短編

花を贈るようにやってくる夜明け


新天地での暮らしで変わったこと。出かける折には、リヴァイさんが車椅子を鏡の前に転がして、身なりを整えるようになったこと。
中央よりも少し偏った位置で分けた前髪に、手に乗せた整髪料を柔らかく馴染ませて額を広めに露出する。かつてのエルヴィン・スミスを連想させるぴしゃりと整えられた姿に、お似合いです、と何の気なく褒めた私に、隻眼となった弊害で狭まった視野を、少しでも広く保つためだと仰るのだから驚いた。
私は車椅子の背もたれの後ろに立ち、鏡の中に象を結ぶリヴァイさんを見つめる。曇天を割る稲光のような傷跡を右の目から頬、口にかけて走らせていても、あの巨人との戦いから過ぎた時間の分だけ年老いても、色男は健在だ。見惚れていたのは内緒の話。
彼の眼界には入らない、つむじの近くの少し跳ねている毛を指で撫でて寝かせてやり、失礼しますと顔の前に腕を回して前髪の分け目を整える。私が気にも留めないくらいの指に付着した僅かな整髪料をリヴァイさんは気にかけてくれて、「これで拭け」とタオルを手渡してくれた。
「本当について来られるんですか? 今日はすぐ近くの雑貨屋に行くだけですから、家でゆっくりしてていいんですよ」
「この前みてぇなことになったら危ねぇだろうが。それにいつもすぐに帰ると言っておきながら餓鬼みてぇに道草食って遅く帰るのは何処のどいつだ?」
「すみません……」
先日リヴァイさんと買い出しに出かけた時、私達は荒くれ者に絡まれた。賊とはいえど相手は選ぶ。足が不自由な隻眼の負傷兵とその面倒を見る女は、見るからに非力な者同士の寄り合う不憫な二人で、脅して金をたかるにはいい鴨に他ならなかったのだろう。
しかし彼らの不幸は彼らが無知だったということだ。車椅子の上で足を組んでいる負傷兵が、かつて人類最強の称号を肩に乗せていた兵士長だということを知らなかったことだ。
――耳に糞が詰まり過ぎて聞こえなかったのか? そこを退けと言っている。
リヴァイさんは座したまま、兵士時代を思わせる所作で杖を逆手に持ち、地面に触れていた先端を賊の喉元に突きつけた。ひゅ、と風を切る音が鼓膜を切り付ける。鋭利ですらない杖の先では威嚇にもならないかに思われたが。
恐るるに足らず、と私と同じことを考えた賊は正面切ってリヴァイさんの襟をつかみ上げようとした。しかしそれが一巻の終わり。眼光を獰猛に閃かせたリヴァイさんは、立ち上がりもせずに、私たちを囲う数人の男達を一息のうちに撃退してしまったのだ。
――糞、体が鈍っちまったな。
それだけの勇猛果敢さを披露しておいて、通行人からの視線と拍手を集めておいて、彼は全盛期との差がまず気になるのか自身の杖捌きに満足はしない。
「汚えな」と吐き捨てながら杖の先端をハンカチで拭うリヴァイさんに目配せされ、私は屍の如く道端に伸びる男たちからそそくさと離れたのだった。
あの一件からリヴァイさんは私が一人で出歩くことを嫌がった。強く引き止められることこそないが険しい顔立ちにより剣呑な影を濃く描き出す。
情勢が良くなりつつあるとはいっても、その甘い蜜にありつける人間にも貧富の差は存在する。私達が安寧の二文字に彩られた生活を送れているのは、ひとえに先の“天と地の戦い”において英雄の異名を欲しいままにするリヴァイ元兵士長、それに頻繁に現れる客人のガビ、ファルコの社会的な地位、オニャンコポンの支援あってこそで、私は兵長と少女少年達の名誉にぶらさがり、無償で安寧にありつく小判鮫に過ぎない。
少し街の暗がりに赴けば物乞いが地べたに座り込み、上品な見てくれの者が無警戒に踏み込めば懐から金品をすられる。前述の三人とイェレナ共々、物資を届けに足を運ぶ難民キャンプでは、人々に笑顔が灯りつつあるものの、未だ彼らは仮設の住まいでの暮らしを余儀なくされ、支援が途切れれば衣食住はままならない。
世界は確かに幸福と復興への道を進んでいるが、その歩みは牛歩だ。長い道のりの中でくたばらないために、振り落とされる人が現れないように、私たちは差し伸べる手を引っ込めてはならない。
「あ。ジャンやアルミンたちからまた手紙が来ていますよ」
家の外の郵便受けが新聞や広告以外のもので賑わっていると思えば、リヴァイさんの古い部下――もはや旧友や戦友とさえ呼べる人々――からの手紙だった。
たびたび手紙をくれる彼らにも、客として頻繁に訪れるガビやファルコ、オニャンコポンにも俺のことは気にしなくていいなどと釣れないことを言うリヴァイさんだが、実際に彼らからの便りがあった日、訪問があった日は少しだけ表情が和らぐのだ。
「俺のことは気にするなと言ってあるんだが……奴ら、人の話をまるで聞かねぇな」
「そうですねぇ」
最早定句ある文句ににこにこと相槌を打ち、手紙を鞄の中に仕舞うと私は車椅子を押して歩き出した。


「香り付きの馬油もたくさん出ていますね。いつも無香料ですが、たまにはこういうのにしてみますか?」
「好きにすりゃあいい。どうせお前も使うんだろ、欲しけりゃ買え」
「じゃあ新しいのを試してみたいです。柑橘系は好きですか?」
「嫌いじゃねぇ」
手にしていたテスターをリヴァイさんの顔のそばまで寄せると、すん、と一度だけ嗅いで猫のように目を逸らした。少しだけ気に入ってくれたみたいなのでこれに決める。ちなみに彼は不特定多数の人間がべたべたと手で触れたと思しき店の試供品には指一本触れたがらない。
私の日課は、湯浴みを終えたリヴァイさんに寝室でマッサージを施すことだ。不自由になった両脚では立って歩くにしても千鳥足で、ほとんどの時間を座して過ごす事を強いられる。いかな英雄でも人類最強でも、人体の構造は我々と大差ないのだから、身動きをあまり取れずにいれば血行は当然悪くなる。
リヴァイさんはよく自身の手で膝を抱えて脚を組んだりして姿勢を変えているけれど――そうするとただ良い姿勢で座り続けるだけよりも少し楽になるらしい――健康上の処置としては焼け石に水だろう。
手との摩擦で肌が傷ついてしまうのを防ぐために、マッサージ中はオイルを使う事が推奨される。中でも馬油は少ない量でよく広がるのだ。寝具はもちろんそれを油から守るために敷くタオルが汚れるのにすら無言で拒否感を示し、あまり油を使いたがらなかったリヴァイさんも、馬油には前向きになってくれたのだった。
棚と棚の間が広く、車椅子でも入店できる動線の確保されたこの雑貨屋は、すっかり私たちの馴染みの店だ。人の集中する時間帯を避けて来店すれば他の客とぶつかることにも気を遣わずに物色できる。
「リヴァイさん、ハーブティーですよ」
「……そいつを買うだけじゃなかったのか」
「こういうの嫌いですか?」
「好きにしろ」
彼がいつも口にするのは最低限の香りづけのアールグレイやダージリンだが、素敵な趣味なのだから偶には趣向を凝らしてみるのもいいのではないかと提案してみる。
会計までの道すがら、すぐに立ち止まってあれもいいこれもいいと陳列棚に釘付けになる私に、リヴァイさんは急かさずに付き合ってくれた。言葉は不躾で無愛想でも声色に冷たさはないし、所作や視線に催促の色はない。
試してみましょう、と香りを象徴する果実や花の絵の描かれた可愛らしい包装紙の茶葉を棚から取る。夜に楽しむとして、相反する香りがぶつかっては気分も削がれるだろうと、馬油と同じ柑橘の香り……レモンマートルとレモングラスをベースに、ベルガモットをブレンドされているものを選んだ。味はアールグレイと大差ないはずだからハーブに不慣れな人でも楽しめるはずだ。


店を出ると、風船や菓子を配っているピエロが子供たちに群がられていた。全体を白塗りにした顔に、チェリーや林檎を思わせる赤い鼻、暑いだろうに縞模様に色とりどりの服を着込み、手袋で指の先まで晒さない。全身、そして細やかな所作のひとつひとつで夢の国の使者に扮して、子供たちに菓子を配る。
マーレを視察した際にも似たような道化を見かけたと聞いているが、今と当時では時勢が違う。潤沢な富の象徴である娯楽としての道化だったあの頃とは異なり、いまの彼らは先行きの見えない五里霧中の現状で、子供たちにせめてもの笑顔を思い出させるため、精一杯戯けているのだろう。
微笑ましい光景を尻目に、石畳の上に車椅子を転がして通り過ぎようとした時。
「そこのボク、甘ぁいチョコレートはいかがかな?」
とてとてと愉快な歩みでこちらに近づいてきたピエロが言った。私は堪らず凍りつき、車椅子を押す手を止めてしまう。リヴァイさんは自身ではなくすぐ近くの子供に向けた問いかけだと頑なに信じようとしているのか返事はおろか振り向きもせずにいる。しかしピエロが話しかけているのは絶対リヴァイさんだ、どう考えてもリヴァイさんだ。
声の矛先は明らかにリヴァイさんで、それはもう彼の肩に矢の如く突き刺さっているのだが、四十路の矜持かいいやまさかという疑念か頑なに首を回さない。
「――君だよ」
リヴァイさんの耳元に、派手な色の口紅を塗りたくった唇を寄せ、ピエロが囁く。それは最早追い討ちだった。リヴァイさんの俯きがちな顔に影が落ちる。
「姉弟かな? 可哀想に、弟さんは足が悪いんだね」
ぱ、と顔を上げたピエロは私を姉と勘違いしているような口ぶりで、微動だにしない“弟さん”ではなく“姉”の私にチョコレートを握らせてきた。
「あとでお姉さんと食べるんだよ、ボク」
軽快に踵を翻し、ピエロは新たな子供に幸福のお裾分けに向かっていく。
「か、顔が見え難かったんですよ」
リヴァイさんは答えてくれなかった。


電気という文明の灯りに触れても尚、揺らぐ炎の静けさを帯びた明かりの方が親しみ深い。壁内にいた頃から書き物をする手元を照らしてくれた明かりをそう簡単に見限る事はできなかった。懐古主義と鼻で笑われそうではあるが、私たちの話し声に姿を揺らめかせるランプの灯火は、鼓動を穏やかにさせる。
よろよろと立ち上がるリヴァイさんを、断られると予測しつつも横からそっと支えて、ベッドに腰掛けてもらう。灯るランプの横には日中に購入したばかりの馬油と、ハーブティーを注いだカップが二人分と、コーズィーを被ったポットがあった。檸檬に酷く似たハーブの香りが爽快に鼻孔を目覚めさせる。
リヴァイさんは軽く肩を捻って、失った指のない左手をカップに伸ばすが、指先はソーサーの一歩手前に着地し、そこを引っ掻いた。右目を失明しているせいで暗がりだと距離を見誤るのだ。
「どうぞ」
「助かる」
私はソーサーごとそれを取って、リヴァイさんの胸の前まで紅茶を運んだ。彼は左手の五本の指でカップの縁を鷲掴むように持ち上げ、口元に寄せる。
変わり果てた世界と生活の中で、変わらないものを見つけると、それは宝物のように煌めいて、私を安堵させた――例えば、そう、彼の紅茶の持ち方とか。
リヴァイさんのソーサーを手に取りやすいベッドサイドテーブルの隅に置いて、自分も紅茶を一口、口に含む。
「いい匂いですね」
「悪くねぇな」
「次もこれにしましょう」
ベッドボードに背中を凭れさせたリヴァイさんが、夜陰と照明の狭間で淡く微笑んだ――ように思えた。表情に笑みの影はないのに、声色があまりにも優しいから幻想でも抱かせられたのだろうか。
お互いに一杯の紅茶を飲みきった頃、私はリヴァイさんの足元に乗り上げてマッサージに取り掛かり始める。最初、彼が飲み干すと同時に始めるようにしていたら、私が飲み残しのあるカップを放って、脚を組まなく揉み終えてから冷めた残りをくいと飲み干していることを気にされて、彼は自分の分を随分ゆっくりと楽しむようになった。私が飲み切るまでの時間稼ぎだ。焦るなともゆっくり楽しめとも口で言われたことはないが、静かな所作の空白には楽天的な解釈の余地が大いにあった。
寝間着の裾を膝の下まで捲り、脹脛を空気に触れさせる。昔はそれこそ足の爪に至るまで筋肉の鎧を纏っているような頼もしい体つきの人だったが、不自由な暮らしの中で下半身は特に衰えつつある。切ないことだ。
「馬油、塗りますね」
念のために脚の下にバスタオルを強いたあと、平たい缶の中から馬油を指で掬い取る。指先の体温で油をなじませた後、すう、とリヴァイさんの脛にそれを伸ばしていった。
リヴァイさんは感情や体調の機微が顔色に反映され難いみたいではあるが、風呂上がりには躰の末端まで生き物らしいぬくもりが行き渡っており、彼も人の子だと実感、否、体感する。鬼でも悪魔でもない。
人肌に触れて、馬油が淡くつけられた香りを放つ。舌の上に残る宣告の紅茶に風味に似た、柑橘の香り。鼻から遠い足元に使っているから彼の嗅覚には届かないかもしれない。好きにしろとぶっきら棒に選択権をこちらに寄越してきたのは、結局塗り込む側である私が一番嗅ぐことになるからだったのかもしれない。
踝から膝裏に掛けてをさすりあげるように揉みほぐす。お前の指は細いから刺さる、と眉を顰められてからは、握り拳を拵えるとぽこりと浮き上がる指の付け根の骨で。私の指の腹と彼の肌の上に挟まれた油が心地よく蕩け、薄く引き伸ばされる都度、甘い香りが際立った。
時折リヴァイさんの吐く短い吐息が、鼻にかかったような幽かな声が、何か違うものを連想させて、気が気でない。なるべく余計な思考に頭を割かないように、目先の業務の遂行に集中した。
マッサージを終えた私に、リヴァイさんは枕元の方から手を伸ばす。
「そいつを貸せ」
「は、はい」
馬油の缶を手渡そうとすると、彼は私の手首ごとそれを掴んで、捕まえて。
「お前もだ」
くい、と手首を飼い犬の綱のように引く手にはそれほど力は込められていないのに、あっという間に向こう側へ連れ去られてしまうのは、寝台に立てた膝が勝手にそちらへ躙り寄ってしまうからだ。彼に跨る勇気は出ず、その腰の隣にぺたりと膝をシーツにつけて座った。
欠損した右手の親指と薬指と小指だけで缶を握り、指の満足な数ある左手でくるくると蓋を外していく。私が掬い取った分だけ窪んでいる馬油に人差し指と中指を突っ込み、それを掬い上げると、リヴァイさんはそれを私の手の上に広げ始めた。
「あ、あの……」
「礼だ。この時期は油断すると糞みてぇに手先が冷えやがるからな。女は脂肪を溜め込む分すぐに冷えるだろ」
脂肪の話は余計です。でもリヴァイさんに手を握られて掌を揉みほぐされるのは、睡魔に身を任せたくなるくらいに気持ちがいい。肘から手首にかけての側面を、皮膚の下の血管を絞るように念入りに揉まれた。
「リヴァイさんの指、太いからきもちいです」
「そうか、そりゃ何よりだ。いっそマッサージ師にでも転職するか。退役軍人面して生活するのも飽きてきた頃だ……」
素直に告げると、愛想の薄い声色で冗談を仰る。
ぐりぐりと親指の付け根のしこりを潰すように解されて、半生を剣を握って過ごした人の太い指は、刺さるのでなく心地よく肉を押し込んだ。壺らしきところを狙い撃ちにされると反射的に肩が跳ね、逃げ腰になってしまう。
こんなところか、とマッサージを切り上げて、リヴァイさんの手が離れていくことに一抹の寂しさを覚える。
「あ、あの、馬油、ちょっと多いです……」
「そうか。適量がわからん」
貰ってください、なんて私はリヴァイさんの手をより長く握る口実を即席で編み上げた。一度は解かれかけた指と指を再び宙で絡ませあって、すりすりと雛鳥が親鳥の体温を求めるように、リヴァイさんの指にすり寄ってみる。肌をてらりと光らせる油を彼に分け与えるという口実で、手を握って、指先だけで不器用に甘えて。人差し指と中指を失った右手の、指の生えていない付け根の谷間にも、しかと生え残っている薬指と小指、親指にも、隈なく油を纏わせていく。
本当はリヴァイさんと瞳を絡められないだけだというのに、手を触れ合わせることに集中している健気な自分を演じて、視線を意図して俯かせたままでいると、あるところで彼の異変に気づいてしまう。枕とベッドボードを背もたれにしているリヴァイさんと、斜めから向かい合って隣に腰掛けているせいで、脚の狭間の服の下に埋もれているはずのそれが私に関心を示して浮き上がっていることは、見て取れてしまった。
動揺する心臓は明らかにまばたきの回数を増やしてしまったため、私の気付きは隠す暇さえ無く彼に悟られていた。じっとりと、物を言いたげな重々しい双眸が正面から私に突き刺さる。縫い跡の走るかたぎとは思えない顔で凄まれると怖い。喉がひくつく。
「え、あ……血流の変化で起きることなんですもんね。仕方ないです」
「おい、仕方ねぇで済ます気か。そりゃ随分と冷たいな――」
かたん、と軽やかな音を鳴らし、馬油の缶がテーブルに置かれた。私の揺れる心と瞳を鏡映するかのようにランプの灯りが一度だけ震える。
「その気なのは俺だけか? お前が物欲しそうな顔をしてるように見えんのは、俺の見当違いか」
私の顎を指の足りない右手がなぞる。私よりも皮膚の硬い親指が柔らかく唇の中央をつんと突くのは、彼にしてはかわいらしい挑発だ。指により密着させるみたいに唇を少しだけ尖らせ、キスをねだると、ふ、とリヴァイさんは息をつくような笑みを零した。親指と薬指の間に顎を挟む形で掴まれる。
この人はティーカップを妙な持ち方をするが、キスをする折も顎を救うというより丁度カップを持つような力加減で下から掴むのだ。怒らせた日にはそのまま握力だけで顎の皿の骨を粉々に砕かれるのではと恐ろしくて堪らないが、かけられるちからはとても優しい。
キスをして、見つめ合う。唇を重ねている間の沈黙を離れてからも引き摺った。
「乗れ」
「重いですよ」
「不毛なやり取りだな。いつものことだろ」
彼の筋力はいつになれば衰えを見せるのだろう。不変でも不滅でもあるまいに、それを疑いたくなるほどにいつまでも頑丈だ。
引き締まった腕に腰を抱き寄せられるままおずおずとリヴァイさんの膝に跨がれば、あっけなく私は彼の座高を追い抜いた。膝立ちで、痛ましい隻眼を見下ろしながら、瞼を横切る顔の縫い目をそっと指で辿ってみる。縫い目は線路のように唇を横断しているから、キスをしていてもよくわかった。顔の薄い皮膚の上に凹凸を作っているそれを上から下まですっかりなぞりきり、唇を縫い目に差し掛かると、往復する指での愛撫が焦れったいのか下からリヴァイさんに唇を奪われた。
「ん……っ、ふ……」
肉の厚くてかさついた唇に下唇を吸われ、開けろと促された歯の門を大人しく開く。躊躇なく連れて行かれる舌は、合わさった唇の狭間で絡まった。喰われるようでありながら上品なキスで、口の周りに唾液が散ることはない。
角度を変えて口付けられる度、リヴァイさんの唇の上に走る傷跡が神経をくすぐって、堪らなくなる。でこぼことした縫い跡の異物感は却ってキスの中では際立ち、媚薬として作用した。
上顎を舐められて震えた背筋は、気づかぬうちに弓なりになろうとするが、頭と腰をがっちりと捕まえられ、リヴァイさんから距離を作ることだけは絶対に許されない。自分の肉体が少しずつ彼に征服されていく過程に、興奮が躰の芯を熱する。
腰に回されていた手が脾腹へと移ろい、服の裾に忍び込む。今度は直接に脾腹を下から上へ撫で上げられ、背筋が震えそうだった。至る所をくすぐっては私の反応に愉悦していたリヴァイさんが、正面から服の釦を外し始める。するり、と肩から袖を抜かれ、脱がされた上は彼の背後のボードに掛けられた。
リヴァイさんは床に服を脱ぎ捨てることを嫌う。適当にかけるだけでは皺が寄るから本音としてはきっちり畳んでおきたいところらしいが、すぐに先に進みたいときはこれが譲歩だ。
「私も……脱がせたい、です」
「勝手にしろ。俺も好きにやらせて貰う」
言いながら、背中に来ていた彼の手が速やかに下着の留め具を弾いてしまうので、私は慌てて彼の寝間着の釦に指をかけるのだった。
男性としては小柄で、帽子などで顔が隠れていると少年と見紛われることさえある彼だが、躰を隠すものを一枚一枚失っていくにつれ鍛え抜かれた肉体美がその正体を現す。昔よりは薄くなったとはいえ、復興のための肉体労働に意欲的に飛び込んで行くせいで、まだ腹筋は割れていた。
リヴァイさんの寝間着の上と、私のブラジャーと寝間着の下がベッドボードに重ねて掛けられる。
上裸のリヴァイさんと、ショーツの一枚だけを残してほとんど裸身である私を、心もとない照明が部屋に浮き上がらせた。
「すっかりベルトの跡、つかなくなりましたね」
「もうあの兵服にもどれだけ袖を通してねぇだろうな」
昔は暑い胸板の上に、まるでそれを戒めるかのような幾本ものベルトの跡が赤々と残っていて、私はそれを指と唇でなぞるのが好きだった。かつて赤く染まっていた箇所を脳裏に思い起こしながら、記憶だけを頼りに指先を滑らせてみる。
「そうやってお前はベルトの跡を撫でるのが好きだったか。くすぐったくて仕方なかったが、無くなっちまうと寂しいもんだ。習慣ってのは」
過去を愛でるように呟いたその唇で、リヴァイさんは私の首筋に口づける。鎖骨に胸と少しずつ降りていく唇に睫毛も背筋も震えた。
これが最後やもしれない、とひとつの覚悟を飲み干し、後の“天と地の戦い”へ赴くリヴァイさんとキスを交わした時、彼は包帯も取れて間もなく、顔に縫い目を作って初めてのキスだったため、唇の上を通過する縫合の感触は異質で、まるで別人とのキスのようだと思ったものだが――いまやすっかりその異物的な間隔が唇に肌に全てに馴染む。
その唇で胸の先端を淡いちからで喰まれると、敏感な皮膚でリヴァイさんの唇の乾いてかさついた感触も、剥けてめくれかけている皮の段差も、縫合の凹凸も、神経を伝って流れ込んでくる。
「ん、……っ」
リヴァイさんの首の付根に置かせてもらっていた手が彼の肌に縋り付く。
猫背になり、身を屈めて胸を吸う姿にはどうしてか胸が締め付けられる。かわいい、などと四十路も間近の男に抱く情ではないと理解しながらも、そう思う。車椅子をほとんど手放せない生活になり、彼の旋毛に親しみを覚えるほどそれを見ている時間は増えたが、しかしそんな旋毛も自分の胸の中にあるとなれば、背徳感の絵の具で日中とはまた違った様相を呈するものだ。
リヴァイさんの髪の根元に指を差し込み、刈り上げにかかる毛先まで梳けば、爽やかなシャンプーの香りが気配をちらつかせる。そのまま私の手は彼の頬へと伸びて、縫合の線を繰り返しなぞった。
「おい、それは何のつもりだ。お前は最中、やたらと顔の傷に触れてくるが」
「好きなんです」
「は、自分の女ながら悪趣味だな。これだけ長く一緒にいて傷物が好きとは知らなかった」
「リヴァイさんの傷だからですよ。最初は見てるこちらが痛くなりそうでショックでしたが……」
――キスをすると、縫合の跡が当たってきもちいんです。
それに、あなただと、すぐにわかる。
「ほう」
短く零すリヴァイさんに表情の変化は見られなかったが、左目の三白眼が興味深そうに煌めきを得たのを、私は見逃さなかった。
「後ろを向いてケツをあげろ」
「えっ……」
とうとつな、恥を掻き立てる命令に頭が凍りつく。
「聞こえなかったか? 舐めてやるからやりやすい格好になれと言っている。俺は気が短い」
お互いがお揃いの石鹸の香りを纏い、どこもかしこも清潔に変わったあとでは、例え何処に顔を寄せられても断る言い分がない。抱き合う前に躰を清めるのが半ば約束とかしているのは、まず第一に彼の潔癖さ故だろうが、それによって、汚いから嫌ですなどという在り来りな躱し方は選択として絶たれる……というよりも、言ったところで叩き切られるのだ。彼の狙いはあくまでも互いに清潔を保つことにあり、私の言い訳の種を潰せることなど副次的な恩恵でしかないのだろうが。
さて、再三記してきたことだがリヴァイさんは脚が悪い。柔らかいマットレスの上であろうともそう易易とは姿勢を変えられない。なので舐めて貰うとすれば私は仰向けに寝転ぶのではなく、四つん這いになって、彼の仰ったように彼の顔に臀部を突きつける必要があった。あれは本当に恥辱的だ。好いた人の眼前に自ら肛門を晒すのは耐えられない。
「む、無理です。あれ嫌です。絶対汚い……!」
「ああ? ついた糞を洗い残すような甘い洗い方をしたってのか」
「そ、そんなこと言わないでください……」
でも、自分の裡に潜む雌が戦慄くのを感じる。彼に加虐嗜好は薄いのやもしれないが、私には被虐に対する悦楽が、少しだけあって、また心地よい。
「いいからつべこべ言わずにケツを出せ」
「うぅ……」
私はリヴァイさんの膝から降りると、膝の隣に彼に背を向けて座し、上肢を前へと倒した。女豹のように膝を立てて前に伏せ、彼の前に尻の双丘を強調する。
「このなりだ、昔ほど激しい抱き方はできやしねぇ。少しはこうして楽しませてやらねぇとな。いつも似たような格好じゃお前も物足りねぇだろう」
「そんなこと、」
ないです、と続くはずだった。
シーツの擦れる音と、形を変える皺から、リヴァイさんが膝を手で抱えて姿勢を変えているのがわかった。
「そうか、後ろから立ったまま犯されていつもよりあんあん声を上げてやがったのはどこのどいつだったか……。窓辺でいつ誰が通るかもわからねで、そんなアブノーマルなところでするのがお好みだったもんなぁ、てめぇは」
「ひぁっ」
彼の指と思われるものがショーツを履いたままのそこに滑り込んできた。肉の割れ目の深さを確かめるように中央を縦に往復する。目を閉じたのは、その先を知っている大人には焦れったくなるような刺激を耐え忍ぶためではなく、クロッチに点々といけないものを零し濡らしてしまったことをきっと知られただろう、と覚悟したからだ。
「もうこんなにしやがって……厭らしいな、おい」
「……っ」
卑しい水を吸って濡れた布地の上から、皮膚の奥に潜む蕾を探り当てると、そのまま円を描くようにゆっくりと撫で回される。その指先はすう、と後ろへと引き戻され、筆のように筋をなぞった。閉じたひだの一歩後ろ、液を滲ませる窪みに第一関節で曲げられた指の先がかかり、くい、とそこを押し込む。それによってショーツは染みを濃く広げた。
「もどかしいか?」
腰を震わせた私にリヴァイさんが問いかける。その間も、指はくにくにと折り曲げられ、クロッチの外から膣をいじくり回した。
「……しかとか。いい度胸じゃねぇか。いや、もう俺達に立場は関係ない。知ってるだろ、なまえ。俺は存外寂しがり屋だ。無視されるのは堪える」
「っ……、へい、ちょう……」
「今はただのリヴァイだ」
「直接、触って……欲しい、です。恥ずかしいとこ、触ってください……」
「もっと厭らしくねだらせてぇところだが、まぁいい」
多分、それは右手だ。欠損を逃れた薬指と小指の先がショーツに引っ掛けられ、潔い速さでするりと腿まで降ろされた。尻の肉が酸素に触れたからには、きっと排泄のための穴も彼の視線の触れやすい箇所に晒されている。死んでしまいたいのに触れて欲しい。恥と欲が衝突し、矛盾にを織りなす。
くしゃりと丸まったショーツは膝を超えないまま腿に絡みついたままだ。内腿に差し込まれた手によって脚を少し開くよう促され、従うと、またその狭間に彼の手が這い寄った。
先程と同じようにリヴァイさんの左手の指が恥丘を割って一往復する。動きは先程と大差ないはずだが、隔てられていた布が取り払われたことで彼の低い温度を生々しく感じられ、なまじそれが求めていてようやっと与えられたものであるせいで、それだけで内腿が震えを帯びた。
「少し撫でただけで俺の指がこのざまだ」
振り返るのは心の何処かで甘くなじられることを望んでいるから。リヴァイさんが人差し指と親指をくっつけ、離すと、ぬち、と粘性のあるまさに蜜である液が指の間に糸を引く。鋭い三白眼でまじまじと観察されると困り果てた。意地悪だ、でも好きだ。
ぬかるみの全体像を確かめるようにリヴァイさんの指は窪みの周辺を念入りに調べていく。尿道の側の肉の芽に指がかかって、肩が跳ねた。
「腫れてこりこりになってやがる……。舐めてやろうか?」
それはあくまで提案で、彼は硬い指先で陰核を虐めるばかり。
「どうする」
あくまでこちらに委ねる口ぶりだ。答えられずにいる沈黙の間、執拗にそこをくにくにと捏ね繰り回され、リヴァイさんの指の腹の上で硬く膨れて育っていく。彼も彼で自分で言ったように気は長くないのか、ぐりっ、と核を強めに押し潰され、回答を催促をされる。
「ん、ぁ……っ、な、舐めてください……」
自分で自分の尻たぶを後ろ手に掴み、左右に広げてみっともなくぬかるみを捧げる。
「うぁっ……!」
濡れそぼった肉を蜜を吐く窪みに押し当てられ、それがリヴァイさんの舌だと理解する前に悲鳴を上げていた。
臀部を彼に突き出した四つん這い。ざらついた舌の表面が割れ目を押し開きながら何度も往復する。尖らせられた舌先がひだを割りながら行き来する度、先端が悪戯にクリトリスを撫でていくのが堪らなく気持ちがいい。
「んっ! ひっ……あぁ……っ」
「糞……そうびくびくされちゃお前の好きなところを舐められねぇだろうが……。善がるのは構わんが邪魔はしてくれるなよ」
「ごめんなひゃっ、んっ」
がっつりと腰を捕まえられ、波打ち際の魚のようにぴくぴくと跳ねる躰を叱られる。だって、だって、などという言い訳のために開いた口から漏れる嬌声。はしたなく口を開ける膣を丁寧に舐められ、構いたがられる陰核には指を添えてくるくると撫でられる。
恥も忘れ去り、もっと奥まで欲しいだなんて腰を突き出すと、応えるようにリヴァイさんの顔が深く沈んでいく。綺麗好きな人がなんてところに顔を埋めているのだろう。罪悪感と背徳感とで性感はよりいけない方へと高まった。彼はそうやって、私の中から溢れるもの全てを吸い上げてくれる。
潔癖とは言うが仲間の血液を汚物と蔑んだことは一度も無かった。死にゆく部下の血みどろな手を躊躇なく握ってしまえる人。疲労の反応として鼻血を噴き出したエレンに自らのハンカチを手渡していたとも聞く。いや、その思いやりを女の股を舐めることに割かないで欲しい。汚いのに――尻込みする理性は快い刺激に引き千切られ、恥辱は忘れられたしがらみのように解けて消えた。
「あ、ぁっ、それ……そこ、熱い……っ。いきそ、ですっ」
愛撫を止めない指との摩擦で陰核がじりじりと熱を帯びていた。力の籠もり始めた下肢から、限界が眼前であることを悟る。高く上げた腰、きゅ、と肛門が締まる。膣の肉が波打っているやもしれない。排尿の折みたいに嫌に股の肉が緩み始める。じり、と爪先のあたりで発生した違和の波が、意識に認めた次の瞬間には腰まで登り切って、私を果てさせていた。かくかくと膝を笑わせながら、何か縋るものを求めてシーツを引っ掻く。
――絶頂の最中でも責めの手が休まることはなかった。ひぅ、と喉が鳴る。声にならない悲鳴だ。
火傷したようなクリトリスは相変わらずリヴァイさんの指の上で転がされており、一度目の絶頂に更に新しい快楽の波が重なっていく。びく、びく、と大きく痙攣すること数回。息を切らすばかりで、狂乱の如く続けさせられる快楽が一度白紙に戻った頃、解放された。
「は、ぁ……う……」
「……は、やっといきやがったか」
頭痛の予兆の火花に似たものが飛び散る頭をなんとか冷やし、寝台の上に起き上がると緩慢な視線をリヴァイさんに投げかけた。視線はおのずと仄かに隆起したその股間へと向いてしまう。この行為がどんなに日常と生活の一部と化しても、彼が私のあられもない姿に興奮を示しているという事実はいつだって甘美だ。
再びボードに凭れて座り直したリヴァイさんの近くへ膝で進む。
「足開いて跨がれ。まだ少し慣らさねぇとな」
「あ……汚れちゃいます。リヴァイさんも下、脱がせていいですか」
先刻同様にリヴァイさんの両脚を跨ぎ、腰はくださず浮かせたままかちゃかちゃとベルトの金具に手をかけていく。下を脱がせれば古傷の目立つ脚が露わになった。服の上からではなだらかに膨れているかのように見受けられた其処も、守るものが下着だけとなるとその隆起の形がよりくっきりと鮮やかになる。顎を伝いそうになる唾液をぐっと喉へ押し込めた。
ぬかるむ秘裂に差し込まれたリヴァイさんの中指が、第一関節程度まで私の中に入り込む。指と肉壁との隙間を埋めるように小刻みに震える人差し指が添えられて、ずぶずぶと押し込まれていく。少しずつ二本の指を埋められては引き抜かれることを繰り返され、深くまでかき混ぜられた。
もう待てないと告げるように向かい合わせの彼の昂りを撫で付けると、熱く張り詰めたそれは私が触れた途端に大袈裟なほど反応を示す。
「……おい、」
「だめ、ですか」
私は甘ったれた手付きでリヴァイさんの傷跡の刻まれた頬を撫で擦る。
「好きにしろ」
お決まりの科白。
勝手に彼の下着をずらすと、鎌首をもたげた陰茎が涎の露を先端から滴らせながら私を見上げていた。髭同様に下生えも元々濃くはないらしいが、衛生面を気にして整えられている――余興として処理をさせられたこともあるがあれは刺激的だった――。
リヴァイさんはサイドテーブルの小さな箱から避妊具の包みをひとつ取り出す。壁の中にいた頃は羊の腸の鞘を被せて否認していたが、マーレを始め文明の進んだ大国、大陸で普及しているのはゴム製だ。ケミカルな匂いに首を傾げていたのも最初だけで、いつしか使い慣れてしまった最新の避妊具。
それをリヴァイさんは赤黒く熱り立つ自身に纏わせた。
「掴んでろ。てめぇで挿れれるな?」
「は、はい」
指の欠けた右手に手を取られ、そこへと導かれる。淫猥な代物を手にし、左右に開いた己の脚の狭間へとそれをいざなう。はしたない入り口は待ちわびた熱をかぷりと素直に咥えてくれた。
やがて、根本まで埋めきると、声を噛み殺すことに躍起になっている私の唇にリヴァイさんのそれが重ねられた。心の器の淵から溢れそうな喜びを逃がそうと、鼻から抜けるような息を漏らすと、それさえ喰らう勢いで噛みつくようにキスされる。いつしか自ら差し出していた舌を一際強く吸われると、意識がかき消えるほどの官能が襲う。ぴちゃり、と唾液の交わる音色で脳髄が焼け焦げた。
「んっ、ぁ……りばい、さん……おなか、あっつい……」
「嗚呼……お前の腹の中も熱い。ひくひくうねっていやがる」
腰を引き寄せられれば胎に詰められた大木のようなそれがごりっ、と肉壁を抉る。背筋から脳天にかけて突き抜けるような快感に襲われ、零した悲鳴は深いキスに打ち消された。
リヴァイさんのペニスは長さこそ普通より少し大きいくらいだが、いかんせん太さが凶悪だ。私の胎にぴったりと栓をしきって、少しの動作でも肉壁と擦れて、敵わない。
跨っているリヴァイさんに体重をかけないよう気を配る余り、躰の均衡を上手く保てずにいる私は善がる都度ぐらついた。ついに堪忍ならなくなり、彼の胸板に品垂れかかると、大樹さながらにしっかりとした体幹で力強く支えられる。
「俯くな。ご近所さんを気遣って声も出せねぇのに顔まで見れねぇとなっちゃ寂しいだろうが」
引き締まった胸元に寄せていた額を離したのを合図に、キスの再演が始まる。
ベッドの軋む音と共に、卑猥な水音が天井に弾けた。ゆらゆらと真下から揺さぶられながら、必死になって舌を伸ばして彼のそれと絡め合う。譲り受けた唾液は甘すぎて、それだけで酩酊しそうだ。
「はっ……、ん、っ、糞、動きづらいったらねぇな……っ。まだリハビリが足りねぇか……」
「無理……っ、なさらないで、ください。私、動きますっ、から……、大丈夫です……」
ピストンは腰を使うとはいうものの実際は脚の運動力も要になってくるらしく、昔ほど激しく雄々しく抱かれる事は無くなっていた。今は騎乗位が主で、なるべく私が動く。無体を強いられることは減り、良くも悪くも瑞々しさは失われたけれど、老成や成熟も悪いことばかりではない。甘く長く、みなもに揺れるような夜も好きだった。
リヴァイさんの上に乗って馬鹿みたいに揺れるのは、彼の掌の上で踊らされているような、転がされているような、そんな心地がする。主導権がこちらに渡ったかのように見えるが、実際は今でも私はこの人に翻弄されていたし、自ら其れを望んで、選んでいるのだった。
「りば、さん……、わた、し、うまく、動けてます、か……っ?」
「嗚呼、絶景だ。腰だけじゃなく、もう少し上半身を意識してみろ。もっとよくなる」
「あ、ぅ……は、いっ」
骨盤を前後にくねらせ揺すっていた動きを、肋骨の下辺りから力を入れるように変えてみる。
「――っ、悪くねぇ」
幽かに形の良い眉を切なく潜めたリヴァイさんの、その粗暴な賛美にきゅうんっと胸が鳴る。
きっと彼にはまだまだ足りないはずなのに。怪我の影響で下半身の感じ方が鈍り、精を吐くにも時間がかかるようになったそうだから。
まだ残る青々しい若さと、一歩壁の外へ出れば死地だという追い詰められた状況から私を荒く抱いた昔。今は自らを満たす刺激を得るためにも激しく腰を揺すりたいであろうに不自由な躰がそれを許さない。なんとかしてリヴァイさんにもよくなって欲しいのに私の性技はいつまでも成熟しないし、この人はこの人で「満足させてやれなくてすまない」だなんてしおらしく宣う。
「や、だ、だめですっ」
突如、陰核へと伸びたリヴァイさんの手を私は咄嗟に捕まえた。少し視線を下ろせばすぐそこに結合部があり目眩がする。
「あ? それのどこが駄目って面なんだ?」
「まだっ、そこ、じんじんするんですっ。いっちゃう、からっ! やめてくださ、ひ、ぁ……」
「いい、我慢するな、いっちまえ」
後ろから口淫をされた折に指で散々構われた陰核は、未だあの余韻を残し、焦げ付くような間隔を反芻していた。羊の腸に肉を詰めるようにぎゅうぎゅうに胎を彼のもので満たされながら、痛いほど腫れたしこりに親指が這う。ぷっくりと膨れた核の頂きとも呼べる場所を指先が掠めると、それだけで引っ掻かれたような刺激が脳へ続く神経に響いた。
「あぁっ、や、ぁ……っ、もう、やぁっ。じんじん、しますっ。くり、あつい……っ、熱くてっ、嫌です……っ」
中と、外と。同時に加わる摩擦。薬味さながらの強い刺激はそれまでで、くるくるとクリトリスの形状を象るように指で円を描かれていき、其れが何周目かに達する頃、私は胎の裡からせり上がるものを自覚した。来る、来てる。今度はリヴァイさんと繋がっている分、膣のうねりが自分でも手に取るようにわかった。
「リヴァッ……イ、兵長……!」
「どうしてか、お前は……っ、やってる最中だけは、その呼び方に戻るらしい……」
「ぁっ――……!」
喉仏を震わせながら僅かに息を上げているリヴァイさん。私の絶頂に伴う締め上げが心地よかったのやもしれない。彼をもまた絶頂に導くには少し足りなかったらしいのが心残りだが。
リヴァイさんの真ん中よりやや右で分けられた前髪から、雫がぽたりと高い鼻筋に落ちる一瞬にさえ、震え上がるほど興奮した。汚えな、と軽い舌打ちとともに乱暴に汗を拭う荒っぽい手も、腰を掴む大きな掌の皮膚のざらつきも、足りない指も、愛おしい。鎖骨にかかる吐息ですら心地よく、それだけでまた果てそうだ。
「リヴァイ、さん……」
汗ばんだ彼の額を、頬を、撫でていく。
繋がったまま見つめ合い、すっかり営みの余韻に浸るといった具合の空気感だが、彼はまだ達していない。私の中で未だ芯を持っているのがよくわかる。リヴァイさん、と名を呼ぶ度に中でそれが脈打つのだ。
「情けねぇもんだな、とんだ遅漏野郎になっちまいやがった。本当なら頭の螺子二、三本外れて、精子で腹が出るまで犯し尽くしてやりてぇところなんだが」
「ゆっくりできていいじゃないですか」
「どうだかな。まだへばってくれるなよ」
私は疲弊の色を乗せつつある腰を緩慢にまた揺らす。見栄えのする大仰なくねらせかたは、一度果てた今、体力的にも厳しいところだが、彼にもよくなって欲しい一心で鞭を打つ。その甲斐あってか、ふっと彼が笑う気配が夜陰に溶け落ちる。あまりに拙い揺さぶりであろうにリヴァイさんは力強くキスで口を塞いでくるからまるでこれでいいと褒められているみたいだ。歯列を彼の舌で丹念に舐られると、あっという間に身体から力が抜けて、腰の動かし方、殿方の悦ばせ方も忘れそうになる。翻弄されてるだけが仕事のように、いっぱいいっぱいになっている。
「あっ、わたしが、したいのに……っ」
またもやリヴァイさんの手に触れられたことで、隆起したクリトリスの存在を躰が思い出した。悩ましいほど気持ちのいいものを敢えて制止するのは、翻弄も奉仕も一方的にされ続けるだけでは肩身が狭いからだ。
「ここを触った方が締めるだろうが、お前は」
それでも彼の指使いには堪らず生唾を飲んでしまう。
俺がまだ出してねぇだろうがよ、それまではへばるな、と凄みを聞かせて言う癖に、見ていて気分がいいからとこちらの疲労に繋がる快楽を与える手は休めない。かわいくない身勝手さはいっそ凶悪だが胸はときめく。
「ん、そうだ、腰落とせ……、もっと奥だ」
「ひぁっ……! ふ、ぁっ……、はいっ」
快楽への生理的な恐怖、それゆえの抵抗を押し殺し、突き刺されるために腰を落とす。自ら最奥を明け渡すのはやはり恐ろしくて、しがみついたリヴァイさんの首筋にはらりと涙の粒を流した。ぐる、と陰茎で肉壁をなぞるようにかき回される。まさに逃げ腰で、浮きそうになる腰を駄目だと嗜めるように、そして追うようにして突き上げられた。擦れる粘膜から、びり、と火花が散る。ぴとりと二枚貝の如く合わせている肌から彼の心臓が奏でる鼓動を感じた。
「あー……、糞、出るっ……。なまえ――、んっ、く……っ」
私を呼ぶリヴァイさんに、余裕を失した手付きできつく抱き締められたとき、背骨の軋む音の中に私は幸福を見た。


事後処理もそこそこに、私はベッドの上で膝立ちになったまま、リヴァイさんの股間に顔を埋めていた。
避妊のためのゴムを取り払って酸素に晒された其れは、未だ芯を残しており、私の口の中で少しずつ硬さを取り戻しつつあるのがわかる。彼が吐き出した精の大半はゴムと共に屑籠に投げ捨てられたが、僅かにこびりついていた分の所為で粘膜自体に少し苦味がある。それを綺麗にするつもりで、舌を這わせればより苦い。竿の半ばに居残る白濁の破片を舌で掬い、先端の手前、くびれの溝になっているところにも舌先を差し込む。先端をぺろ、と丁寧に舐めて、尿道の残滓をちゅうと吸い出しせば、彼は満足げに溜息を吐いた。
――汗だくだ。そのまま寝るなよ、最低限拭いてからだ。
――お風呂入りますか?
――悪いことは言わねぇから明日にしとけ。すっ転ぶぞ。
年甲斐もないセックスで舞い上がった心拍がその音が速度を落とし始め、耳元にかかる吐息も落ち着いて、抱擁が解かれて、間もなく。
是非とも反論したいところだったが、今立ち上がれば歩くだけで膝が笑い始めることは必至だろう。それにできれば一緒に湯に浸かりたい。暗がりで脚の悪い人を浴室に連れて行くのは危うさを孕む。兵団時代はそのまま抱き上げられて浴室へ担ぎ込まれ、一緒に湯を浴びたものだが、今は一通り汗を拭いてシーツを変え、朝を待ってから、という流れである。
私がベッドの下に収納してある箱から予備のタオルを幾つか引っ張り出すと、彼はそれを私の手から奪い、私の汗を拭いてくれた。
――……おい、何をする気だ。
怪訝な声が降ってくる。透明の膜を外され、外界に放り出された彼のペニスに顔を寄せた私に、声色と同じ怪訝を宿した眼差しが穿つ。きれいにしたい、と願望をありのまま伝えた私をリヴァイさんは自由にさせたのだった。
「ふ、は……っ、ん、きれいに、なりました……?」
「たまんねぇな、くそえろい」
舐めている間ずっと、私のつむじに突き刺さっていた彼の視線は、今私の口元に注がれている。涎か精液か先走りかそれ以外かわからないもので濡れててらりと光る私の唇に、欲を湛えた三白眼は釘付けなのだ。リヴァイさんの瞳を独り占めする唇で、私はまた首をもたげた亀頭を中心にキスを落としていく。触れる肉の間食を楽しむだけの軽いものを繰り返し、徐々に吸いつくようなものに変えていくと、彼は小さく息を漏らした。落下した吐息を辿るように上目遣いに見上げると、リヴァイさんは平素の如く眉根を寄せていたが、それは険しさよりも切なさを感じる表情で。仏頂面というにはあまりに色めいた顔つきをしていた。
「それじゃ出るものも出ねえよ。手も使え」
「ふぁい……」
ふに、と口の中央に押し付けられた先端で唇を割り開かれる。リヴァイさんの目は爛々と光り、犯すように口腔へ押し入る芯をまじまじと眺めていた。
歯の扉をこじ開けて侵入してくる亀頭を舌先でぐるりと一周し、そのまま裏筋を上下に辿ってくびれまで戻る。両手は最初、彼の根本から幹にかけてを握っていたが、あるとき悪戯心を起こして陰嚢をやわやわと揉みほぐすように弄ぶと、リヴァイさんは少し腰を引いた。とにかく彼を絶頂に導くために、私は刺激の手数を増やしていく。
そんなことを何度か繰り返しているうちに、彼が私の髪を掴んで股間を口元に押し付けてきた。もっと強く吸えということだろうか。見上げれば、何かを急いているような三白眼とかち合う。熱くて焦れったい眼。どうしよう、好きだ。応えるように、ちゅ、ちゅう、とペニスを啜る。
「口、開け。歯、立てるなよ……」
言われるがまま大きく顎を開くと、覚悟を決めるよりも先に猛々しい怒張が喉の深奥まで突き入れられた。粘膜の隙間すら潰す程に詰め込まれると、雄の香りが濃く鼻孔を突き上げる。とん、と行き止まりを先端に叩かれた瞬間、喉がひくついてえずきそうになった。唇や鼻先を彼の整えられた陰毛がくすぐる。
「逃げるなよ」
酸素を求めて身を引こうとする私の髪を掴み、リヴァイさんが荒っぽく引き止めた。
「……っ、ぅ……」
引き抜かれ、休む間もなく押し込まれ、足腰が不自由な分私の頭も玩具さながらに揺さぶられた。酸欠で霞んでいくばかりの脳に稲光の如く苦しさと淡い快感が閃く。
「……ふ、ぁ……う、んぐ……っ」
息継ぎの仕方も記憶の彼方に飛んでしまって朧げだというのに奉仕の仕方だけは頭の中の手の届く場所にあった。無我夢中で舌を絡める。
「いいぞ、もっと締めろ」
奇襲のようにずぷっと奥を穿たれ、私は眼球をかっ開きながら喉を萎縮させた。途端、熱い飛沫が満潮のように口腔を満たす。びゅう、と勢いを伴って迸ったリヴァイさんの精子は口の端から溢れたり、鼻に繋がる方へと流れたりして、涙が誘われた。二、三度痙攣を繰り返しながら、彼の陰茎は私の口の中でとくとくと精を吐いている。粘りけの薄い精液はさらりと私の舌を撫でつけた。
肉の栓が引き抜かれ、口腔がぞっとするほど寂しくなると、空白を満たすように心の底から湧いてくるのは彼への愛おしさだった。
「吐くんならこっちだ」
ひゅうひゅうと虫の息でいる私の眼前に小さなタオルが差し出される。半ば咳き込むような勢いで頬の裏に溜めていた白濁を吐き出すと、わしゃわしゃと不器用に頭を撫でられた。
水差しから注いで貰った水で口腔の不快感を洗い流したあと、おやすみの言葉を交わす代わりにまたキスをした。
「明るくなったらまず風呂だ。それまで休んでろ」
「はい……。リヴァイさんも……」
「一緒に入るか? ……湯も溜めるか」
くい、とリヴァイさんの指の足りない手を引いて、同じタオルケットに招きこむ。一人で眠りにつくのが寂しくて手を引いた節があった。人肌のぬくもりに触れていると途方もない安堵を得られる代わりに、己が脆くなる気がする。
「寝るの、勿体ないです」
「餓鬼みたいなこと言わずにおとなしく寝てろ。あれだけやりゃあ疲れただろ」
「リヴァイさん、寝ないじゃないですか」
だからずっと喋っていたいんです、と私が言うと、彼は負け惜しみのように言う。
「……仮眠くらいはする」
「……」
「癖みてぇなもんだ、どうにもならん」
安眠とは程遠い人――生い立ちに起因するのだろうか。いつなんどきに敵襲に遭っても対応できるように、いつだって神経を尖らせている。野生界で独りぼっちの手負いの猫みたいに。
「いいからお前は寝ろ」
「うー……」
「俺はどうせすぐに起きちまうが、お前が起きるまでここを動かないでおいてやる」
「絶対ですよ」
「寝顔を眺めてるのも悪い過ごし方じゃない」
「それは、恥ずかしいです……」
時計の秒針の響く中でリヴァイさんは仄かな笑みを唇に乗せた。星の瞬きのような、一瞬だけ。
朝食は何にしよう。明日の朝も、やはり彼の淹れてくれた紅茶に合うものが良い。食後、二杯目の紅茶を楽しみながら、そそくさとシンクを片付けるリヴァイさんの背中を眺めよう。食器同士の擦れる音、洗剤の泡の弾ける音、車椅子の軋む音。すべての音色が鼓膜にありありと浮かぶ。
「明日、は……手紙、書かないとですね」
「また代筆を頼めるか」
「もちろんです。みんな、きっと喜びますよ――」


2023/11/11

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