短編

星屑入りのラムネが一つ弾けて紡ぎ出す


しゅわ、と空を反射するような色の、子供心をくすぐるラムネは口の中で広がって、ぱちんと弾けて。しゅわしゅわと、連鎖的に小さな破裂を口内に引き起こしていく様はさながら誘爆だ。久しぶりに味わった、歯の隙間を通り抜けていく昔ながらの味を私はゆっくりと噛み締める。
くい、と。まるで酒でも煽るかのような飲み方だ。あと4年か、と楽しみとも魔とも取れないカウントダウンをしてみると、守られる年齢であれるのは予想以上に短くて。ランドセルを背負っていたのなんて本当に昔のようで、大好きだったラムネも久しく口にしていないような気に囚われていたけれど、それもたったの5年程度。本当の本当に大人になってしまうまでに残された年月と余り変わらない。

「ラムネか? それ」

耳に飛び込んできた落ち着いた声。ふら、と現れた轟に心臓の生存を酷く脅かされながらも、うん、と私はこっくりをした。轟の二色の髪は若干の湿り気を帯びている。入浴後か。私と同じだ。
懐かしいでしょう、と瓶を彼の視界の中心に持っていくと中でビー玉が音を立てた。

「飲みたい?」
「いや、いい」
「さすがに間接なんたらは嫌ですか」
「……間接?」
「ごめん、なんでも。でも大丈夫、もう一本あるから」
「お前のだろ」
「また買えばいいじゃない。あげるよ」

言えば彼は少し考えるようなそぶりを見せてから、貰う、と折れてくれた。半ば押しに負ける形で私の親切を受け取ってくれた轟だが、いざラムネを手渡すと瓶をひっくり返して見たり、ラベルの隅々まで目を通したり。一向に開ける気配はなく。そんな様子にもしかして、と思い当たることがあった私は尋ねた。

「ねぇ、開け方、わからなかったりする?」
「あぁ……多分飲んだ事自体ねぇと思う」
「そっか、貸して」
「悪りぃ」
「いいの」

別段慣れた手つきであった訳ではないのだが、開ける術すら知らなかった轟からすれば私は少しすごいと思われているのかもしれない。手元を凝視される程度には。
ふすっ、と中に空気が通う音がして、途端に泡立つラムネが瓶のてっぺんにまで上り詰める。瞬間、ふしゅわっ、と無数の泡が溢れ出た。軽々と注ぎ口を飛び越えてしまったラムネは案の定、私の手を濡らし、「うわ、」と軽く驚いてしまう。予定調和的展開ではなく零れた液体の冷やかさに、だ。

「悪ぃ、多分さっき俺がひっくり返したからかもしんねえ……。ふきんいるか?」
「いる」

ほら、と渡された台拭きからは自分たちの衣服と同じ柔軟剤が香っていた。

「どう? 人生初(かもしれない)ラムネ。ちょっと減っちゃったけど」
「ん、うまいよ。甘い」
「甘いって……安直な。花火大会で飲むとおいしいんだよね」
「そうなのか?」
「そうなの」

フィクションで描かれるようなことも含めて、本当に知らないんだね。と隠れて笑う。
一滴たりとも残してしまわないよう、ぐっ、とラムネ瓶を高々と傾けて飲み干した。喉に注ぎ込まれる爽やかな香りと、弾け飛ぶ炭酸達が夏を実感させる。風鈴の音色でも聞こえてきそうな、実物なんて祖母の家でしか見たことは無いけれど、蚊取り線香でも上がっていそうな。耳と鼻に残る記憶が脳裏にふうわりと蘇る。
おもむろに空っぽの瓶を傾けると、からん、ころん。透明瓶の中でお転婆な硝子玉がはしゃぎ回り、楽しげに奏でる音が胸中深くに眠っていた幼心さえも蘇らせた。

「……なんつうか、変な気分だな。こういう子供時代が当たり前みてぇな、知らない同い年くらいのやつを見て、羨ましかったかもしれない。そんなこと自分でも思わなかったけど。普通、なんだろうが、子供のやる事だろうから、今更経験できると思って無かった」
「まぁ高校――それも雄英――入ってもラムネ飲んでる奴と出会うとか思わないよね」
「悪く思ったか?」
「いや? 嬉しいよ。私、好きだもん――ラムネ」

だから、嬉しい。好きなものを好きになってもらえて。
とても、とっても。とてつもなく、些細な事だけれどね。

「このビー玉、取れねぇのかな」
「ははっ」
「なんだよ」
「やっぱり知らないんだぁ、って」

ふふっ、と笑いながらに私がいとも容易く中から轟のご所望であるビー玉を取り出してしまうと、魔法が掛けられる瞬間を目撃した子供のような眼を一瞬、本当に一瞬、彼がしていたのを見た気がしたが、私がたった一度の瞬きをし終える間に彼はいつもの大人びた無表情に戻っていた。
ほら、と見せびらかすように彼の眼前に翳したビー玉の透明な煌めき。それ越しに覗き込んだ反転した世界は魚眼レンズを通した時と同じに歪む。
瓶を軽く振ってからころと意味無く音を鳴らす事ならあるけれど、こうして取り出すのはいつぶりだろうか。ビー玉だとか、お菓子にくっついてきたおまけの品だとか。子供の自分の手の中には無意味に拾い集めてきた宝物が沢山転がっているようで、けれど心から欲しいと望んだ物は何一つありやしない。無意味で無意義な収集をどうして楽しめていたのか、どうして夢中になれていたのか、今ではもう他人の頭の中みたいに理解出来なくなってしまった。楽しかった、という幸せな記憶はあるというのに抽象的で断片的で、もうどうしたってあの頃見ていた世界は取り戻せないのだ。
それは、成長。決して“捨て去った”と同義なのではないとわかっている。だけどこの場で振り向いてももうそこに過去の自分はいないから。いない自分とほんの僅かに繋がりが持てるような気がするから、何を見せたら、はたまた何をやってあげたら、轟は子供の自分を覗かせてくれるのだろう。そんな風に、考えてしまうのかもしれない。


2017/06/16

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