短編

恋人をダメにするソファ


※同棲設定

居間の中心、窓から差し込む午後の日差しが柔らかく包み込むその場所は、名義上は一応俺の家であるにもかかわらず同棲相手の昼寝の定位置となりつつある。
大きくてふかふかしたソファが欲しい。両手を広げて、これよりもとでっかいやつ、と笑いながら提案したのは確かなまえだったはずだ。
二人で並んでテレビでも見たら楽しいだろう。甘えたいときに膝枕をして貰うのもいいかもしれない。顔をほくほくと緩ませて理想の未来を語った彼女は、次の日にはそのソファをこの家へと運び入れたのだから、その行動力には感服してしまう。
しかも経費は全て彼女持ち。自分の欲望のためなら手間を惜しまない恋人の姿に苦笑してしまったのを、今でもはっきり覚えている。

もうじき春も終わるであろう日曜日の真昼間、ふたり揃って遅く目覚めたその日の朝は無用な手間を省くために昼食を兼ね合わせた遅めの朝食が終わると、彼女は真っ先に陽だまりの中へ軽い足取りで向かって行き、半ば勢い任せにクッションの中へとダイブした。うああ〜〜、なんてよくわからない声を上げながら楽な体勢を求め続けた結果、仰向けで落ち着いたらしい。…のだが、仮にも女子がこれでいいのかと脱力してしまいそうなほど豪快に大の字で横たわる姿はいかがなものだろう。
付き合い始めた頃の初々しさなどここにはない。断言した本人にひとつ言いたい、自覚があるなら少しは恥じらいというものを見せたらどうなのだ。
彼女の人格形成の過程を平たく言えば、『焦らない、気にしない、マイペース』の三段階。喜怒哀楽が表に出やすく、実に素直でわかりやすい子。つまりはあまり物事を深く考えない能天気馬鹿。
曰く、シンプルイズベストだそうだが……それでいいのか、みょうじなまえ。

「ひっさびさの休日だあーー」
「そ。だから久々にいちゃつけるよ」
「それはいい」

俺が座るはずだったスペースが、二本の足によって奪われた。
「暇なら脚揉んでよ、筋肉痛ひどいの」と選択肢を提示しながらも、それは半強制命令だ。パステルカラーのルームウェアに包まれた足は布越しにもわかるほどよい肉付きで、『女性らしい』、そんな表現が脳裏を掠めたとき、改めて彼女の性別を認識する。
だからといって別に昨晩の記憶が俺の中から吹っ飛んでいたとか、そんなことは一切ない。

「休日にさ、どこか行こうとは思わねぇの? なまえは。俺、外出たいんだけど」
「インドア同盟結んだ仲じゃないか、我が恋人よ。今日は出ませーん」
「へぇ、そうですかそうですか。共有ソファ陣取って俺の居場所がなくなっていじけちゃってもなまえはいいんですか」
「うん、いい、ソファと結婚する。でもって夜は布団と寝て浮気する。カルマはそのまま床にでも座ってなよ」
「…まじで出てくよ」
「コーヒー淹れてからにして」

無気力に投げ出された四肢をばたつかせ、早く早くと幼子のように駄々をこねるなまえ。断ろうものなら、疲れている奥さんの分までコーヒー淹れてくれる人が理想の旦那さんです。という使い古しの文句で俺が黙って従うのを、負けず劣らずずる賢い彼女は知っている。
散々愛し合った翌朝、眠くてもごみ出し行ってくれる人が好き、とか何とか理由を付けられ怠さの残る身体のまま外へ追い出された覚えもあるのだが、その理想像はどうやら三日前までのものらしい。
おとなしくキッチンへ足を向ければ「カルマ、愛してるよー」と取って付けたような愛の言葉が背中に投げられたので、「はいはい俺もー」といつもの調子で適当に返してみる。
食器棚の戸を開き、一点の曇りも残さず磨かれたドリップポッドに手を伸ばす。
食品に関してのみ無駄な拘りを持つ彼女によって、広々とした台所には様々な調理器具が揃えてあるが中でも彼女の紅茶や珈琲への執着心は異常と言って良い。同居人といえどまるで興味のない俺はそれらの名称など知らないし、どれだけここにあるのかもわからない。
だが喫茶店顔負けの器具とは裏腹に、豆や茶葉の量は――どう考えても一般家庭よりは遥かに多いが――控えめである。
アッサムとアールグレイ、それからブルーマウンテン、キリマンジャロ。本当に、名品集めはここいらで留まってほしいものだ。以前に嘆きを零した際、本気で理性の糸がぶち切れたなまえによって一度はごみくず入れに放り込まれた『世界の香辛料コレクション』が右隣にちらりと見えた。もう二度と言うまいと誓った、あの日の回想を中断する。
並べられた計四箱の内から、休日は絶対にこれなのだというキリマンジャロを取り出して、ネルだとかいうフィルターを取り付けたポッドに、きっかり4分沸かした熱湯を注ぎこむ。
その水音を聞きつけてたのか、向こう側からなまえの声が飛んできた。

「抽出時間3分ちょいだからね」
「わかってるって」

紅茶の茶葉はティースプーンに人数分プラス1杯、珈琲はといえば個人の好みで調節するものなのだが、彼女の好みはスプーン(メジャーカップというらしい)の淵より少しはみ出すくらい。ほんの少しの調節で味や風味が変わってしまうものらしく――当然ながらその違いが俺にはまるで理解できない――間違えても摺り切りで淹れてはならないそうだ。
冷蔵庫に張り付けてあったマグネットタイプのタイマーをオンに切り替える。

「カルマ好きだけど、コーヒー作ってくれるカルマはもっと好き」
「じゃあそんな大好きなカルマくんのためにそこ空けてくんない?」
「ぐぬぬ、しょうがないな」

口を尖らせながらも空けてくれたスペースに、どっこらせ、と沈み込む。すると間を置かずに膝の上に足が乗ってきたので、片方の足裏をぐっと指で押してみると満足げな声がした。

「あーそこそこ。そこ、いい。力加減と指使いが絶妙で」
「召使じゃないんだからさ、俺は」
「うん。コーヒー淹れてくれて足も揉んでくれる素敵な彼氏さんだよ。じゃ、次は腰ね」

くるりと姿勢を変えたなまえがここらへんが痛い、と促してくるのでそれに従う。
突いた指の腹に、ごりっと嫌な硬さが当たる。せっかくの休日を潰してまで夜通し研究室に籠り、レポートに励んでいたなまえにとっては実に1週間ぶりに安堵の息を零せる休み。少しくらいなら甘やかしてやってもいいかもしれない、などと思った矢先、ひとつ心に引っかかるものがあった。

「そういや先週、研究室で息抜きに友達と対戦してる〜って言ってたよね。この凝りの原因てそれじゃない?」
「いや違うよ? 普通に肩とか肩甲骨なんか、ずっと前からごりっごりだし……、大体この腰痛は昨夜あんたが激しくしたからで、」
「ほぉう、そんなこと言っていいのかなぁ、なまえチャン?」

遮るように発した、それは警告だ。
なんて憎たらしい笑顔。くっきりと顔の表面上に浮かび上がる彼女の心情。
彼女に覆い被さる形で 脇に手を付けば、ふたり分の体重を受け止めてゆるく形を崩すソファ。鼻先同士が触れそうなまでに距離を詰めれば、吐息を感じてごくりと相手の喉が鳴る。大きく見開かれた瞳に映る自分は、なるほど確かに意地の悪い笑みを浮かべていた。
唇が触れ合うまで、あと――……

ピピピ、と静寂に割り入るように喚きだすのは空気を読まない電子音。

「……結婚するなら、タイマー留めてくれる人がいいなぁ」

うん、思ってた。この子なら絶対言うと思ってた!
予想通りの言葉にぶちぶち文句を言いながらも結局自分が腰を浮かせてしまうのは、惚れた弱みというものか。柔らかく鼻腔をくすぐる珈琲の香りに、目を輝かせて跳ね起きる彼女の満面の笑みなど安易に脳裏に浮かんでしまうから。…かもしれない。
どちらにせよ、俺の弱点という弱点は余すことなく彼女の方に知られてしまっているわけなのだが、それは向こうとて同じことだ。
今夜もまた、たっぷりと愛玩してやろう。
唯一の失敗は、心に決めた現時刻が陽が落ちるにはまだまだ早過ぎたということくらいか。


訂正、恋に飢えている人をダメにするソファだ


2016/06/01
理想像とか何とか理由をつけておねだりする妻と、文句をいいながらもついつい聞いてしまう夫って素敵ですよね。萌えます。

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