す。

『固い意志の男』こと地元のジムリーダー、タケシにポケモンバトルの稽古をつけてもらうようになってから、早一ヶ月。自分には才能がないのだろうか、とポケモントレーナーの夢を諦めかけていたなまえにとって、改めて自分の進歩を実感させてくれる言葉には何度となく救われていた。
その度に生み出してきた数々の黒歴史を――例えばタケシさんとの出会いが、私がスピアーの巣に片足突っ込んじゃった時だとか――例として毎度毎度あげられるのは癪だけど。

齢12歳。自覚があるだけましなのだろうが、私はトレーナーとしての経験も浅いまだまだひよっこの初心者だ。
こんな挑戦、つくづく無謀だと理解を示しているはずなのに、相性最悪の相手に対してまだレベルも低く、それでいて戦闘経験も貧しいロコンを繰り出す最もな理由――それは。

「レベルの問題うんぬんだけじゃなくてだな、君の場合、仲間を増やすことが先決だと思うぞ」

そう、今現在なまえの所有するポケモンは、赤茶の巻き毛が愛らしいこのロコンことロコちゃん一匹のみである。それが、格段に挑戦レベルを落とした非公式試合ながらも、なかなかいい結果を収められない大きな要因として引っかかっていた。

「本気で強くなりたいと考えているのなら、ポケモントレーナーとして実際に旅に出てみるのも選択肢の一つではあるが……」
「はい、今の私の力量じゃ何度センターのお世話になるかわかんないですよねぇ」
「まあ、自覚があるだけまだましだな」

できれば、今のように傷跡に塩を塗り込むようなそっけない肯定の言葉ではなく、慰めの言葉を期待していたのだが。
手中の缶を傾けて、甘い香りを口内へ流し込むとぱちぱち炭酸が弾ける感覚に笑みが零れる。

「なまえが本当に強くなりたいと望むなら――」

窓枠の向こうで鮮やかに映える景色を見据え、切り出すタケシを疑問符を貼り付けた眼差しで見つめる。
窓の外、小鳥が大空へと羽ばたいた。

***

永遠の色、常盤の名を持つ緑の街。
天然の迷路として旅人の行く手を阻む森を抜け、なまえがやってきたのは一貫して『ポケモンジム』と呼ばれるトレーナーの実力向上を目的とした施設である。
数ヶ月前、新たにジムリーダーが就任したばかりの建物は、至る所で外壁が剥がれ落ち、天井なんて今にも落ちてきそうな――そんな、おんぼろ容姿だった少し前とは打って変わり、綺麗な外見へと変化を遂げている。
これだけでも驚きだが、仁王立ちした彼女の思考を停止させた光景とは、建物の周囲をぐるりと、それはもう塀の如く囲った少女の姿だ。
「かっこいい」「素敵」。あちこちで飛び交う黄色い声援をかき分けて、なまえは中を覗き込む。
そして。その光景に、大きく瞳を見開いた。

誰もが視線を集める先、広がるバトルフィールドでは二人の少年が対峙し見つめ合う。
奥でカイリキーに向かって声をかける緑目の彼が、おそらくはジムリーダーなのだろう。切れ長の双眸に整った顔立ち、癖っ毛の茶髪をかき上げる仕草に目を奪われる。
対して、最も観客に近い挑戦者サイドに立つ赤い背中が、場にモンスターボールを投げ放つと、赤い光に入りまじり、小さな影が降り立った。

「ピカ、“でんこうせっか”だ!」

稲妻型の尾が揺れた。令を受け、弾かれたように地を蹴る電気鼠が、黄色の弾丸となって颯爽と駆ける。技名通りの瞬発力で自身の何倍もの巨大目掛けて突進し、ずだぁあんと強かな一撃をカイリキーの懐へ叩きつけると、間髪入れずに指示が飛ぶ。

「“かみなり”!!」

赤いキャップ帽が鋭く叫んだ目線の先、膨れた赤い頬袋で火花を散らすピカチュウの姿が飛び込んできた。
極限まで高められた集中力の元、電気エネルギーが放出される。
重心を後ろへ崩した巨大がそれを防ぐことは困難で。
無音に満たされた世界に僅かに遅れて駆け抜けた、目を焼く閃光、轟く雷鳴が耳を貫く。鼓膜が追いつかない。
揺らいだ天井の下、彼がキャップを被り直せば、黒い短髪が風にはためいた。
1対1のシングル戦、結果は引き分け、との事らしい。
え、なんで。
耳に当てていた手を下ろしながらモニターの液晶画面に目を凝らすが、やはり両者共倒れのドローの表記。
すぐさまなまえはフィールド上へと視線を走らせる。そこで、雷にでも撃たれたかのような衝撃を受けた。身体中に火傷痕を作ったカイリキーに折り重なるようにして、腹部に大きな傷跡を作ったピカチュウは目を回していたのだ。

「あの、なんでですか?」

自分でも気づいた時には疑問を口に出していた。
ただ、居ても立っても居られなくなったのだろう。

「お前がなまえか?」

求めた答えとは違う返事が返ってきた。一試合を終えて、戦闘不能となったカイリキーを戻し入れた新緑の眼差しが、こちらを見据えて。
名前を呼ばれたことに一瞬だけ戸惑ったが、そういえば自分はタケシの紹介でここに来たのだったのだな、経緯を思い出したので、そうですと頷く。

「オレはトキワジムリーダーに就任した、グリーン。さっきの質問の答えだが……」

曰く、技“かみなり”が炸裂したその大爆音に気配を潜め、発射されていた一つの技があったそうだ。雷鳴の轟音に意識を奪われ誰一人として気づくことが不可能だった――“はかいこうせん”の存在。膨大な電撃がその身を打ち抜くと同時に、大きなひとつの攻撃波が電気鼠の残量HPを根こそぎ奪い取ったのだ。
淡々と告げられた“一瞬に”、ただ、愕然とする。
いったい私は何を見ていたのだろう、と。眼前から低く自分を見据えた深緑の双眸にたじろいだ。
すっと、グリーンさんが背中を見せる。余りに口下手な行動に、え? と頭上に疑問符を貼りつけていると。

「どうした、稽古を付けて欲しいんだろう。早く来い」
「……! はいっ! よろしくお願いします!!」

踵を返したリーダーの背中は同年代であるにも関わらず、どこか大きく大人に見えて。
私は、強くなる――この人の元で、絶対に強くなってみせるのだ、と。
あの日確かに誓いを立てた。


2016/05/01 修正

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