短編

うちなる肉声


※性的な表現を含みます。
高校生を含む18歳未満の方、過度な性表現をご期待なさる方は閲覧をお控えください。


「今日は、たくさんさわってほしいな」

ミルクをねだる子猫のように私の鼓膜に絡みついたなまえの声色。それが孕む色めきを嗅ぎ当てられないほど鈍くはない。
なまえの髪を撫でながら夜が深まるまで物語の頁を捲る日ではなく、彼女とともにしずんでいく夜が初めておとずれるのだ。
彼女と同じシャンプーの香りを纏うことと、手や唇を重ねることはさして珍しいことではなかったが、それよりも熱い触れ方というのはしていない。整えたばかりのシーツの海原でじゃれつかれていた折の、不意の所望は寝耳に水である。寝台から上肢を浮かせて、切ないほど無邪気に寝転ぶ彼女を見遣った。扇状に広がるなまえの髪の人房人房を数えていく。
自分自身、もとより嘘を好かない性であるが、ただただ彼女に本音を偽らせてまで自滅に追い込むというのは――そんなことがあっては、恐らくオレはオレを許せなくなるだろう。

「いいのか? これよりもっと触れてしまっても」

なまえに覆い被さる形で顔を寄せると、問いかけを口移しにする。浅くついばむことだけをし、眼差しを交えると朱色の頬で頷かれた。
これから彼女の息を乱すのが自分かと思えば、もう穏やかではいられない。こちらの鼓動も呼吸も冷静さを失していく。

「灯りを消そう」
「ありがとう」
「いや……」

明々とした黄昏色のランプから垂れる紐を引いたのは実のところ自分のためでもあった。
紺色のケープの裾がなまえの胸元に落ち、たゆむ。
なまえを深く知ろうと幾度となくキスを求めあった。浅く歯を突き立てるようにしてその唇の割れたうちの片方を食む。どこかから湧き出た甘噛みの衝動に、己の野性の片鱗を垣間見てしまう。

――自分がこんなに浅ましいとは知らなかった。オレはどうなるんだろう。

純文学には性描写が付き纏う。人々の繁栄とそれは切っても切り離せない、酷く結びついたものだからではあるが。美化されながらも生々しい、そして高められた解像度には私も眉を顰めながら頁をめくっていたが、なるほど確かに私の中にも宿っているものだった。

私の、私達の、口腔に充満するあたたかさを噛み締める。歯茎をくすぐった折、反射的にだろう、なまえの舌が怯んだように震えたので、深追いはせずに剥離させた。
情報や眼そのものと引き換えに女性にも男性にも触れられたことはあったが、そのいずれにも愛情は介在していなかった。そのように虚無的な行いばかり繰り返してきた私の堕落した肌となまえの総身はあまりにも違う。壊さない様、細胞を圧し潰さない様、丁重に撫ぜてくちびるを落とす。反面、首を擡げる薄汚い卑しさも私から生まれたものに他ならず、双眸に血潮が集っていく事実を否定できなかった。
なまえの指が私の眼窩の淵を這い、輪郭をなぞりあげていく。

「クラピカの眼……こういうときも赤くなるんだね……。そっか、興奮、か。そ、っか……」

――互いにプロハンター……当然夜目も効くか……。

夜闇を貫いて交わる視線が今夜は胸を痛ませる。
自嘲しつつ目を伏せれば垂れ落ちる前髪と睫とが擦れた。

「この眼……あまり見せるものでもないと思ってランプを消したが、意味が無かったな」
「ううん、綺麗な色だよ。世界で一番。もっと見てたい。でも、クラピカでも欲情するんだ、って思ったら……冷静な人だと思ってたから、驚いてる、かも」
「私も一人の邪な人間だ」

それもどうしようもないほどに。
子猫同士の戯れのような唇の合わせた方をすることで、自身の深層から湧き出す焦燥感や緊張感を中和せんとする。

「君の中の“冷静な私”とどれほど差があるかは、これから確かめてくれ」

彼女に馬乗りになったまま、ケープの前を黄色のプラケットに沿って割り、脱ぐと腰巻と一緒に放り捨て、肌着姿になった。
暗がりで仄かに浮かび上がるなまえの指もまた自身のブラウスの釦を引っ掻く。その手に手を重ねて納めるように促すと、そのまま私は彼女の釦を順繰りに弾いていった。そっと下着を奪い去ると一層頬の朱色を濃ゆめたなまえが耐えかねるとばかりに顔を背ける。ふいっ、と。視線が千切れる。
双丘から臍にかけてを撫でおろして――なまえの睫毛が震える――スカートに手を掛けようとした。

「えっ、全部? 脱ぐの……?」
「え? 違うのか?」

至極当たり前に、愛し合うとは即ち余すところなく肌同士を合わせること、と考えていた私に、なまえの困惑が伝染する。

「恥じらう必要はないと思うが……。わかった、抵抗があるなら私は何も見まいよ」

雪や桜が舞い落ちるような呆れるほどに穏やかな速度で触れていく。
しかし。――嗚呼。
野性、と表しても構わないのだろうか。胸中で今にも暴れ出しそうな、押さえつけ、辱め、なお繋がりたがる、獣のような、そんな影が牙を剥きそうになった。

「……っ、ぅ……つぁッ……」
「は……すまん」

半無意識になまえの鎖骨に歯を突き立てていた。弾かれたように彼女の首元に埋めていた顔をあげると、少しだけ吸い付くだけのはずが自分が牙を剥いた痕跡が刻み込まれているではないか。
いま、本当に暴かれているのはどちらだろうか。なにせなまえを暴こうとしているはずの手や唇が、自分が深層心理に抱えている欲求をはっきりと映し出しているのだ。意図せず自我を裸にされたようで私は少々慄いていた。自分の情報をなるべく他者に与えぬようにと生活してきたツケだろう。
自身の眼窩が燃え盛るような熱を帯びていることを知覚する。
緋々とした光を灯しているだろうこの瞳に、彼女が怯えないといいのだが。
許しを乞うように頬に指を沿わせると、えへへと嬉しそうな顔をしたなまえが私の手に擦り寄ってきた。かわいらしいと思う。

なまえの上肢を余すことなく脳裏に焼き付けるように、至るところを指で撫ぜて、口付けて、確かめる。胸の双丘をやわりと揉んで先端にもキスをする。
脂質も筋肉も薄い骨のような自身の躰とは大きく異なり、甘やかで柔らか。きっと角砂糖のように脆いのだろう。
そうして触れ合っているうちに躰からごく僅かに日常的に滲み出ている互いのオーラが混じり合って、常人同士が躰を重ねるときよりもずっと確かに相手を感じられる気がした。私たちは今、肌ばかりではなく、生命力の波のようなもので対話しているのだから。

「クラピカ、口にも……」
「あぁ」

キスはどちらともなく深まった。なまえが遠慮がちにこちらの裏顎に舌を寄せてくるのをかわいらしく思いながらされるがままになってみる。暫し好きにさせたあと、形勢逆転とばかりに一気に奪い返しにゆく。最初こそ彼女の息を奪い尽くさないようにと気遣っていられたのだが、夢中になるにつれ当初とは真逆の欲求に舵が切られる。
私の普段の理知的な態度の全てが虚構なわけではないが、心の中核は獣に勝るとも劣らない生き急ぎと衝動の塊なのやもしれない。
よりにもよってこんな場面で気付かされるとは。

「ん……っ、くら、ぴ……っ」
「はぁっ、すまん。苦しかっただろう」

ふるふる、とかぶりを振るが跳ねた呼吸は隠しきれていない。

「それより、脱いで、クラピカも。なんか寂しいよ」

くいくい、と私の肌着の裾を引っ張る手。
自身の肌着の裾を捲り上げて胴や腕を引き抜くと、我ながら情けないが躊躇いの宿る所作でそれを床に捨てた。

「民族衣装の露出が極めて低いことからわかるように、クルタ族は他者に肌を見せることをよしとしない」
「言われてみればそうだね」
「つまり私が言いたいのは。君だけだということだ」

一泊遅れて目を丸く見開いたなまえは、やや戸惑ったように瞳を泳がせてから、はにかんだ。うれしい、私もだよ、と。


私の緋色に染まった双眸も、体の芯も、彼女の頬も肩も、互いの舌も、どこもかしこも熱を帯びていて、いつ獣に転じるともしれない危うさを秘めている。
そこはこれまで触れた彼女の身体部位の中でも最も熱い場所だった。指先を差し込んだだけでも内部の肉が嫌だ嫌だと侵入を拒み、私の指を押し戻そうと働く。絶えず涙を流し続けているかのように潤いを孕んでいるが、その液は彼女の欲情に同調して溢れ出すものなので、瞳が零す拒否の涙とは似て非なる性質だ。
ようやく第二関節を過ぎたところまで受け入れられた。彼女の限界点を探るべく、更にもう一本の指の先端を割れ目に宛がってみると悪くはない反応が返って来た。そのまま増やすが、はふはふと懸命に呼吸を繋ぎ止めている彼女は指の増量には全く気づいていないようだった。
拡張性のある肉の内側を拓いていく。恐らくここに踏み込むのは私が初めてになるはずだ。純潔主義でこそないものの光栄に思う自分もおり、あまりの現金さに苦笑を漏らした。

「あっ、やぁっ、そこ……!」
「ここか?」

なまえが艶やかに反応を示した場所を擦り上げた。

「や、やだ、クラピカッ」

困り果てたように眉を寄せ、握り拳に爪を食い込ませるなまえは口でこそ嫌だと訴えているが、明らかな甘さに染まった声色とぴくんと痙攣する脚と言葉は噛み合っていない。

「本当にか?」

そう私が問うと、はっ、と何かに気づいた様子で、なまえは自身の唇に手の甲を押し当て、声を封じる。一度呼吸を落ち着かせた後、涙を湛えた瞳で私を射抜き、言葉の封印を解いた。

「う、うそ、ついてごめんなさ……っ。やじゃないっ」
「――っ」

すまし顔でいられるはずがなかった。
私が偽証を厭うことを彼女に話したのなんて何年前の話だ。あんな些細なことを覚えていた上、それをこんなときにまで気にして尊重してくれようとするとはいじらしいにもほどがある。耐えかねた私はなまえの唇を奪った。

「ぁっ、うっ」
「なまえ。今改めて君を愛おしく思ったよ」

ずっと舌を絡め合っていたかったが彼女も限界だろう。指で達する手伝いをしてやる。

「ひっ、あ!」

シーツの上でなまえの肢体が弓なりになる。
脚の狭間から指を引き抜くと、私のそれが栓として働いていたのだろう、とろり、と透明な液体が溢れ出た。私の指先にも絡みついていたそれを舌で舐めとると、その様子を見ていたなまえが顔を赤らめた。

「少し休むといい」
「うん……」

ぎしりとスプリングの軋む音を奏でながら彼女の近くに横になり、抱き締める。なまえの髪を一房とり、唇を寄せれば身を捩る彼女の動きに合わせてシーツに新たな皺が生まれる。なまえの肩の輪郭をなぞれば、その総身を薄く覆っているオーラが幽かに波打った。
撫でては口付ける、そればかりの私になまえが首を傾げる。

「クラピカはいいの?」
「あぁ、今日はここまでにしよう。疲れただろう、君も」

ちゅ、と額に唇で触れてからなまえの顔を覗き込むと、今までのあまやかな雰囲気からはかけ離れた、般若の様な険しい表情が目に飛びついて来たのでぎょっとする。

「私は平気だよ。クラピカが優しいのは知ってるけど、そういうのはちょっと嫌」

今度は私が唇を奪われる番だった。
私たちがまたしてももつれあい始めたせいで、絶え間なくシーツのシワの形状が変わりつづける。


2021/02/06

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