短編

角砂糖ロケット


サイレンの絶叫を夢で聴いた。
玄関先から奏でられる金属同士を擦り合わせたかのような耳障りに甲高いノイズを寝起きの鈍った思考回路は耳鳴りだと結論付けて、毛布を引っ張り上げた。
そうして洒落込んだ週末の二度寝はアナログ時計の短針がほぼ動かない間に終止符を打ち付けられることとなる。何せ今度はキッチンの方から食器のぶつかる音がしたのだ。
誰かが、いる。
恐怖の悪寒に痩身を抱かれて、震えでくるまれた腕を携帯端末に伸ばし、臍の緒のように伸びていた充電ケーブルを引き千切る。その時の私は怯えの余り110番を迷いなく選べるほど聡明では無かったので一番信用のおける人物を、恋人を探す。その人はあ行が頭文字である上に何度となくまじえた交信のお陰で履歴の一番上にいらっしゃるからすぐに見つけ出せた。安室透さん。タップ一度ですぐに電話を繋げられるぞという万全の体制を手中に作り上げてから、そろり、とベッドを抜け出した。が、息をひそめる必要性も、安室さんに助けを求める必要性もまるで無かったと知る。
壁の影からキッチンを伺ってすぐに、仄かに甘い蜜色の頭髪が垣間見えたからだ。

「あ、安室さん……?」
「嗚呼、なまえさん。お目覚めですか。おはようございます。数度インターフォンを鳴らしても応答が無かったものですから……勝手に入って来てしまいました」

正午を過ぎるまで寝具に溺れていた私を目覚めさせたのは薬罐の汽笛――いやに生活音染みた物音の正体はそれだ――に、きっと合鍵を使っての解錠、そしてサイレンの夢と錯覚したのは呼び鈴か。
ひゅうひゅう、と鳴く薬缶を火から下ろして、ポットに湯を注ぐ片手間に安室さんはにこりと笑う。「すみません」、と相変わらずの丁寧な物腰で。

「お昼をご一緒したくて。キッチンをお借りしていました。まぁそのご様子ですとなまえさんはブランチみたいですが」
「すみません、ずっと寝ていて……」
「いえいえ。お疲れだったんでしょう」

砂糖菓子みたいに甘ったるい微笑み、髪色。こんな人が私にわざわざご馳走をしに来てくれたというのだから不思議なものだ。

「起き抜けではあまりお腹に入らないでしょう? もうすぐ出来上がりますからひとまずお茶を召し上がって、ゆっくりなさってください」

透明ポットの金網内では茶葉が踊るように舞っている。以前安室さんに教わった……確か、ジャンピングと云っただろうか。何とは無しにその光景を眺めていると、すっぽりと保温用のコージーを覆い被せられ、視線は遮断されてしまった。
このまま寝起きの弛んで気の抜けた姿を晒し続けるのもいけないと、モーニングティーが蒸らし終えられる3分後を楽しみに、洗面所へと爪先を向けた。
枯渇しかけていた眼の水膜を潤して、髪を櫛で梳いて毛流れを流麗に整え、寝巻きはもう幾度も見られているからいいやと横着をして色彩豊かな品々の並べられた食卓に腰を下した。贅沢品を前にすると現金にも覚醒したらしい胃が働き始め、食道に酸素が通り抜けるような心地。空腹感が脳に伝わる。
頂きます、といそいそティーカップに口付ければ、これから味蕾を刺激するアールグレイに先行してベルガモットが鼻孔を抜けた。柑橘類の爽快さを前にもう瞼は下ろせない。
直後、せっかくのモーニングティーだというのにまるで空気を読まない私の腹の虫が盛大に喚いた。あはは、見ていたらお腹が空いてきちゃいました、と笑みで濁して誤魔化そうと試みる。

「それなら何よりです」

安室さんは向かい席の椅子を引いて腰掛けると、ご自分用の目玉焼きの幕をつぷり、とフォークで突き破った。
私は二度目の頂きますを呟いて、トーストを頂く。歯を立てると、さく……、ふわぁっ、という今までカフェでしか聴いたことのないような擬音さえ似合って、トースターさんこんな本気も出せたのねと感服してしまう。やはりキッチンに愛された男は違うのだ。

「美味しいですか?」

私はお行儀がいいので、きちんと嚥下してから応じる。

「とっても!」

そして徐ろに違和を蒸し返すのだ。――はて、私は彼に合鍵なんて渡したかしら。
なんてね。無粋です。


2018/05/02

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