短編

出棺の手解き


※特殊、パラレル設定。

命の危機太宰治は月光に濡れたぼろ裾と釜を翻す。

***

まずはじめに私は誇れたり賛美されたりするような善人ではない。にも関わらず、である。信号の赤らむ横断歩道でみぃみぃと母を呼ぶ小さな生命体の存在を視野に知覚するや否や、どうしてかその日は大地を蹴り飛ばしていて、腕に掬していた。しかし私の立つそこは道路のど真ん中。私を貫かんばかりの勢いで走行していたはずの軽自動車は、どこから拾ってきた幸運でか眼前で急停止を遂げる。窓から顔を出した運転手は小動物を抱く私に、大丈夫だったかい、嬢ちゃん。危ないよ、とだけ言い置いて走り去った。
のちに知ることになるがその日が私の命日だった。命日となるはずだった。だから私の紙ほど薄く髪ほどか細い正義感でも、小動物を救出しようなんてねじ曲がったあり得ないことが大々的に展開されたのだ。
死ななければならなかった私は、死ぬべくして、死にかけた。
それを私に告げたのは他でもない、前述した命の危機たる黒衣の青年であり。彼は自らを太宰治と名乗り、そして次の言葉に繋げる。

「私はね、死神なのだよ」

***

――――君を救ったのはほんの思いつきさ。けれど手中でころころ弄ぶつもりじゃあない。そこは安心しておくれね。
はてさてどこから物語ろうか。長くなるよ。きっとその鳩が豆鉄砲を食ったよう腑抜けたお顔も、たちまち大層うんざりしたお顔に変わってしまうだろうね。そういった意味においてのみ、私は魔術師足り得るやもしれないね。嗚呼そんなことはないから安心おし。我々死神は命を手折るばかりで、魔法や妖術や呪詛と云ったものはこれっぽっちも使えやしないのさ。
ではでは、さてさて、東西東西!
君達一般市民の認識通り、私ども死神のお仕事とはある生命体の死を以って秩序や現状を維持することだ。君達人間がまるで手を加えていない森というものが、ほとんど存在していないのと同じようにね、間引くのさ。
勿論突然殺すなんてことはほとんどしないよ。特に善良な個体に対してはだけれど、事前に使い魔を送り込んで上げて、ある程度死を予感させたりもさせる。特別だ、なまえちゃんには見せて差し上げよう。この人魂のような狐火のような、はたまたウィル・オ・ウィスプのような子が使い魔だ。――“病魔”という名のね。
死という概念を、神様らしくお空から、ダーツのようにランダムに、けれど最終的には雨同様に平等に。だけれどそれは酸性雨でもあり、薄過ぎて然程影響が見られなかったり、強酸性のように銅像を歪にしたり。要するに死は神の域であるから天変地異すら起こせない下界の住人には抗えないということ。ある日ぽっくりという短命かもしれないし、長寿かもしれないが、どちらにせよいずれ死ぬということ。静やかに炎を収めて眠りにつく者もいれば、むごい完結となる者もいるということ。
私は君を生かしたけれど、この仕事に特別な反感を抱いたというわけではない。それは確かだ。この死生観がどうにかなりそうな仕事というものに疑問符をつけたところで、死神なのだから当然だと周囲は皆言うし、私も最もだと思うし、後輩には同様に言い聞かせるであろうし、後輩もまた思うことだろう。
私はね、可能性というものを知ったのだよ。
なまえちゃん、君は占い道具のタロットカードを知っているかい? それぞれに番号と絵、絵に合わせた意味が振り当てられているカードなのだけど、その十三番目が、『死神』だ。ただでさえ十三という不吉な数字を当てられている上に、いかんせん恐ろしい絵柄の札なものだからね。加えて“死”という直接的で強い負の印象。引いた札に釜にぼろ布に骸骨が描かれていても素晴らしいとは思えないだろう。だがそれも仕方がない。我々は死を齎らし、冥界へ導く者であり、死そのものではない。けれど死んで仕舞えば人間の意識などそれまでだから、彼らの瞳にはまるで我々が死の概念のように映るのさ。それを悪いこととは思わないよ。少なくとも私はね。
けれども、死神の札には終着点や決着といった必ずしもネガティヴだけに止まる訳ではない意味も宿されている。一番前を向かせてくれる意味では、肉体を離れた魂が死に次いで経験するものは輪廻転生、そこから連想される再生などといったね。
そう、再生。リスタートさ。それこそが私の見つけたもの、前述したもの。
終えるだけではない、新たな道を用意してあげる選択だってあったのだよ。それを知った時のときめきといったら、もう! 総身が打ち震えたよ。
初めて“可能性”という言葉の意味を――辞書の文面に圧力的な強制認識をさせられる以外の形で、限りなく体感に近い心地で、脳だけではなく五感で心で総身で触る事が叶った気がしたんだ。
そもそもが、ちょちょい、とひっくり返して仕舞えば起死回生という解釈さえも埋めてしまうカード占いだ。何にだって、如何なるポジティブシンキングにだってこじつけられてしまえる。多様過ぎる程の解釈やこじつけが存在するわけで。それが見てみたいと思った。もっと多くの可能性に触れたいと願った。
だから。
まぁ、別に、有限な命の保持者なら別に気味である必要もなかったのだけれど――――。

「私が君を守護し、いついかなるときも生という可能性を与え続けよう。だから、ね。君も私に同じものを頂戴よ」

芽を摘む以外の選択肢を選べることを君が教えておくれよ。

***

死神が現れて二日後、私の友人が死んだ。交通事故だった。
窓から舞い込んだ報せを抱き止めきれず、気の抜けた炭酸水のような面持ちで呆然と立ち尽くす私に対して死神は慰めの体すら成していないただの言語を投げかけるのだった。
「君が気に止むことはないさ。どうせあと三日程度の命であったようだし、私が二日分頂かなくてもどうせ老い先短い命だったんだ」
ぽふり、と私の肩を抱き締めるたおやかと称するには男性的な手のふしだらさより、見当違いな慰めや労りより、投下された凄まじい破壊力の新事実に私は刮目しており、前述した二つは意識にすら入らない。
「は……? なんですか、それ」
「嗚呼、言っていなかったっけ? 君のモラトリアムは他者からせしめた寿命なのだよ。はぁ、でもそんなに悲しむのなら可哀想というものだ。わかった、次からは赤の他人の寿命を――」
「そういうことを言っているんじゃありません!」
喉が破裂させる私の咆哮に、出会ってからの二日間でも一寸たりともにこやかさを崩さなかった太宰さんでさえ瞳を揺らがす。しかし眼前の相手がポーカーフェイスのアーヴァターラであることがその瞬間頭から抜け落ちていた私は、双眸を揺らめかせる程度で済ませようとする彼が酷く神経を焦がしたのだ。
――人を犠牲にしてまで、なんて、頼んでいない。そもそも誰が生かしてくれだなんて頼んだ? 祈った? 願ったの? 私はダーツの着地点でしかなかったんでしょ?
大気を二酸化炭素で染める行為はもう誰も気にも留めないが、誰かから直接的に呼吸と鼓動を奪うことに耐性などありはしない。そうしなければ今生きていることすらままならないのはどちらにも共通する点だが、前者はこの世に落とされた時からもう既に行なっていて、染み付いていて、疑う隙すらないのだ。
私が殺す。死神に守護されているのではない、私が死神にされている。
こんなことを平均寿命の80歳まで、あと半世紀以上なんてふざけるのも大概にしろ。私には到底耐えられっこない!

「じゃあ――いらないのかい?」

生きなくて、いいのかい。
薄っぺら紙っぺらの正義感では、首の骨はかくんとしてくれず、頷けなかった。自分より大切な他人などいるわけがないというのは至極真っ当な生物的本能だが、こんな利己を曝け出すような屈辱的な局面で打ち付けられたくなかった真実だ。
「……嫌」
「ヒュウ、死を眼前にした人間は正直だ、って事実だったのだね。本で読んだ通りだ」
風のように通り抜ける下手糞な口笛が癪に触る。
ひょっとして私はこれから水面を突き破るかのような勢いでどんどんと醜くなっていくのではなかろうか。
喉の奥底からにゅん、と伸びた手で私は鼻先をちらつく藁を掴んだ。
生きる事は見知らぬ誰かの死神様と相成る事と同義だ、と記された辞書のある国に紛れ込めば私も息を止めないまま再び正常となれるのだろうか。


2018/04/09
元ネタ:タロットカード13『死神』
小ネタ:グリム童話『死神のお使い達』
直接的な死や、その他の不の印象以外にも、終着点、決着、死後の輪廻転成から再生やリスタートなど、ネガティヴばかりではなく多くの解釈を生めるカードです。にも関わらず死という言葉や絵の恐ろしさから負のイメージだけが先行している現状……。

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