短編

睫毛とエゴイズム


蘭陵王。健やかな芽のように才覚を現し、振るい、その美しさと勇ましさを高らかに賛美された彼ではあったが――まばゆい陽が差す場所にこそ影は濃く落ちるものだ――日陰で育った鋭い妬みは、やがて日向で輝く彼をも喰らうことになる。
毒の杯を賜り、命を絶たされた悲運に彼自身「なぜ」と嘆いたのだと、記録にも記されている。

「……やっぱり気がすすまないや。やめよっか」

***

「お、お待ちください、我が主。気が進まないとは一体どういうことでしょうか」

戸惑いは蘭陵王のものだ。美貌を封じる仮面の奥では空色の双眸が、弱くまたたく星明かりのように困惑に揺らめいている。
気が進まないからやめようなんてピリオドを打つと私は寡黙になった。足元には、私の一声が跳ね除けてしまった彼の想いが無残に打ち捨てられていた。

「マスターに仕える者として、強さを手に入れる機に恵まれたのならば、この身が耐えうる限り手を伸ばすことは至極当然でしょう。より強くなることであなたにお喜びいただけるのなら本望なのです」
「……」

蘭陵王という人ははっとさせられるほど真っ直ぐな眼差しでこちらを射る。

「“英雄の証”、“万死の毒針”、“智慧のスカラベ”。これらが揃った今、霊基の向上に利用なさる他にはないかと。いえ……資源も有限でしょう。私よりもずっと武力に長けたサーヴァントにリソースを割くと仰るならば、賛同致しますが……しかし、あなたの“躊躇”には恐れながら納得し兼ねるというものです」

ゆきずりの誰もを惑わせる彼の美は、必ずしも貌に限られたものではないのだろう。しかと相手を見つめる瞳からも、正されて崩されることのない背筋からも、乱れのない言を紡ぐ声からも、人を魅せるにたりる美は零れ落ちている。
きらやかだ。素顔を秘めようとも、蘭陵王は。

潔白なサーヴァント。否、綺麗な人の形をした潔白を前に黙殺や虚偽に踏み切るのは愚の骨頂に思えて、憚られる。
嘘は重ねても所詮は嘘のまま、それ以上に昇華はしない。口も呼吸も下手な自分では、うるしぬりのように美しく重ねていくことなど、海を歩むより難儀だろう。
ぽりぽり、と頬を掻きながら、あのね、といちどは潰えた言葉に二度目の火を灯す。

「うーんと。勘違いしないでほしいけど、強い君が更に強くなるのは嬉しいよ」
「では、なにゆえあのように仰られたのですか? 無論、マスターの全てを存じ上げているなどと豪語するつもりはありませんが……何か、事情があったのでは」
「だって、昔の主に贈られたのは毒の杯、って」
「……っ」
「幾ら霊基の強化とはいってもこんなに素敵な君に“万死の毒針”を差し出すのは。酷いから」

「――お忘れですか? あなたがあの日贈り物をくださった、その記憶が、記録がある限り、それは必ずや私の慰めとなります」
「お、覚えてるよ。バレンタインのときに言ってくれたよね」
「意に留めて頂き、恐縮です。ですが今一度お伝えしましょう。あなたが手向けてくださるものはいつだって尊く、あたたかだ――だからこそ私はお応えしたい」

硝子色の双眸が私をうつしている。蘭陵王の瞳の中に私は抱かれている。

「私の生涯の幕引きとなったのがかの毒の杯であったことは、変えようのない事実です」
「う、うん」
「ですが、この私を蘭陵王たらしめる大きな因子の一つがその忌々しき毒であることも、変わらないのです」
「うん」
「えぇ――この因果。皮肉、とも云えましょう。しかしながら敢えて申し上げねばなりますまい。毒も、死も、過去も、私がサーヴァントとなるうえで、決して欠いてはならないのです。我が生涯を閉ざしたそれも、謂わば私のパーソナリティをかたちづくっている、とさえ云えるもの。そう解釈しています」

私と真摯に向き直り、見つめてくれる蘭陵王もかつての英霊に違いはない。そうだ、死のひとつ向こうに踏み込んでいる過去の偉大な存在が、私たちのもとまで現界した。それがサーヴァントだ。

「パーソナリティのひとつか……。そっか……」
「それゆえに恐らくはこの胸に刻まれ続けるのでしょうが……。はい、私の生涯に欠かせなかった、という意味では」

世に未練のある者も、行いを悔いている者も、死に至らしめた何かを憎んだり嫌ったり、果ては力に換えている者もいるけれど、それらすらも。名探偵の語を借りるのならば、ファクター。

「あなたがあのように仰ってくださること、あのように躊躇ってくださったこと。その優しさを誠に尊く思います。ですから存分にお使いください、マスター。手にした新たな強さを以て、全身全霊で期待にお応え致します!」


2020/04/03

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