短編

次はお前と戦わなくていい世界で会おう


いつだったか、体育祭が間近に迫った頃だった気がするのだけど、話の流れでどうして彼女はヒーローを夢見たのかと僕は尋ねてみたことがある。返答は、どうだっただろう。いつものはにかむような淡い笑みでありきたりで曖昧な言葉を並べた、そんな答えだった気がする。
みょうじさんは、常にクラスの中心にいるような子では無かったけれど、極端に孤立しているというわけでもなく、決しておとなしくはなくて、かといって騒がしくもなくって、何と言えばいいのか、どこの教室にも平然と紛れていそうな……、“普通”と個性を塗りつぶしてしまうのは勿体ないものだけれど、正直それ以外に言い表す言葉が見当たらない。拙い語彙なりにどうにかこうにか頭を捻って知恵を絞ってみるけれど、やっぱりうまい比喩や表現は思いつかずに思考は行き詰まって、諦めの嘆息をしてしまった。押し出されるようにして落ちた溜め息は、思いのほか大きなものだったらしい。斜め前にあったみょうじさんの旋毛が少し揺れた。揺れ動いて、横顔に乗っかる片目だけだけれど、彼女は僕の方を振り返る。彼女の指の上、握られていたシャープペンシルがくるんっ、と華麗に一回転を決める。教壇に立つ先生の眼を盗んで僕を横目に見遣ったみょうじさんは、「どうしたの」と唇の動きだけで言葉を象り、こてんと首を傾げた。誰にもばれずに何でもないと伝えられる自信が持てなかった僕は、ふるふると何度も首を振って言外にそれを伝える。するとみょうじさんはそっかとでも言うように疑問符を頭上に貼り付けたままで黒板の方を向き直った。
授業は何の滞りも無く進んで行く。僕のノートの上にも比例して文字が並んでいくけれど、まとまりのある整った文ではなかった。
なんで、なのだろう。
緊張感が零と言ったら嘘になる。でも女子と言葉を交わすのにすら大きな疲労と緊張を(それもほぼ毎回、必ず)伴う僕ですら少し話しやすいと感じるのだ。何故だろう。みょうじさんは、違和無く場に馴染む。

嗚呼、そうだ。みょうじさんには、ヒーローの上兄弟がいた。性別や年齢は明かしてはくれなかったけれど、ヒーローという職を手に付けているのだから成人後の青年か女性くらいの大人だろう。
主な活動場所がみょうじさんの故郷の北の方であるためにあまりこちらでは活躍や名前を聞く機会こそ少ないけれど、事務所の名前は良く通るもので。飯田君と同じようにその御兄弟に憧れて目指しているのだろうか、とそう考えるのはごく当たり前のことだと思う。しかし尋ねるとみょうじさんは違うと言う。関係ないって言ったら、嘘になるんだけどね、とも付け足して。かぶりを振るみょうじさんの頬に掘られたいつもの笑みが印象深くて、だけどなぜだか掘り下げるなと言われている気がして、会話を裂いた鐘の音をいつもは惜しむ所だったけれど、あの時は有難く感じたのだ。
みょうじさん。みょうじさん、みょうじさんは…………みょうじさんは――――。
回想録で繋いで必死に眼前に迫る血に塗れた現実から尚も僕は眼を背けようとしていた。辿り着いてしまった真実は夢なら早くに醒めて欲しいと願うほどに絶望的で全力で抗い否定したいものだったのだ。

「みょうじさん、君は僕らの敵なの?」

そうだよ。
清々しいほどあっさりと、そしてばっさりと、彼女は一刀両断する一言を振り下ろした。

「そうだよ。何でもよかったんだ、手段なんて、本当は。私はね、ただ自分っていう人間がちゃんと生きたんだよっていう……証、みたいな、そういうのを残したかったんだよね。みょうじなまえっていう一人の人間として見て欲しかったの」
「利用していたの、僕らを。雄英を?」
「そうだよ」

どうしてそんなにあっさりと僕たちを取り巻くものの全てを否定するに等しいことを、肯定してしまえるんだ。
全身を駆け巡る悪寒に肌が粟立つ。
慈愛に満ちた柔らかな微笑を満面に湛えるみょうじさんに、その笑みに似合う慈しむような優美な動きで手を取られると立つ鳥肌は腕から爪の先にまで範囲を広げる。するりと拒否をくぐりぬけて絡みついてくるみょうじさんの手はしなる植物のようで、気を抜くと骨の髄にまで攻め入られてしまいそうで。自分のナイフを手渡すばかりか、握らせようとまでしてくるみょうじさんを震える腕で力なく拒むが、ぎゅ、と彼女の手にナイフも僕の手も包み込まれる形で受け取らされてしまう。こうなってしまえば間違ってもみょうじさんを傷つけてしまわないようにと力む僕は、切っ先に無機質かつ鋭利に光らせる刃物を強く握るしかない。それが間違いで、みょうじさんの狙いでもあったのだ。こともあろうにみょうじさんは、僕に握らせた刃を捕まえると自分の胸部にその切っ先を突き付ける形に導いた。ほんのわずかにでも押し込むようなことになれば僕の意に反し、しかし彼女の意には沿い、ナイフが彼女を傷つけるだろう。

「英雄様に敵は付き物でしょう? ほら、私を殺してよ――緑谷君」


2017/06/04
Twitter「#リプきたキャラが黒幕でも黒幕じゃなくても黒幕化させる」にどうしても便乗したかったのです……。

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