短編

シューティンスターの休日記


それくらいで……、と漏らすとかちりとスイッチが切り替えられでもしたかのような彼の双眸が凍りつくその瞬間を目撃してしまい、急冷して靴に重たくのしかかる酸素に自身の落ち度を遅まきながら悟る。


ほんの少し時計の針を巻き戻し、こうして私がバーボンに路地裏に追いやられるまでを手短に語る――。

「おや、なまえさん。随分とお楽しみのようで?」

なぁんて。着色料たっぷりの外国製ガムみたいな笑みを携え、交差点を渡り終えた先に待ち伏せていた男は何よりも恐ろしい影を靴底に引き連れていた。
一般市民に擬態した私だけを巻き上げる美しい嵐の上陸。彼の華やかで高い鼻筋は異国の天狗、しかし金髪は伝え聞く鬼神の特徴とも合致する。何にせよあやかしの扱いは変わらずで、私の怯えも収まるところを知らないどころか彼に距離を詰められるほど加速する。
怖い笑顔は影が濃いからかしら。しかしながら切り返しの生地のキャスケットを頭に乗せているとはいえ、ハニーブロンドの淡い色彩では満足に目元に影も作れないだろうに、幾ら堀に深みがあるからといって、ここまで悍ましい影を落とせるものなのだろうか。

「貴女、こんな白昼堂々出歩いて……。自分の身の上はもっと自覚しましょうね。それとも僕と並ぶほど優秀なんですか?」
「……」

ノーです、NO。尾行は煙に負けないし、弁舌さわやかに言い負かせもしないし、銃の扱いを多少心得た以外で身体能力に秀でた美点は見当たらない。
ほら、ノーだ。
選び取れる道がないがために黙殺を貫いていた私に、バーボンは微笑みを深くした。

「無視とはよくありませんね。挨拶くらい返してくださってもいいでしょう?」
「こんにちは。……では、さようなら」
「まぁまぁ、いいじゃないですか、少しぐらい付き合ってくれても。こうして恋人が健気に追い掛けてきたんです。ね? 無駄足にさせる気ですか?」

拒否権は人並みが流し、私の身は陽を浴びた腕に攫われた――皺、染み知らずの純白のドレスシャツに映える肌の色。漂うフォーマルさをその一点からやわりと崩す腕捲りが、より健康的に見せていた。


「それくらいのこと、ですよ。私も小まめに連絡はお返ししているつもりです。それとも個人の感覚にまで口を挟むんですか?」

彼の髪色は地獄の釜をこじ開けて這い出てきたあやかしを想起させるが、結び合わなかった彼からの着信の数もまた鬼の様。
鴉が無心に我楽多をいじくる路地裏で静やかな憤怒に総身を染む彼の濃ゆまる深まる影。臆さない私が煽るのは確かだが、そんな私を愛したのが彼なわけであるし。

「僕が心配しているというのは本心なんですけどね。大切に隠して仕舞っておこうにも貴女ときたら健脚を二本もお持ちですし?」
「脚を二本持って生まれるのは人間の基本形だと思うんですが……」
「マジョリティのように一般常識を語れる僕らじゃありません。逃げるなら追うしか無いんです。それにね――結構寂しがりなんですよ、僕」

日頃論理的に思案し、理知的にものを云う人物が時たまぶっ放す感情論の弾丸はこうも心臓にめり込むか。
いじらしく見える錯覚。錯覚だ。嗚呼、怖い。次に来るのは寂しいから殺させろなんて感情的で衝動的な文句だったりして。

「ともかく貴女に言いたいのは、僕の視界の範囲内でうろちょろするか、大人しくネックレスとブレスレットとアンクレットをつけられるかどちらかにしろということ」

ネックレスと、ブレスレットと、アンクレット? 首輪と、手枷と、足枷。それらの間違いでは無く?

「さて。なまえさんは僕からの連絡を無視してまで買い物やお茶をしたかったようですし、これくらいにして差し上げます。こんなところ嫌ですしね。いい加減お店にでも入りましょう。僕、いいダージリンティーを出すお店を知っているんです。お好きでしょ? ……その後は。そうですね、服でも見て歩いて、それから僕の家にでも来ます?」

恋人は闇から光へ、交差点に溶けていく。擬態する。
鴉は一足先に陽の方へ飛び立っていた。


2018/05/18

- ナノ -