短編

アリスブルーの瞳に落下


※やや『日常(ティータイム)』要素を含みます。

聴いてみたいな……などと流麗な曲線の楽器を前に零したぽつりというものを、彼のお耳は拾ったらしく、「構いませんよ」と快く奏でてくれるというのだから望みは口にしてみるものだ。

「せっかくですし少し弾いてみましょうか。お恥ずかしながら特技と言えるほどではありませんので、まぁ、あまりご期待はなさらないように。ほどほどでお願いしますね」

はにかみの香る笑みでフォーク・ギターを抱く安室さん。畳の上に膝を折る私は、ベッドに座しギターを腿に乗せる安室さんとは目線差を残したままで、丁度私の視線とぶつかる先にボディと弦が存在している。
ネック部分の六本の弦を容易に抑え込む指の大きさと長さに性差を意識させられ、喉がひくりとなる感覚を覚えた。刹那、鼓膜に音が押し寄せる。皮膚を幽かな電流が駆け抜けるかのような、見失うほど小さな痺れは高鳴りの証だ。相変わらず人を殺せる謙遜だと人知れず思う。
数小節に及ぶごく短な旋律の贈り物は、恥ずかしながら知識は乏しいので何かの曲なのか即興なのかはわからなかったけれど。ぱち、ぱち、とやけに響かない一人分の拍手を打ち鳴らす。

「なまえさんもこれくらいすぐに出来ますよ」

いやいやそんな。それとも才覚を多く持つこの人は常人とは異なる単位の物差しで浮世を計っているのかしら。
そろり、と指先を近づけて、弦の手前の空間で静止させ安室さんの顔を伺う。

「少し触ってみます?」

少しだけ、と思いながら。アリスブルーの瞳に触れる許可を乞い、得てから三本指を上から下へ通してみると、ほろろん、と和音が崩れるように響く。刹那的に指の先が触れていた弦の固い感触と、震えに神経を焦がされて。
吸い寄せられるように、少しだけのつもりがもう一度、と爪弾いていた。
ハープに触れた記憶もないけれど、気分はハープ奏者で音を鳴らす――演奏なんて烏滸がましい戯れだからそう表すべきだ――。童心に帰ったようにどうしようもなく楽しくなってきてしまい、幾度か音を重ねていくうち音に高低が生まれたので驚いた。はたと安室さんを見ると弦を押さえて音階を作り出しているではないか。かけらほどもリズミカルではない私の御遊戯も、たったひとつ才覚が混ぜ込まれるだけで途端に変貌するものなのだ。

「気分だけでも楽しいですね。音階つけてもらうだけで、すごく上手な人になったみたい」
「でしょう。気分も晴れますし、いいリフレッシュになるんですよ」
「何か考えながら弾くんですか?」
「いえ……。無心ですね」

お膝からギターが下されて壁に立て掛けられたかと思えば、キスをされる。

***

本当に怖い人。くるんとした甘いハニーブロンドの睫毛で瑞々しく笑っていながら、白兎を追うまま白昼夢に飛び込んだ少女と同じ愛らしい金髪と碧眼のカラーリングを持っていながら――カーテンを閉め切るともう惑わされそうなほどの甘ったるさを香らせる。好青年の甘さじゃない、血管も麻痺するような蜘蛛の巣の甘さだ。
顔に影を載せられると、糸の霧雨みたいに頬骨に降り、それが悪戯みたい。弾けるだけのキスシーンは切り取れない。双眸の奥底まで覗くように見つめられてしまい、驚くあまり馬鹿みたいに瞳孔をかっ開く私のささやかな量の睫毛は色香無く天井を貫かんばかりに仰いでいる。瞼は痙攣こそすれどまるで下睫毛と閉じ合わさる気配を見せない。
涙の膜が乾燥するほど瞼の活動を忘却しているのに、眼前で淡い色素の睫毛が羽ばたくとそれに思い出さされ自分も、しぱり、と。――嗚呼、瞬きすらも支配下にあるのだ。


2018/05/11

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