短編

何万回も息をして命を削る行為


※ぬるいですが暗めな内容なのでご注意ください。



窓枠から差し込む朝日を眩しく反射する床を歩むのを少なからず久しく感じる。
実に三日ぶりの登校だ。自分の身長の何倍もある教室の扉の前に立ち、自動的に開かれる景色を視界に映せば、「おはよう」と口を開くより先に複数名からの視線が向けられたことを肌で感じた。

「みょうじ……」
「みょうじだ。」
「みょうじ!! おいみょうじ来たぞ!」
「みょうじさん、大丈夫だった!?」
「いきなりぶっ倒れたから何事かと思ったよ、なまえちゃん! もう平気なのっ!?」

「あー、うん……平気。一応ね」

捲し立てるような雰囲気に圧倒されてつい曖昧に返してしまうが、最後に登校日である三日前の実戦練習で自分たちの番が終わった瞬間からの記憶がない。
気付けばオフホワイトの天井を前に消毒液の臭いが立ち込める室内で、固めのクッションに背中を預けた状態で目覚めた私は自分の置かれている状況を理解できずに、茫然とそこが保健室だとばかり思っていた。視界一面に黒のシャッターが落とされたような、気絶する直前の映像は薄くではあるが脳の中に残っていた、というのはわかる。しかし、それっきりだ。
そこであぁ、自分は長らく意識を手放していたのか、と理解して、だが病院であると気づかされたのはそれから数分が経ってからだ。
病室に入って来た看護師に立てますかと問われて連れ出される。名称も知らない機械に通され、脳検査を受けて。それで終わりかと思いきや、今度は隔離されたような別室に半ば強引に押し込まれ、専用の機材を装着させられると個性を発動するようにと言われた。
その後、仕事を早めに切り上げた父と共に訊いた診断結果が。

「私、早死にするってさ」

かみ砕いた、というよりは、意図して要点を飛ばした説明だった。
自分で出しておきながら、“早死に”の単語に暗くなる。

「早死にって? 個性の反動は疲労なんじゃなかったの?」
「んー。反動で寿命縮むって。中学校でやるような個性診断って結構簡単な奴でしょ。それに科学も進歩するし再検査する度に新しくわかることも多いって言われた。……っていっても全然平気だよ? 副作用的なもんだし、今みんな寿命長いじゃん」

嘘だ。完全な嘘であって、何よりヒーローにはなれない自分を慰めるための術だった。
使用後、少しの疲労感が伴われる増強型の個性――そう長らく信じ込んでいた自分の力の正体は、使う度に己の命が削られていく個性。自分が生きるはずだった未来を少しづつ少しづつ手放していくことで、一瞬の力を得る。悪魔との契約にも似た、それ。大きな力の代償は、きらきら輝いているはずだった未来の時間、なんて自分が一番信じたくなどないのに、医師は慣れた様子で淡々と結論だけを私に告げた。
使えば使う程に自分の命の時間は削られていく。日常を刻んでいくだけでもすり減る蝋燭は、この個性を持つだけで人は無意識に発動してしまうから、平均の倍近い速度で寿命は力に変換されて消費されていくのだ。ヒーロー科最高峰と謳われる雄英のカリキュラムに三年間も耐えきれるはずがない。だから今すぐにでも退学した方がいい。自分を取り巻く大人たちの意見は全てがそこで一致した。
職業ヒーローだった母は私を産んだすぐ後に26歳という若さで他界している。父の個性が私の体に現れず、母と全く同じ増強系個性という時点で本当なら気付くべきだったのかもしれない。

「なまえちゃん、今日はあんまり無理はしないでね?」
「辛くなったら保健室言った方がいいよ。何かあったら大変だ」

心配そうに眉を寄せて顔を覗き込んでくる麗日の優しさが、緑谷の気遣いが、今は心が抉られるように痛い。
やめてよ、そんな風に見ないでよ。可哀相って言わないで、思わないで。ヒーローには慣れっこない私を、憐れまないで。
悲痛過ぎるせめてもの哀願は、叶わない。この教室も同じなのだと、悟った事実に絶望した。

やめてよ!

耳の奥がキンと劈かれるような感覚を覚えるほどの絶叫は、きっと私の声だった。
放っておいて。掠れた叫びをその場に残して、来た道を逆走する。呆気に取られる周囲の視線を、全身に感じながら。それが酷く煩わしくて、苦しくて。
飯田辺りに「みょうじくん、廊下を走るのは立派な校則違反だぞ」と注意されるかと思ったが、今回ばかりは誰も何も言わなかった。それとも逃げ足が速すぎて思考が追いつかなかったのだろうか。一瞬そんな思考が頭に浮かぶが、自覚済みの鈍足は脱兎と呼ぶには遅すぎる。
視界を過ぎ去る景色すらスロー再生とまではいかないが、通常速度を僅かに勝る程度で流れていくので捕らえられないこともないだろう。
そう思った直後に腕を掴まれ引き留められたかと思えば引っ張られ、がくん、と重心を見失った体は後方へ傾いた。やばい、倒れる。自分で状況を何とかするよりも先に肩に触れた手が支えてくれて、難を逃れる。

「みょうじ」

苦さまい。そんな意思がありありと感じ取れる声色の、低めた声が力強く頭上近くから降りかかった。
振り向けば、白髪――いや、赤と白。
轟。声には出さずに呟くと、左肩と右腕を掴んでいた手が離れて解放される。

「ほっといてって言った」
「これでもヒーロー志望なんだ。苦しんでる奴目の前にして放っておくほど冷たくはねぇよ」
「…………」
「……今のは悪かった」

機嫌の悪さを前面に醸し出して視覚的に訴えると、申し訳なさそうな二色の視線は床に落とされる。
それが無自覚だというのならこちらも責められないし、余計にたちが悪いじゃないか。
いいよ別に。そう言おうとした瞬間、食い気味に口火を切った他でもない轟によって不発に終わった。何だか今日は遮られてばっかりだ。

「ここじゃ話しずれぇだろうから、みょうじ、ちょっと来い」
「は、……ちょっとなに、轟!」

再度腕を掴まれる。今度は左腕だった。
周囲の視線が痛いというのが感想だが、それを訴えたところできっと離してなどくれないだろう。
ぐいぐい、といっても痛みは感じない程度の力加減で腕を引かれて、すぐ側の空き教室に雪崩れ込むような勢いで半ば強制的に連れ込まれた。
ここだけ見れば逢い引きと間違えられてもおかしくはない。私たちの間に漂う空気はそんな甘ったるい雰囲気とは無縁の、随分と張り詰めたものなのだが。

「退学届け、あるんだろ」
「親に書かされたやつはね」

同行するという父の言い出しを断って、最後だからと言い訳をし、制服を纏って家を出た。
いつも通りに――その時点でいつも通り授業を受けて、演習もやって、疲労感を全身に感じながら帰宅する。そんな昨日までの日々をこれからも変わらず乱さず繰り返していこうと私は心に決めていたのだ。

「出さないつもりか?」
「当然じゃん。せっかく雄英入れたんだよ? こんなことで諦めるわけにはいかない。それをあんたはどうしたいの」
「やめさせる」

断固として譲らないとばかりに彼は言う。まるでそれが絶対とでも言わんばかりの声音で、こちらに拒否すらさせないような威圧感を飛ばしながら。
昔、ナイチンゲールという人物がいたらしい。看護師で、遠い国の戦地に向かって行って。彼女が掲げた治療理念は殺してでも治療する、だったそうだ。それは一見すれば矛盾だが、彼の行動にそれに通じる部分を見出してしまったのもまた事実。
隠した部分に存在する本当の理由はまた違うのかもしれないが、要するに死を逃げる理由にするなと言いたいのだろう。
そしてそれを真正面から受け入れることができるのは、人の苦しみも死の恐怖も知らなかった頃の、“ヒーローになれる私”であった場合の話。

「それが私にとっての幸せなの?」

意地悪くそう言ってやれば、彼は押し黙る。

「みょうじがいなくなるのは嫌なんだ」
「それってあんたのエゴだよね。いいじゃん、私どうせ死んじゃうんだから」

吐き捨てるような口調で。
半ば自暴だった。

「死なねぇよ、みょうじは。絶対、死なせない」

どうしてそう言い切れる? 一般人と同様の生活を積み重ねてきたというならまだしも、幼い頃からヒーローを志してきた私は単純な増強型ということもあって人よりずっと個性の使用回数が多かった。雄英に入り、目が回るような多忙な生活を生き抜いてきたのだ、削られている寿命の残量など自分では確かめようもないが、40歳の誕生日を迎えることはまず不可能であると医師から宣告されている。最悪、30になるまでに、とも。
さすがに空気を読んだのか医者もそこで言葉を濁したが、私を失望させるには十分すぎた。

「仮にお前が高校卒業したとして、」
「仮じゃなくて本当にするつもりだけどね。で?」
「俺は卒業後は家を出るつもりでいるんだが、正直家事はからっきしだ」
「……」
「俺と一緒に住んでほしい。そうすれば家のことはやってもらえるし俺もみょうじが勝手に死なないように一番近くで見てられる。あとみょうじの家賃が浮く」

右手の指を折り曲げてメリットを数えていくその姿が、私にはやけに幼く見えた気がした。

「……それに私が素直に頷くと思ってる?」
「どうだかな。それでも普通に就職するよりはお前の成りたいものにも大分近いだろ。」

なんせヒーローのバックアップなんだから。
最近たまに見せるようになった薄い笑みを浮かべながらそう提案してくる轟は、家庭に入る妻の役割を籍を入れずにこなせ、と言いたいらしい。もちろんそこに恋愛感情なんてものはなく、ただ心配だから――もしかすればそれすらも存在していないのかもしれないが――見張れる場所に置いておきたい、そんな理由。

「お金、ないけど」
「なさそうだから誘ってんだろう」

遠慮知らずな言葉選びから不躾な一面が垣間見えた瞬間だった。

「ちゃんと養ってくれるんでしょうね?」
「あぁ」

そのとき轟と結んだ約束が、自分の待つ未来の中で守られると信じていたわけではなかった。だが卒業式の翌日、私の家のインターフォンを押したのは記憶よりずっと背の高い轟で。当時より大人びた風貌に驚かされながら、来訪者より差し出されたその手を取った。

轟の親切の裏に特別な好意と下心が存在していたことを私が知るのは、それからずっと後になってからのことだ。


2016/10/13

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