短編

極彩色の中に生きるということ


私の視界が大停電を起こしている――というのは流石に隠喩法に倣った喩えではあるが、そう喩えられる程度には異様な物や人物や状況が私の側に存在していることに変わりは無い。
視界は漆黒のカーテンで隙間無く閉め切ったようになり、目と脳とを結ぶ神経は電子信号のやり取りを断ち切られてしまい。陽光すら不可視である私は、ロビーのソファにちんまりと腰かけて、燦々と愛を注いでいる太陽の気配を肌で感じ取る。

「そこにいても何も見えやしねえんだろ。だったら、部屋に戻った方がいいんじゃねえか?」

落ち着いたトーンながら、近頃は大分柔らかく感じるようになった声音の持ち主を知っている。でも一応「轟?」と語尾に疑問符を乗せて右を向くと、「おう。……でもこっちだ」と左肩にぽふりと手が置かれる。確かに言われてみれば右側とは反対から掛けられた声だった。
頬に触れるのは揺れた空気で、耳に残るのは衣擦れの音。轟が歩んだのかもしれない。

「そうね。でも、寂しいじゃない」私は今更ながらの返答を。

それは正せば、寂しさによく似たもの、である。だって今の私ときたら一切の映像が届かない闇の中にひとり放り込まれてしまったかのようで、心細い。そう、怖いのだ。色々な後ろ向きさに思考を乗っ取られて仕舞わないように、良くも悪くも頭を掻き乱してくれる足音や気配なんかの喧騒ばかりの此処に縋っている。それに携帯端末の一つも触れないのだから、潰せる暇もない。レディオでもあればまた別なのだろうが、さすがに個人情報の塊とも云えるものの操作を人に代行させる気には慣れなかった。

「まだ、いる?」
「いる。隣座ってる」

左の方へ手を伸ばすと躰の包まっている服の皺の感触がある。「これ?」と問うと、「あぁ」と短く返って来た。
厄介な個性に触れてしまって、光も輪郭も色彩も届かない目だ。開いているのも億劫になり、そっと瞼を降ろして筋肉を眠らせる。普段瞑目する時と同じように視覚から意識が離れると、残りの四つの感覚が微かに鋭敏になったようだった。馴染みなく、でも優しげで、和人としての心に響く畳の香り。彼に両手で手を握って貰うと、差はわずかとはいえちぐはぐな体温の情報が同時に伝わってくる。映画館で冷たい炭酸水とホットコーヒーを同時に持たされた時を想起させる、何とも言えない気持ち悪さだが、時間を重ねるに連れ私の皮膚はこの温度差を幸福と変換するようになっていた。とく、と胸が鳴る。どこかから甘さを感じ取って音を奏でている。だって、抱き締められたり、キスをしたりしている時と同じ香り、そして温度をこんなにも強く感じているのだもの。
だが今警戒すべきはどきどきやときめきといった類のものではなく、猛烈な睡魔の方だろう。
今安らいでいる気持ちは、先ほどまではざわざわとどよめいたり、騒いだりをしていた。ロビーにこうして座していることで誰か暇な生徒が話相手になってくれることを私は人知れず期待していたのだ。そうして騒ぐ心を紛らわせようと。でも現在、特に会話も生まず、ただ傍らで手を握るというだけで彼は、意識を分散させて落ち着かせるのではなく、純な安堵を齎してみせた。
喉から浮かび上がる欠伸を噛み殺していくのはそろそろ限界で、ついにふわ……と漏らしてしまった。
轟が召喚した睡魔は誘惑を繰り返す。嗚呼、もう、手に堕ちてしまいそう。


2017/10/21

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