短編

ビー玉を喉に詰まらせた


今日もまた自分の愛しい人はつくづく馬鹿だと思った。また、そう、またなのだ。こう思うのは今が初めてのことではない。
脳に浮上した回数が何度目になるかもわからない、いつもと同じ感想を持て余すように転がして。そうして大きく息を吐くのはみょうじさんを見つめる時のお約束。机の上に肘をついた腕で頭を抱え、机と睨めっこをする振りをしながらに。ちらりちらりと、時にじいっと、こんなにもみょうじさんを見つめているというのに一度も視線が交わることがない。みょうじさんにもまた僕と同じように視線を注ぎ続けている相手がいるからだという事実は、多分僕だけが知っている。
僕が焦がれるみょうじさんはかっちゃんの事が好きだ。だけどトップヒーローになると豪語する超実力主義者の幼馴染の眼中に、お世辞にも強いとは言えないみょうじさんの姿は無い。報われない夢なら最初から見ない方が賢明だ。自分の事で嫌というほど理解していたからそんな発想がすぐに湧いて出てきたのだろう。もちろん自分に返ってくる言葉でもあるのだけど、それは。
色素が薄くて、つんつんと尖った髪の人物は意地悪にもいつだって僕の壁に成ろうとする。所謂腐れ縁という奴なのだろうけど、この腐り切った奇妙な縁は、赤とはまるで違う色の、切っても切れない糸で繋がっているとしか思えない。やっぱりここでも僕は彼には敵わないのだろう、って悲観的な方にばかり走る頭は否定文句を積み上げる。

突如、BOM、と。
かっちゃんの手のひらの上が爆ぜた。他でもないかっちゃん本人によって僕は耳が慣れてしまったとはいえ、決して穏やかではない爆発音は教室中の視線を音の発生地に集中させる。クラス中の視線を集めたその一点。眉尻を吊り上げるかっちゃんの吠え声と、それからみょうじさんの姿で多くの人が状況を察したようだった。みょうじさんの何か、失言か何かがかっちゃんの逆鱗に触れてしまったのだと。
焦げた手の甲をもう片方の手で包み、瞳孔を開くみょうじさんが後退ると、ぼとり、と赤い滴が火傷から染み出て落下した。
「夏帆ちゃん大丈夫!?」多分、麗日さんの声。保健室一緒いくよ、と続けて投げかけられる麗日さんの言葉を聞いて、持ち上げかけていた腕を降ろした。もしも麗日さんが何かを言わなかったら、僕は多分みょうじさんに同じことを言っていた。着いていく、つもりだったのだろうか。結局みょうじさんは一人で教室を出て行ったけれど。

灰色の制服の裾から伸びるまっさらな手。『ワン・フォー・オール』を持て余し、日頃から酷い怪我を負っているのは自分の方だというのに、大怪我だなんて呼ばないようなみょうじさんの火傷が消えていることに僕は心底安堵した。
みょうじさんが教室に帰還したのは授業が始まって少ししてからだったから、例えば無事でよかっただとか、僕が直接彼女に何かを言うのは次の午前と午後を区切る昼休憩の、皆が食堂に流れ込む人波の中でのことだった。

「みょうじさん大丈夫だったんだ。よかった、傷とか残らなくて。女の子だし残ったら大変だ」
「あぁ、うん。でも私がいらんこと言っちゃったのが悪かったから。『てめぇ人ん事なんでもわかったような口で言ってんじゃねえ』ってさ。人間事実言われるのが一番心に来るものだよね」

多分、彼女が声や語気の荒さまで真似て僕に教えてくれたかっちゃんの台詞は、実際にかっちゃんが彼女を突き刺すように放ったものと全く同じだ。人間の記憶力は興味や関心、好意が無ければ働かない。長くはない一言でも、怒りを含んだ尖った言葉でも、大事に記憶に留めて置けるみょうじさんは、やっぱり。

「みょうじさん。僕じゃ、」

――僕じゃだめかな。きつくかたく引き結んだはずの口の端からはずみに漏れ落ちてしまいそうになった一言を噛み殺す。そんなこと、聞くだけ野暮だ。僕では駄目だったから選ばれなかったんじゃないか。こちらを向いて貰えなかったんじゃないか。
途中で飲み込んでしまったおかげで言葉は文としては成り立たずに終わってしまったけれど、中途半端に紡いでしまった一人称とそれにくっついた“じゃ”のもう一音だけはどうにもならない。言葉の続きがあると信じて待っていてくれるみょうじさんが、「緑谷? どうしたの?」と僕の顔を覗き込んだ。

「みょうじさん……大丈夫?」
「えぇ? もうリカバリーしてもらったから大丈夫だけど」
「そうじゃなくて。ずっと悲しそうな顔してるから」
「そりゃ痛かったしねぇ。治ったけど」
「違うよ、みょうじさんもっと前からかっちゃんを見てるときは、」

僕はそれがすぐに失言であったと気が付いて、慌てて掌を口元まで持って行くけれどそれで間に合うはずも取り消せるわけもない。
見遣ったみょうじさんは哀しみの滲む微笑みを貼り付けていた。

「なんだ、知ってたのか。ってことは他の子にもばれちゃってるかな」

軽い調子で言うみょうじさんだけど、目は口程に物を言うというやつでその瞳は笑っていなくて。嗚呼、やってしまった。前言撤回なんて例えできたとしても安心できるのは僕だけで失言者の自己満足しか得られるものなんてない。

「私、中学まではすごく自分は強いんだって思ってて、実際クラスで一番有望だろうって言われてて。授業の時も弱い人とか出来ない人なんて放って置いて行けばいいのにって、さすがに言いはしないけど、そう思ってたんだよね」

まあ、雄英に来たら全然そんなことはなかったわけだけど、とみょうじさんは造り物めいて見える微笑みを声音に乗せる。
みょうじさんは、己を井戸の中の蛙に喩えた。井戸の中に住まう蛙は海を知らない。世界を知らずに小さな井戸の中で自分が王だと思い込む、哀れな蛙に自分を重ねる。

「爆豪が言ってることって、まんま私が思ってたことなんだよ」

あぁ――。
どこか遠くか、はたまた脳の片隅か。そんな場所で何となくだが僕は理解をしてしまう。
みょうじさんの続く言葉。でも小さな中学の上位を独占しているだけで満足していた自分とは違って、爆豪は本物だった。頭を貫くように引かれた軌道線上を辿り、迫りくるものが、徐々に確信を帯び出していく。

「私がして欲しかったことを簡単にやって除けちゃうんだもん、爆豪って。実力主義だけど説得力あるでしょう、すごいんだよ、それだけの実力が爆豪自身にもあるってことなんだから。だからね、」

――それで例え自分が切り捨てられる側になっても本望なんだ。

かっちゃんが変わってしまわない限りはみょうじさんはきっとかっちゃんに恋情を抱いたままで、やっぱり変わらない事には二人が結ばれる事はあり得ない。みょうじさんが好きなうちは絶対に叶わない、報われない――みょうじさんがとても大事に抱きかかえているそれは、邪魔で可哀相な感情の集合体なのだ。
可哀相。僕が一番言ってはいけない、思ってもいけないのに胸にでかでかと浮かべてしまったその気持ちを人は何と呼ぶだろう。

「……それでいいの?」
「いいよ別に。だってほら、あいつ付き合ったらやばそうじゃん」

あぁ、嘘だな、って。先行く推測と理解に、はっきりとした根拠達はまるで後付けみたいに遅れ気味に追いかけてくる。
僕は彼女の笑顔を否定する、素直な言葉は何も口にしなかった。
人間誰しも事実を突きつけられるのが一番心に来るものだ、とは彼女自身の言葉。当然みょうじさんにも当て嵌まるのだろう。かっちゃんは苛立ち声を荒げて小さくも派手な爆発を引き起こしたけれど、みょうじさんならもしかすれば傷ついてしまうかもしれない。悲しませる要因を消したり減らしたりできるほどの力を僕は持っていなくて、心の支えになれるような存在感もみょうじさんの中ではきっと確立できていない。増やさないように“努力する”ことしか、できないのだ。
かっちゃんとみょうじさんの、ぶつんと切れた赤い糸の先同士を結んでしまえば、僕との運命に置き換わってくれたりはしないだろうか。


2017/05/07

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