短編

ジーザス。いい子にしますから


最近は複数での連携を用いたコンビネーション暗殺にも上達が見られる。とはいえチームを組むのは元々仲の良かった生徒同士や、コミュニケーションを取る機会の多い咳が隣り合っている生徒同士に多く、それでは戦術も偏りがちだ。――そこで。

「どうでしょう。暗殺におけるチームプレイの幅を広げ、新たな暗殺スタイルを模索するためにも、期間限定で席替えを実施してみるというのは」

ぴんと人差し指を立てる提案のポーズを触手を使って再現した後、そうのたまったのは他でもない殺せんせーで。
多分、口が裂けたような笑顔の裏には、これによって普段は色恋とは縁遠い生徒の間にも恋が芽生える可能性があるかもしれない、なんていう思惑も動いていたのだろうけれど。
かくして、(戦と書く方の)席替えは幕を開けたのである。

「次……みょうじさんですね」

座席を立ち、これからしばらく拝めなくなる順序の机達の間を通っていく際も、鼓動が鳴りやむ気配はない。
かたく、きつく、目を瞑って。瞼の裏に思い浮かべるのは水色の髪の小さな男の子。どうかお願いします、とコンビニ菓子の空き箱を使用した即席のくじ箱の中から、これだと思った紙きれを選び取る。どうか、神様。いいや、この際ゴシップネタにされてしまっても構わないから、神様仏様殺せんせー、お願いします。切り開かれた運命、結果は。

「みょうじさんは16番。神崎さんの隣です」

黒板を向く殺せんせーは触手で器用にチョークを操り、16の文字が入っている机の絵に私の苗字を書き足した。あぁ……と肩を落とすのも一瞬だった。心が残念なんて言葉の形を作る前に、飛び込んできた、黒板に記される16番の座席の左隣。右隣は確かに神崎さんの名前が入っているが、左隣は先行の男子が勝ち取った位置である。忘れもしないその座席の次の主は“潮田”――渚だ。
やった、とさすがに教室中から視線を集めることも容易いこの場所で派手にガッツポーズを決めるような真似はしなかったけれど。胸中で盛大に喜び、歓声を上げ、そしてはっと気づく。大きな幸せの中に丸腰で放り込まれてしまって、果たして私はちゃんと呼吸を続けられるだろうか。絶えず生まれ続ける安心感や新たな緊張感に私の心臓は縮んだり落ち着いたりと大忙しだ。

***

うっかり横顔を盗み見てしまったらどうしようか。愛らしい半分だけの顔に視線を縫い付けられてしまったらどうしようか。気配を察知してこちらを向いた彼と目が合ってしまったら――どうなってしまうだろう。
心配と煩悩ともしもへの期待とその後のことへの不安がせわしなく行きかう頭では、日々の動作一つ一つにも意識を配り、何事にも神経を張り巡らせて挑まなければならない。黒板を確認するため視線を持ち上げるのにも、ノートに文字を並べて行くのにも、筆入れの中の蛍光ペンを探るのにも、アンダーラインを引くのにも、嗚呼そうだ呼吸することにも。秘めた心配事自体はとても年頃の乙女らしい初々しさだというのに、考えの持ち主が自分と言うだけで客観視した際に変態性を感じられる。
だがこれだけ全部の細胞を叩き起こして意識していても、予期せぬ不運と意図せぬ誤作動からは逃れきれない。トラブルはいつも突然に訪れる。蛍光ペンを握って大切な文章を四角く枠で囲っていた時、肘が消しゴムを机の外へ追い出してしまった。左の方へ落下した消しゴムは幾度か床を弾んで、隣の机の真下の影で動きを止めた。よりによってとは言いたくないが、幸いなことなどでは決してない。消しゴムが転がり込んだのは幸か不幸か渚の席である。声を掛けるべきか、否か、であわあわとしていると、そんな私に気付いた渚が机の下へ手を伸ばしてくれる。足元を探り、見つけると拾い上げてこちらに差し出してくれる。ありがとうと唇の動きだけで伝えると、にこ、と笑みでの返事をくれた。受け取る際、意図せず彼の手に触れてしまった自分の指先を握り、込み上げてくるものを噛み締める。刹那的にだが分け与えてもらった体温だけでもご飯何杯でも食べられそうだ。
しばらくは幸せを纏った消しゴムを見つめてしまいそうだったが、はっと現実への帰還を遂げ、黒板に向き直る。えぇと、どこまで移したのだっけ、とノートと黒板とを見比べて。ほろり、と何かほどけたものでもあったのか、それからは、昨日までと同じように。

***

日常に色が着いた。そう云うと少々の語弊があるが。
渚との出会いによって色彩を美しいものとして感じられるようになった景色が、その日からより一層に鮮やかに変わったのだ。

「みょうじさん。みょうじさんの席から黒板の端の下って見えてた? 実はちょっと僕の方から見えなかった部分があって……。ノート見せて貰えたら嬉しいんだけど」
「全然、構わないよ。使って! ……あ、字、汚かったらごめんね」

そんな、他愛無い会話だって、輝いてしまう。渚が頼ってくれた事実が加わることで、尚更に。
貰った言葉一つ一つを記憶の中で愛でている。それぞれが宝石のように煌めいて、宝石箱に思い出として仕舞い込み、蓋をしてしまうのが勿体ないと感じる程。いつも机の上に置いておいて、誰よりも自分に見せびらかしたい。永遠に忘れないためにも。

***

脳に僅かながら戦術――殺術、とでもしておくべきだろうか――の卵を転がしてみる。
暗殺における協力プレイとくれば、同時に攻め立てるか、片方が意識を引き付けている隙にもう片方がざっくり、というものが真っ先に浮かんでくる。しかしながら危機意識が苛立つほどに高い私の先生がそう易々と罠にかかってくれるとは考えられない。先生本人が自ら罠を踏んでくれる、というのが望ましい形だ。それこそ落とし穴のように。少しずつ、少しずつ追い詰めていき、しかしそれは実は罠を仕掛けたポイントへの誘導で……とそんな風に。
仕方のない事ではあるけれど、やはり平々凡々な女子中学生の頭に突如何かしらの得策が閃くはずもなく。だがその平々凡々さは思わぬ幸運を呼び寄せ、私は己の突出無きステイタスに感謝することとなる。

「それもしかして暗殺の?」

机の上に広げたノート。お菓子で釣る、だとか、不意打ち、だとか、散らばる文字。書かれてすぐにバツ印を喰らったり、塗りつぶされたりしている没案達を大きな瞳で覗き込んで問うのは渚。――渚!? ばっ、と勢いよく顔をあげて相手を確かめると、彼は髪色とお揃いの色の両眼を一杯に開く。

「わ、ごめん。びっくりさせちゃった? ――そうだよ。けどきっとこんなのじゃ殺せないよね」
「でも何かに役立つ事もあるかもしれない。捨てるのは勿体ないよ」

だといいな、と私はへらと笑んで見せた。

歴史の授業が終わると、ざわざわ、と生まれ始める喧騒を掻き分けて渚は再び私の席までやって来た。

「みょうじさん、何日間か連続で殺しに行ってみるっていうのはどうかな?」

舞い込んできた突然の提案に、今日だけで二度も言葉を振って貰えた事の嬉しさを噛み締めるよりも先に、私は脈略を読み取れず首を傾げた。

「普通に殺ってもきっと殺せない。だから毎日全力で仕掛けるんだ。毎日暗殺を仕掛けられて、だけど本当に死にはしない。なんだかんだ大丈夫だった、っていうことが続けば、きっと油断する。今度も大丈夫だろう、って根拠のない自信が生まれるはずだから……」
「そこを、ぐさっ、と?」

うん、と彼はこっくりする。可愛らしい顔をして、発想のなんて恐ろしいこと!

「それってさっきの授業の原爆の話を元にしてるの?」
「そうだよ。爆弾を投下する前に何日間にも渡って上空を飛び続けて、住民がサイレンや轟音にすっかり慣れてしまった頃に……――ね。殺せんせーだって結構うかうかしていたり、油断はするから。もしかすればうまくいく、かも」
「確かに人の子っぽくないようでぽい先生なら、そうだろうけど。でも毎日仕掛ける暗殺っていうのはどうするの? そんなにアイディアのストックがあるの?」
「あるよ。ほら」

のたまう渚の指先が指し示していたものというのが、私のノートである。

「こ、これぇ?」
「うん。みょうじさんのアイディア、せっかく沢山あるわけだし、何かに使えないかなって。実はさっきからちょっと考えてて。……よかったら僕と一緒に殺って、貰えませんか」

どうして最後の方はそんなにも自信無さげに声音を萎ませて、おまけに丁寧な語尾を選んだのだろう。極力過剰な期待は抑えるように努めつつ、何となく、流れで私と彼は握手を交わした。多分、よろしく、だとかそんな意味だ。ありきたりな、体温を分け合うただの儀式だ。

***

一日目は無毒ながらヴィジュアルだけはとても毒々しい色味の特製焼き菓子を差し上げた。二日目はチョークを対先生用のナイフに全て取り換えてみた。三日目はセクシーな美女が表紙を飾る雑誌を舐めまわすように読みふけっている先生の、隣にあったティッシュペーパー――一体何に使うのだか――にナイフを突き立て、誤ってそれを抜くよう狙ってみた、という形を作ってみた。四日目はこれ見よがしにナイフと銃を持って先生に近づき、しかし殺しにかかったりはせずに他愛無い会話を演じ切り、先生が去り際見せた背中に不意を打ってナイフを突き立てる、ことはしなかった。五日目。六日目。七日目。と、こんな調子で毎日毎日いつもの暗殺となんら変わりないセンスにも関わらず、直接は殺しに行かないという、ちょっかいをかけているような奇妙な様子を演じ切り、そして。
――当然ながら、そう易々とあの先生が殺められてくれるはずも、ないのだけれど。
考えてみれば先生は常に命を狙われる身で、しかし誰にも命に触れさせた事は無い。私たちの油断を誘う準備期間などなくとも、先生は死と隣り合わせの日々を送っている。私たちの演技はあまりにわざとらしすぎたのだ。そもそも今の今まで先生が死んではいない以上、あの先生が危機意識を緩めてくれる瞬間などほぼ存在しないという事で。もう少し、作戦をあらゆる側面から見、生むだけではなく育ててから臨むべきだった。
駄目だったよ。『暗殺成功!!』の文字がでかでかと綴られたゴールのリボンには、胸を張っては飛び込めない。
いつもとおんなじようなちょっとしたがっかりを背負い、席に着く。隣で渚が微笑んでくれた。

鍋を掻きまわすかのようにいとも容易くシャッフルされた教室は、やがてはもとに戻ってしまう。だけど毎日他愛無い事を話せる日常がもう少しだけでいい、続いてくれたらどんなにいいだろう。日々が色彩を失わないままそこにあってくれたなら、どんなに。
下校のベルが鳴っている。靴に勢いよく足を突っ込んだおかげでまだ片足は踵を踏んだ状態なのにも構わずに、玄関から飛び出すと先に教室を出てしまった渚を探した。結わえた水色の髪に濃紺のベストの背中は案外すぐに見つかったけれど、距離があり。歩行よりも強く地を蹴った。「一緒に帰ろう!」などと私が明るく声を掛けられるだろうか。「駅までは一緒だったよね」ではあまりに遠回し過ぎるから、なら、「途中まで一緒にいい、かな」とか。
兎にも角にも。
放課後のダッシュは胸がいっぱいだった。
言葉はまだうまく纏まっていないけれど、数舜先の自分に全部を託して。
君を、呼ぶ。


2017/10/10
BGM:「放課後ハートフルダッシュ」(Dressing Pafe)

- ナノ -