短編

きみの花を冥土に咲かせる


こんなことで貝になろうとは、我ながら繊細な乙女極まりないと思う。
見てしまった。とびきり嫌なものを。悪夢めいた最悪の現実を。カルデアの女性職員がマーリンに熱を帯びた関係を迫る、その瞬間を。
「あなたの糧になってもいい」「わたしを抱いて」なんていう情熱的な言葉に、私の鼓膜は震わされ、私の心臓は北風に揺さぶられた。
見てしまった。聞いてしまった。遭遇してしまった。
マーリンがどう応じるのかが、怖くて仕方がなかった。彼と彼女の会話を盗み聞きしている立場上、このままではものの数秒で答え合わせが始まってしまう。
脱兎の如く逃走を図った私はマイルームへと駆け込む。
が、しかし、夢魔から逃げたはずが、その夢魔が私のベッドで胡座を描いて待ち構えているではないか。彼は四季も昼夜も問わず春風を纏う男だけれど、今日ばかりは背筋が凍った。

「やぁ、マイロード」

穏やかに私の耳朶を濡らしたテノール。
足元では、絶え間なく咲いて綻ぶ、睡蓮めいた薄紅色の命。

「はぁ、年の功かな、私の予感はよく当たるんだ。先程職員と談笑していた時、君の姿が見えてね――見えたと言っても君の像を捉えたのは千里眼だけれど――少し嫌な予感がしたから先回りさせてもらった。いやはや対面してみてよくわかったよ、君の心の揺れがね」
「よ、読まないでよ、人の考え」
「失敬な。私が人間の心の機微を“知覚”できるのは、人間の精神を喰らうという夢魔の特性に付随する機能だ。いわば第六感のようなものだから、封じろとは無理難題というやつさ」

言葉を編む途中で、ベッドから腰を持ち上げたマーリンが私へと近寄ってくる。反射的に後ずさった私を叱るように、彼の魔術が私を阻害した。

「逃げるなんていただけない。話をしよう、マスター」
「わぁっ!」

私の足元にまでマーリンの花の乱れ咲きが及んだかと思うと、ろくろ首のようにひょろひょろと茎を伸ばした花々が、私のくるぶしに絡みつき、読んで字の如く足を掬った。
均衡の乱れた体はいともたやすく揺らめき、ドスン、とみっともない音を奏でながら私はその場で尻餅をつく。

「今の僕らには対話が必要と見える」

マーリンは壁伝いにへたり込んだ私の眼前で跪いて、お互いの鼻と鼻が触れ合いかねないほどに距離を埋め、破顔した。
逆光の元で笑むマーリンの笑顔は暗く染まり、私は彼自身の落とす影の中に飲み込まれて、隅っこで縮こまっている。まるで蛇に狩られる鼠さながら。

「あの職員と関係を持ったことは一度もないよ。もちろん、カルデアに召喚されてからというもの、私は君以外の誰にも触れていない。触れられても、いない」
「でも、今後、私以外に相手が必要になることもあるかもしれない。君は夢魔だよ。倫理とか抜きに、必要なことなんだから」

花びらが舞い落ちていく。
重たい空気の中で、重力を意識させない軽やかな舞を披露している。
マーリンの艶やかなブーツの上を滑って、ワイドパンツに走る皺の隙間に囚われて、私の膝の上にも散っていく。

「私は、マーリンが好きだけど……、マーリンにとっての私は、おいしい恋情や性愛を食べさせてくれる存在、っていうか。そういう、利害関係でしょ。セフレみたいな。なら――」

夢魔の性を否定するのもおかしいことだ。私はその習性に甘えてからだを繋げてもらっている立場なのだから、束縛だのなんだのと欲を深めるわけにはいかない。
不意に。
ふわ、と。
風もないのに、数輪の花がひとりでに宙に浮かぶ。茎の部分同士を絡ませて、丁重に編まれてゆく。薄紅色の花と花同士が幾つも幾つも連なって、ついにはこぶりな花の指輪ができあがった。
奇跡みたいな光景を実現させた魔術師は、いつものように朗らかに紡ぐ。

「どうだい、上手いものだろう? 君たちは大切な約束事を交わすとき、こういうものを送り合うだろう? だから少し真似てみたのさ」
「……私と何か約束するの?」
「そうとも。君が私を嫌わない限り、私は君以外をつまみ食いしない。まぁ、世間一般でいう“お付き合い”というものをちゃんとしようじゃないか、という話だね」

ぽかん、と口を開いたまま硬直していると、酸素のリングケースから花の指輪を取ったマーリンが、私の左手を攫っていく。その大きな手に、甘い香りの湧き立つ所作に、されるがまま。
気づく頃には、すうっ、と薬指に彼の花の指輪が通されており、私はそれが不思議で仕方がなく。花霞につつまれたような呆けた脳髄のまま、己の左手の薬指を彩る薄紅色の指輪を眺めていた。
マーリンもまた、嵌め込まれたその指輪に視線を落としたまま、言葉を続ける。

「というか、少し残念だった。まさかそこまで信用がなかったとは……。私も身の振り方を考えようと思うほどにね」
「実際そういう身の振り方じゃん……」
「少なくともこの天文台に喚ばれてからの私は、君としかこういった関係は持っていないよ」
「結果論じゃん……」
「ふぅーむ。困ったなー、難題だ……。マイマスター、君はどうすれば私にたっぷりの信用を預けてくれるようになるのかな?」

先程から彼は困ったような面持ちで、その冴えた脳裏にて思考の鞠玉を転がし続けている。日々他者を狼狽させることに精を出しているこの夢魔を、今は私が困らせているのだと思うと胸が空く思いだ。
けれどもそんな痛快は長続きしない。次の瞬間、いつものしっちゃかめっちゃかに場を引っ掻き回す、トリックスターの表情にくるりと転換した。

「あぁそうだ、名案が降ってきたぞ。これからは毎晩片時も君のそばを離れず、睦言を囁こう。君との肉体関係を以て私のアリバイと潔白を証明し続けるんだ。それなら私も毎日満腹になれるし、君の不安の芽もはやくに摘める。まさにウィンウィンの関係じゃないか!」
「なっ! 夢魔ってなんでこうなの!?」
「こう、とは? こういうことであってるかい」

言葉と共に押しつけがましいキスを喰らった。

「――っ、そうだよ!!」

淫らという言葉の意味を言と動のどちらでも体現するから、困った人だ。

「嫌だ嫌だと困った子だなぁ。監視してくれるのではなかったのかい?」
「言ってないから! 承諾してないから!」
「聞こえなぁい」

そうれ、という掛け声と共に私の身体は床から引き剥がされた。花に両のくるぶしを緊縛されていては碌に争うことも許されなくて、姫抱きに甘んじるほかない。
あの複雑なリボン装飾の施された、身の丈ほどもある杖を日常的に帯びているだけあって――そも彼の筋力は数値にしてBランク――私如きをベッドまで運ぶだなんてマーリンにとっては造作もないことらしい。

シーツの海原にマーリンによって背中を沈められると、皺の形状に変動が生じる。それこそ紺碧の波がもつれてたゆたうように。
髭のように先端の巻いた葉で私の手首を縛るスイートピー。拘束した手首をベッドに固定するのは、吸盤のような貼り付く根を持つアイビー。
様々な蔓を持つ花々が私の肢体を這い回り、絡みつき、極地礼装諸共締めつけるおかげで、身体の線が強調される。
何も纏っていない膝や太腿をしなりながら、蔓は上を目指して這っていく。スカートの中にまで侵入が始まると、泣きたいほどの恥ずかしさで胸が苦しくなり、いやだいやだと私は駄々を捏ねた。
そんな私をあやすようなマーリンのキスで、ばたついていたはずの脚がぴくんとおとなしくなる様は、まさに目論見をなぞるかのよう。蔓にゆるやかな速度で骨盤を撫で上げられて、抱え込んでおけなくった涙が落ちる。
マーリンの指先が私の胸元と腰元を弾くと、バチッ、バチン、と音を立ててそれぞれの場所を閉めていたベルトが真っ二つに分かれ、床にくたばる。
また彼の指が礼装の前を、一筋の線を描くようになぞってゆくと、ひとりでに前が開き、露出した下着の留め金も勝手に外れてしまう。魔術のおかげで、私の意志とは裏腹に、マーリンを受け入れて出迎えているみたいじゃないか。
上肢を隠すものがオレンジの皮のように剥かれて、裸の臍を不躾な植物たちが蹂躙していく。踏み鳴らしていく。
マーリン自身からキスの嵐を浴びながら、彼の放った蔓の刺客の愛撫に身を捩らせる。
支えを失して脇の方に流れてしまった胸をマーリンの掌が掬いあげて、さらには頂きに唇が寄せられる。自分の浅い胸にふわふわの銀色の頭が埋められ、見下ろせば時折林檎色の舌が垣間見えるのはとても居た堪れない。双方の全体を、緩く、かつ戯れのように捏ねられながら、片方の胸の飾りを喰まれる。

「うーん、邪魔だなあ、そぉれっと」

礼装の前を割り、ブラをずり上げながら私の特別恵まれてもいない肢体を賞味していたマーリンだったけれど、とうとつに、浪漫ある呪文の言葉もなく、私の半端に剥かれた服と下着をどこかへとやってしまった。光の粒と、彼がいつも咲かせているものとは違う、まったく新たに舞い散る花びらに包まれて消え失せてしまった私の衣類は、なぜだか数メートル離れたサイドテーブルの上に律儀にも畳まれた状態で置いてあった。

ひらひらととめどない涙のように咲いて溢れるマーリンの花がベッドにも、私の四肢にも舞い降りる。このままでは埋もれてしまいそうだ。棺桶の中を花で満たされるように。

「興奮しているね。甘美で、やみつきになる」
「し、してない」
「なら君にも証明してあげなくては。私の味覚の勘違いではないことを」

鼠色のスカートの裾の中に忍び込んだ指先が、不安になる程薄いクロッチを隔てた上から恥ずかしい小ぶりな双丘の谷間を撫でた。ちょうど割れているところに的確に指の先が沈んで、震えてしまう。肌とクロッチの間にぬめりが生じていることを知らしめられる。

「あ、ひゃっ」
「ほら濡れているんだ、ここ。君が期待に胸を弾ませている何よりの証拠さ」

嫌だ。そんな事実、見逃してくれればいいものを、悪戯を仕掛けるような笑みで突きつけてくるマーリン。馬鹿、本当馬鹿。
んふふ、というわざとらしいにたにた笑いを滲ませた含み笑いがひとつあって。恥ずかしくなるほどじれったい、緩慢な所作で、彼の指先は私のスカートを下ろしていく。膝を通り、脹ら脛までさしかかり、くるぶしを抜けて、奪われてしまう。それを手伝って腰をベッドから遊離させる私も私だけれど。
黒いハイソックスだけを残して、灯りのもとでくっきりと裸体を晒すのは堪えた。気の利かない明るさも、無意味に脚を隠すソックスも、無遠慮に私の裸に這わせられる深い菫色の視線も、憎い。

「電気、消して、マーリン」
「うん? いいのかい? この行為は名目上私のアリバイ証明だったじゃないか。明かりを消せばそれは無効になってしまう。何せ私は魔術師、闇が降りた瞬間に身代わりを拵えるなり、代理の者と入れ替わるなり、できてしまう」
「……消す気ないってことね。わかったよ」
「拗ねないでおくれ。君の恥じらいも私にとっては立派な燃料なのだから」

言葉を終える頃にはマーリンは私の臍の下に唇を落としていた。どくん、と。心臓と、それから、腹の――胎の奥が期待感に波打つ。
私はほとんど無意識に腿同士をもじもじと擦り合わせて、申し訳程度の緩さで性器を揺すっていた。それは期待や興奮を鎮めるどころか持続させる行為であるし、無論マーリンの目にも触れてしまう。改めて微笑を彫ったマーリンはそんな私を割るようにして、脚の間のその奥に手を触れ合わせる。指でなぞりあげる。

「あ、あっ!」

これからの体を繋げる行為に比べれば、随分優しい刺激だろうけど、首を長くして待ち侘びた体への褒美としては極上だった。
ぬかるんだそこはマーリンの指の往復をより滑らかなものにさせる。からだのうちがわからこぼれ落ちる液を指で絡め取って、さらに全体に塗りつけるように指の腹で撫ぜあげる。

「ごらん、マスター。掬っても掬ってもあふれてくるから、僕の手、もうこんなにべたべたになってしまった」

見せつけられた手首には、蒼白く浮いた血管の筋。そして卑しい光り方をする蜜が引いた無色の筋。マーリンはその二つの筋に紅色の舌を這わせて、やはり緩慢な速度で舐め上げていく。
罠だ。私を戸惑わせるための。ざわつかせるための、罠。わかっているのに。
かっ、と胸の奥と目の奥が揃って熱くなり、喉はそれまで飲み込み損ねて溜めてしまっていた唾液を、ようやっと嚥下した。
私が濡らした指先で、縦方向の唇のようになっている割れ目を広げ、マーリンは熟れつつある核を愛でる。体の外に突き出た快楽を受けるためだけの器官を、柔らかな動きで撫でることを繰り返した後、彼はそこに唇を寄せてきた。
私はあうあうとぐずる新生児のように声と吐息を迸らせる。

「ど、どうし、よっ、マーリン……っ」
「ん、そろそろかい? なら……」

言葉と共に彼は舌を引っ込めてしまった。また指で撫でてくれるという様子でもない。
お預けを食らったような名残惜しさは、とうに熱を帯びた芯にとっては毒と言っていいだろう。

「マスターが、思い出や食事を誰かと共有することを好むのと同じさ。君と一緒に、同じ瞬間に、同じ快楽に浸ることが、僕にとっては――」

言葉を詰まらせたマーリンが、拳を顎に寄せて、視線を明後日の方向へ馳せながら言葉の続きを見つけ出そうとするところを、熱い涙で濡れた瞳で見つめた。私の瞳を覆う水の膜は、今にも溢れそうなほどぶ厚く重たくなって、少し頭を揺らすだけでも涙として流れてしまいそうで。
砂漠のように言葉が枯れて、雫の一滴も捻り出せないといった様子であったマーリンは、

「まあいいや。いまはこちらだ」

胸に溢れていた銀髪をさっと背中に流し、自身の純白のローブもそのインナーも魔術で消し飛ばす。衣服の消滅と同時に花びらが散るので、彼の身に纏っていたものが全て桃色の花に換えられてしまったかのようだ。



「はい、った……?」
「まだだよ。ちょっと失礼」
「え、わ、あぁっ!?」

存外逞しい腕が腰に絡みついたかと思うと、寝具と結びついていた背中をひっぺがされて、そのまま抱き起こされる。不完全とは言え、一応は胎にマーリンのそれを咥え込んでいる状態で、何の前触れもなく上肢を引き上げられたので、内側が擦れて脳がびりびり痺れが駆け抜けていく。彼の背中に獅噛みついてこの唐突に総身を襲った天変地異を耐え抜こうとした。
彼の膝の上に座らされ、正面から顔を合わせる対面座位となると、私は背骨や体を支える芯が溶け落ちたかのように眼前の胸板に撓垂れかかるのだった。

「うぅ、ぁ……」
「もう少し腰を下ろせるかな、マスター。そう、飲み込みが早いね、上手だよ」

上手と言われても呼吸を整えること以外は何もしていない。にも関わらず自重でどんどんと腰が落ちていって、天を仰ぐ根が私の胎を拓いていって。彼との接触面は勝手に増えていくし、眼界の明滅が治らないほどの刺激が結合部から迫り上がってくる。快楽機構だ。

「おや、私としたことが。これを忘れていたね」

これ、とは。トントン、とマーリンがソックスの上から私の脹ら脛の辺りを指で叩くと、まばたきをしているあいだに履いていたはずのそれが消滅した。あっ、と驚きと喘ぎの入り混じった短い声をあげた、その次の瞬間には綺麗に折り畳まれたソックスがサイドテーブルに現れる。
次の瞬間、なんとはなしに目に止めていた白を基調としたマイルームの景色が揺れ動く。合図なく始まった律動に、一拍遅れて下肢から生まれた悦が、波紋状に総身に広がって、頭骨すらも穿たれるような気持ちの良さに襲われた。
こうしようと約束していたみたいにマーリンの唇を啄むと、ぐっと後頭部を掴まれて長い舌に口腔を踏み荒らされる。わたしたちは、唇同士も、性器同士も、互いと触れ合って悦楽を追うことに必死になって、しおらしさや行儀の良さと言ったものは全てがおざなりだ。けれどもこれがあるべき姿な気さえする。
かくんと背中側へ折れそうになる私の腰を腕で抱き止めて、マーリンは尚も揺さぶる。

「っ、く、ふ……ぅあ……っ」
「あぁ、ここだね」
「……っ!」

退いた私を穿つと彼自身の先端が臍の裏ほどのところを掠めていき、刹那、脳裏で閃光が迸った。
白く染まる視界の中でひとり快楽の鍋の中で茹で上がる。
どのくらいのあいだそんな空想をしていたかはわからない。けれど現実に引き戻された時に真っ先に認めたのが裸のマーリンで、尚も彼は対面座位のまま私を突き刺していたことからありえないほどの時間ぼうっとしていた、というわけではないだろう。

「マー、リン」

先端の巻いた銀髪を一房ほど指に絡めて、彼の頬に己の鼻先を寄せる。

「うん? 随分甘えただね」
「うん……」

汗の粒が張り付いた肩口に額をくっつけたまま、私はぼんやりと肯んじた唇で、「ねぇ」とまた新たに切り出す。

「私以外に、餌付けされないでね」
「もちろんさ」
「私以外の好意に応えないで」
「もちろん、誓うよ」
「私以外にキスもハグもこういうことも、しちゃだめっ」
「嗚呼、この指輪にかけて。約束するとも」

お互いの指と指を絡めあい、ぎゅうと握ると、花の指輪は幽かに揺れて、形を崩した。
それからまた私たちはいろんなところを繋げた。指も唇も視線も芯も。心が繋がらない分、他の繋がれる場所は全てで彼を感じて、その寂しさを少しでも紛らわせていたかったからだ。


2022/01/16

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