短編

傷を愛した薬指


授業が終わると教材を抱えた教員が手短な挨拶をぶっきらぼうに残して扉の外へと消えていく。退室と共に場に満ち満ちと籠り切っていた緊張感が緩むと、それを合図にしてなのか途端に騒めきが湧き上がる。ようやく解放されたとばかりにがたんがたんと椅子を引いて、彼らは立ち上がる音を室内に響かせた。
また一つ、歳を重ねて。高校生になって。雄英に入っても、この光景だけは中学の頃から――ひょっとすればそれより前の頃から変わらない。
ひっそりと苛立ちを募らせながら、だが乱暴に足音を響かせ解消を試みることも忘れずに爆豪は席を立つ。

「あれ、なまえちゃんそんなとこに傷あった?」

爆豪が歩みを止める原因を作ったのは、彼が胸中で丸顔、と呼ぶ少女麗日の声だった。心当たりのありすぎる名前に反応して、ちらと横目で伺えば、教科書とノートを纏める手を止め自身の手の甲に目を落とすなまえが視界に映る。

「あーこれね、元々あるやつ。昔かつ――昔色々合ったんだよね」

爆豪の下の名前を口に仕掛けて、背中に突き刺さる視線を感じたからだろう、慌てて言葉を濁すなまえ。
左手薬指の小さな火傷跡。10年以上経過した現在も尚、そこに残り続けるそれは幼いながらに胸で育てた強い独占欲に従って起こした行動によるものだった。非常に疎い彼女なら持たせた意味にすら気付かないであろう密かな所有印は、本人すら気づかぬうちになまえを支配する鎖となる。

「そうなんだ。痛そう」
「もうそんな痛まないし平気。怪我したときは2週間くらい痛み引かなかったんだけど」

台詞の後半を不自然に強めて言うなまえの視線の先にはA組の教室を後にしかけた爆豪がいて。静かに交わされる争いはそこからつんつん頭が踏み出すまでの、刹那的なものだったがたった数舜の間に教室の温度はぐっと冷え込んだのを同級生は皆、肌で感じていたという。

***

『放課後教室残ってろ』

トークアプリで用件だけを綴った短文を送信すれば、すぐにそれは既読になった。
何だかよくわからないスタンプで返されたが、肯定の意であることだけは理解できたので電源を落とした携帯端末をポケットに突っ込む。どうにもなまえの趣味は理解しかねるが、付き合いも長いので今さらそれを咎めるつもりなど爆豪にはなかった。二人で並んで歩く際に趣味の悪い服装をされようものなら、爆破してでも阻止するが。

クラスメイトが全員帰宅した頃合いを見計らって茜色の反射光が眩く目を射る教室に足を運べば、そこにはすでになまえの姿があった。固い机に伏せる、丸まった背中の上で西日が煌めく。綺麗、などと柄にもなく抱いてしまった感想を一歩と共に振り切って。

「いつまで寝てる気だよ」
「…別に寝てないけど」

睡魔の誘惑に攫われそうになっていたことは声色から察することは可能だったし、反応が僅かに遅れたことが強がりであることを裏付ける。

「これからやることわかってて寝そうになってんなよな」
「悪かったってば」

足音が床を渡る度に数十センチずつ互いの距離が縮まっていく。
飄々とした態度を崩さずに爆豪の足取りを目で追うなまえの動作が、爆豪にとっては苛立ちを刺激する材料に他ならなかった。
なまえを椅子に座らせたまま、太腿の間に膝をつきするとは思えない逃走を防止すると、爆豪は締め付けるように窮屈だったジャケットを脱ぎ捨てる。
ぎしぎし鳴く背もたれに押さえつけるのとは反対の手でなまえのネクタイに手を掛け解けば、しゅるり、と心地の良い布擦れの音が夕陽の温めた室内に落ちた。後方へ放り捨てたネクタイが力なく地面にくたばるまでの光景を爆豪の肩越しに見つめるなまえの衣服を強引にはだけさせ、ここぞとばかりに首筋に歯を突き立てる。
キスマーク、なんて生易しいものではない。噛み付く、貪る、という方がずっと近しいと思える力加減だった。

「っ、……よくもまぁ何の躊躇いもなく女子を傷物にできるよね」
「とか言いつつ喜んでんだろ? てめぇも」

文句は言いながらも突き放さない。抵抗もしない。そりゃあね、とからりとした笑みで返すのはそれが爆豪の愛情表現であるとなまえも理解していたからだ。

「これの犯人もあんただった。ね?」

ひらひら左の掌を翳してみれば、薬指にくっきりと残る火傷跡が爆豪の眼前で照らし出された。

「なんでこんなことしたの?」

答えの代わりに荒く唇を重ねて寄越す。
黙って口づけを受け入れる彼女の余裕を今から余すことなく削ぎ取ってやるのだと、心に決めた少年はそれを行動に移すよりも先に特撮ヒーローの悪役を思わせるぎらつく双眸で口元を歪める。
花嫁が贈られた指輪で片割れを思い出すのなら、そこにぴったりと重なるよう印を押しておけば彼女が将来誰かのものになったところで永遠に自分から逃れられなくなるだろう。ただの幼い独占欲の表れだ。


2016/11/13

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