短編

朝にも昼にも夜にも居場所なんてなかったんだ


※吸血鬼パラレルでございます。

夕景は空の何処にも見当たらない。厳かな森の景色に月の光が降り注いでいる。私が夕食を摂っている間に、夕焼けに追いついた夜空によってすべては喰い尽くされてしまっていた。
攫われたあの日からはや幾日。御伽の物語が始まりそうな御屋敷で、私は、私が目を開いている間はひとりきりだ。しかし、太陽は去った。私を此処に住まわせてくださっている家主の覚醒はもうじきだろう。私は私が目を開いて睡魔に耐えていられる間だけはひとりきりではなくなる。その瞬間だけは明るい場所にひとりきりで取り残されずに済む。囚われの姫君の気持ちは、追体験をしてもなお理解の及ばない領域のままだ。

――神出鬼没な方だった。
夜陰の中、闇に溶け入ってしまいそうな漆黒のマントを翻し、血の色の眼光を閃かせて。靴の音も物音もドアの開閉音も一切引っ提げずに彼は私の前へ現れた。
少年のような、青年のような。轟焦凍、と名を明かしてくださったこの不思議で美しい青少年が、私達非力な村人を脅かす、正真正銘の吸血鬼だなんて一体誰が信じるだろうか。

「寝んのか?」
「いえ……、もう少し起きています」

轟が私に貸し与えてくれたこの部屋の、所有権は彼が握る大きな窓。四角い形の景色をぼんやり見つめていた私の隣に彼は立つ。おはようもおやすみも、もちろんこんにちはも、似合う挨拶は思いつかない。だから彼との会話はこうして静かに始まるのだ。
日差しを遮ることに特化した分厚く黒いカーテンは、私が住まうこの部屋に限っては窓枠の隅へ寄せて縛っておくことが許されているが、他の小部屋や広間のカーテンは閉め切られている。光の遮断は、全て彼を守るためだ。神出鬼没で怪力無双、変幻自在の恐ろしい吸血鬼が唯一恵まれなかったのは、生命の根源たる太陽の寵愛を受けられなかったことだろう。太陽が地平線の彼方に隠れてしまわなければ空すら拝めない、闇の住人。
それ故に轟は露出を嫌う。首から上と、それから手。露わになっている部位はそれくらいだが、肌の異質さを知らしめるには十分すぎた。月光のような青白さの透いた肌は、全くと言っていい程に見る者に生気を感じさせない。人間の血液を啜り、命を繋いでいる怪物とは思えない血色の悪さだが、しかし盗み見る瞳は血に染まったように赤くて。やはり、怪物だ。
轟がその白い手をこちらに近づけてくると肩が強張る。彼のディナーは好きではない。生命を脅かされているのだから至極当然で、身構えて何が何でも維持しようとするのもまた当然なのだけど。
恐れていた牙による痛みが首筋を襲うことはなく、ただ愛でるように触れられるだけだった。青少年の容姿を持つ轟の掌が私の頬を覆い、次には頬骨の辺りを親指に撫でられる。驚異の代名詞とも云えようお方が、似合わない優しさで触れてくる。
くい、と顎を掬われて。作られた、見上げる格好。見つめられる。鮮血の色の視線を注がれる。まるで覗き込んでくるように。

「……眠そうな顔してるぞ」

視線をベッドの方へ投げた轟に顎でそちらを示されるのは、早く寝ろと促されているのだろうか。だとしたら理由は血の質が落ちるから、とかかしら。
でも。でもね、轟。朝は詰まらないの。
私が目覚める頃にはもう、朝日から逃れるように貴方は棺桶の中にいらっしゃる。アンティーク家具に積もる埃を拭き取って、天井に張り巡らされた蜘蛛の巣を散らして、一人家中を磨き上げながら潰す時間は寂しいばかり。
私は、人知れず夜を羨んでいる。

「行かないんですか」

私がベッドに潜り込んでも踵を翻しそうにない轟に問う。

「特にやる事もねえからな。お前がいるんだ、しばらく飯には困らねえだろうし」

轟は軽々と椅子を持ち上げてベッド脇まで運び、腰かける。自分の脚に肘を折って前かがみになり、切れ長の双眸で私を覗き込む轟――人の寝顔なんて見ていて面白いのか――を、瞼を降ろして視界から追い出した。
だけど睡魔は既に私から手を引いていたようで。枕の窪み具合、見つからない丁度いい位置、脚の曲げ具合、手の置き場所。全てが違う。そんな気がして。

「轟。お伺いしたいことがあるんです」
「なんだ?」
「貴方は生まれた頃から吸血鬼だったのですか?」
「……いや」
「人間、だったのですか」
「昔の話だ」
「さぞおもてになったのでしょうね」
「……覚えてねェ」

そう、ぶっきらぼうに。顔を背けてしまわれた轟だったけれど、「目は赤くは無かった」と、ぽつり、一滴だけの雨のように零れ落ちてきた彼の昔話の欠片。

「左右で違う色だった」
「オッドアイですか。素敵です」
「そんないいもんでもねえよ」

とうに失われてしまった彼の瞳の色を想像する。私のようにぱっとしない黒い目や、ダークブラウンでもこの方なら十分に美しそうだが、でもどうせなら、と碧眼を望んでしまう。けれど轟が吸血鬼となった今、絶対に仰げない青空の色が過去の瞳の色なんていうのはあまりにも哀しい。

***

意識は随分と前に浮上していたようだったが、目を開くまでに大分時間を要してしまった。満を持して持ち上げた瞼。首を動かして室内を見回してみると、まだ霞がかかっている視界の中に赤と白の御髪を見つけ、――瞬間、脳が覚醒する。

「も、もしかしてずっといらっしゃったのですか」
「……やる事ねェっつったろ」

だからって、そんな。いくらお暇だからって、ね。おかしいじゃありませんか。
乾いた喉が、皮膚がひび割れた時のように痛んだ。寝床を這い出たのは水を求めての行動だったが、すぐに窓から微かに流れ込む夜明けの産声に気づき、爪先をそちらへ向ける。

「カーテン、閉めましょうか。灰になってしまうんでしたよね」
「嗚呼、頼む」

カーテンを端の方で結んでいる、愛らしさの欠片もないリボンを解き、シャー、と広げていく。僅かな光すらも遮断され、室内は薄闇に呑まれた。夜目の効かない私は、床のちょっとした出っ張りやだらしなく落ちているものに躓いて転倒してしまいそうで、はらはらと一歩一歩を歩まなくてはならない。

「そろそろお休みになる時間ですね」
「いや、今日は起きてる」
「えぇっ。太陽は大丈夫なんですか? 今日はよく晴れそうですが」
「直接浴びなきゃ死にはしねえよ」

それに――お前がいれば昼間も退屈はしないだろ。
なんて、仰る轟。
夜更かし、を朝にすることはなんと言えば良いのかしら、と馬鹿なことを私は考える。

「それじゃあ、轟。朝ご飯、何にいたしましょうか」


2017/09/24
ハロウィンの吸血鬼コスチュームにやられてしまいまして……。吸血鬼大好きです。

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