短編

相合傘いかがですか?


ばたん、と背後で閉じ合わさる木の扉が僕らを外界から切り離した。
薄暗く、狭苦しく、埃っぽいE組の小さな収納庫。普段ならすでに帰路についているであろう授業後の時間だが、「先生、放課後は用事がありまして、少し忙しいので渚君とみょうじさん代わりに倉庫の片づけを頼まれてくれませんかね〜?」といつにも増してにたにたと口を曲げた殺せんせーに頼まれては仕方がない。マッハ20の速度をもってすればその用事とやらも済むのではないか、とは不満げに唇を尖らせたみょうじさんの反論だ。
閉音を背中に聞いて肩越しに見た出入り口は隙間だらけのお蔭で外光を遮断し切れていないけれど。「え、あれ、なんで閉まったんだろう」独り言ちた僕を作業に勤しむ手を止めてみょうじさんが首だけで振り返った。

「鍵かけられた、かな……」

がちゃがちゃ、がたがた。推しても引いても耳障りに騒ぐだけで木戸はびくともしない。

「はははー。誰かが間違って閉めちゃったのかもねぇ」
「はははー、じゃあないよ。みょうじさんスマホ持ってたりする? 僕のは教室なんだけど」
「あるよあるよ〜ちょっと待って」

ポケットを漁り、取り出したみょうじさんが画面をタップする。しかしその直後、しぱしぱと目を瞬かせながらにコンセントでも抜かれたように硬直してしまう。

「どうしたの?」
「……こと切れた」
「え?」
「ごめん、電池切れちゃったや、スマホ」
「はー……ついてない。出れるかな。……ってなんで片付け再開してるのかな、みょうじさん」
「え、だって他にやること無いでしょ。暇じゃん」
「仮にも僕ら閉じ込められてるんだからそんなことやってる場合じゃないと思うよ……。どうやって出るか考える方が先決――」
「壁ぶっ壊す」
「他に平和的解決方はなかった!?」
「まぁそれは最終手段として」
「他に無かったらやるんだね? だめだよ。危ない」
「そう慌てなさんな」
「みょうじさん、僕の不安はこの状況にじゃなくてこの状況を力づくでどうにかしようとしそうなみょうじさんに対してだよ」
「渚クンは私を何だと思っているんだい」
「『スーパークヌギ人』」
「あのコードネームつけたのは君だったのか」

誰の助けも呼べないままの無念を残してみょうじさんのスマートフォンは今度は懐へ仕舞われる。嗚呼これは後から、ポケットに入れたはずのスマホがない! あ、そうだ、懐の方仕舞ったんだった! と一人で天然を発揮するパターンだ、と胸中でひっそりと思う。出したところと同じところに入れた方がいいと思うよ、そう言葉をかけるべきか否かを悩む僕を尻目に両手を腰に当てるみょうじさんがどこから自信が溢れて来るのか、強気に胸を張る。

「慌てない慌てなぁい。せっかくのラブコメ展開なんだし楽しもうぜ、渚ちゃ〜ん?」
「ちゃん付けはやめて」
「あはは、ごめんごめん。でもこのままだと私達干からびちゃうし早めにどうにかしないとね。飲まず食わずで人って何時間生きられるんだろ……」

雲の形が変わった、とわかるのは、窓硝子越しに届く陽光と落とされる二人分の影の長さに変化が現れたから。

「……窓から出られたりして」
「あー、いいね。早速やってみますか!」
「待って待って! 僕から行くから」

言うや否や枠に手を掛け床を蹴り上げ、すぐにでも飛び出していこうとするみょうじさんを慌てて止めに入ると彼女は意外におとなしく従ってくれた。曰く――

「私から行ったら下の渚少年にばっちり私の色気ない下着見られちゃうっていういやんなべったべた展開待ってるもんね」
「……。行っていい?」
「どうぞどうぞ。窓、私が開けてあげよっか?」
「届くよっ! というか僕の方が身長はあるからね!?」

***

伸ばした手に降りてきた雫が、ぴちゃり、弾けた。暗雲の隙間から空が涙でも落としているように、ぽつりぽつりと地を濡らしていく雨粒の群れ。思わぬ奇襲にふっ、と私は不満を息吹いた。

「みょうじさん、帰らないの?」

耳朶を触れる中性的な声音は背後から。振り向けばそこにいたのはやはり渚で、問いを投じた彼の手に携っているのは薄水の髪色を濃くしたような藍の傘。

「あー、なんか傘が無くなってて」

今朝は持ってきたはずなんだけど。どこに行ってしまったのだろう。思いつく限りの場所は探し回って、それでも見つかることはなく、持ってきたことが気のせいだったのではないかと自分を疑い始めた頃だった。

「僕のに入ってく? よかったら」
「いいの? じゃあ入れてって。よかったら」

ぽん、と音を立てて藍色の傘が咲く。
頭上に翼を広げたような傘の上で雨水が跳ね、静けさの中を踊る。
さながら愛し合う男女のような距離感に、ここ数日の不自然な彼との不運遭遇率を思い返した。

「なんなんだろうね、最近。二人で閉じ込められるわ、渚と相合傘だわ……。ラブコメもびっくりだよ。これから思いっきり水被って制服透けてベスト借りる、からの渚の家でシャワーで風呂場でうっかりばったり『きゃー!』くらいありそう」
「さすがにそれは……」

ぱしゃぱしゃ、と踏みつけた水溜りの水面を叩き割りながら背後から近づいてくる足音。それまで並んで歩いていた道を急ぎの人に開けようとした時。どんっ、と肩に強か衝撃を叩きつけられた。重心が崩され、足が縺れてよろめくまま濡れた地面へダイブ、というところを渚に抱き留められる。

「……っと。大丈夫?」
「うん、ありがと。あ……ねぇ、あれ、見て。今の人」

走り過ぎ去る大柄な男の身体の上にちょこんと乗った不自然なほど丸い頭。走行のフォームは曖昧な関節をぶら下げているおかげでふにゃふにゃと、こちらもやはり不自然な。ちら、と一瞬視界に映った顔は三日月上に歪められた口元が印象的な凹凸の無いものであったはず。もう一度男へ視線を馳せればそこにはもう誰もいない。マッハとまではいかずとも、まばたきをする間に消えてしまえる速度は一般人には為せない技。ヌルフフフフフ、と遠ざかっていく粘り気の強い笑い声。
人間離れが服を着て歩いて、否、走っているような人物などE組生徒の私達には一人しか心当たりはなかった。

――お前かよ。

「閉じ込めたのも傘隠したのも、全部殺せんせーだったのかな」と呆れの苦笑を浮かべる渚も恐らくは私と同意見だ。

「ここでキスとかしたら、もっと食いついてくるんじゃないかな。暗殺のチャンスだよね」
「……そういうことはそういう理由でするものじゃないと思うよ」
「渚って意外にロマンチスト?」
「浪漫がどうこう、じゃなくって。もっと普通に考えてってこと」
「それもそうだけどー……」

残念、とは言わなかった。乙女の恥じらい、とすれば耳障りはいいけれど素直さにかけた意気地なしの根性無しという本質だけは変わらない。して欲しいことの一つも口にできない己の性格が恨めしく思えて、小石を爪先で蹴り飛ばす。かつん、と飛んで行ったそれは水溜りに落ちて何重もの波紋を広げた。

「というか殺せんせーも詳しいんだかそうでないんだかわかんないよね。わざわざここまでして作らなくたって、」

――もう私達くっついてるのに。

気付かないのかなぁ、けらけら笑って隣の渚を見るとかわいらしく頬を赤らめ、しかし彼はそれを私に見られたくはないようで目を合わせてはくれない。顔を背けたところで顔にかかる水色の髪には染まった頬の朱色は目立つ。耳まで赤く点火すれば隠しきれているとは云えない程だというのに。
瞬いた瞬間、ふ、と顔に落ちる影の形が変わった。渚に視線を上げるがかち合うことはないままに、傾けられた傘の藍色が雨音のノイズと外界の景色をどこか遠くへ切り離す。ぱしゃんと足元から跳ねた水音が耳朶を撫でて、誰の眼にも触れないまま唇を寄せられた。

「え、な、ちょ、えっ!?」
「し、したいのかと思ったんだけど。違った……?」
「違くは、ないけど。ムードとか全然ないな、って」

言えば彼は、渚は何時ものおとなしそうな彼の顔のままのたまった。

「僕はロマンチストじゃないから。ごめんね」


2017/01/16

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