短編

雨合いの恋人


※二年生の頃の話、恋人設定

告白は、どちらからだったろう。
クラスが同じで、席も隣同士。部活動も同じ吹奏楽部に所属する仲間だというのを差し引いても、曰く「背格好が似ている」らしいあの子とは必然的に傍にいることが多かった。それは多分、自分と同じように小柄なその子の影に馴染むことで自らのコンプレックスを紛らわそうとする本能的な行動だったのかもしれないし……、低い身長を気にするような素振りも見せずにただあっけらかんと笑う彼女が羨ましかったのかもしれない。
気付けば傍らにいるみょうじなまえさんの存在は温かな陽だまりのような笑顔を咲かせて、名だたる進学校の、ひどく窮屈な学校生活の中でも自然と僕は穏やかな感情を保っていられたのだ。

だが、忘れてはならないことがひとつある。
10代半ばに差し掛かる年齢の人間とは、性別を問わず他人の色恋に首を突っ込みたがる年頃であり、尚且つ勉強漬けの生活を送る彼らは青春に飢えている。だからそういう連中の手によって、文字通りいつも一緒にいる自分と彼女の間に、“そういう”関係性が芽生えているという噂が流されていても不思議ではないのだ。
不思議でもなければ不自然でもないが、迷惑になるかどうかはまた別の問題だった。
結局、二人が友達以上の関係になるきっかけとなったのは、彼女から想いを告げられたことだったのだが。
晴れて付き合うことになった翌日に、「噂のお蔭だろ、感謝しな!」と背中を思い切り叩かれたのだが、否定材料が見つからずに押し黙るしかできなかったのを、覚えている。

***

――雨。
夕食を終えて自室の扉を開く。微かな雨音を遠くに拾って部屋の窓を見てみれば、目を向けた先では黒い窓ガラスの外側に張り付く無数の水滴が見えた。
肌に纏わりつく湿った冷気に不快感を抱きながら、殺風景な部屋の中で軽く身震いする。ぱたん、と背後で扉が閉まると電気をつけていない室内では浮かび上がる影から家具の形を伺うことが精一杯で、壁に手を滑らせプラスチックの突起を探る。
ふと、机に投げ出してあった携帯端末がぶるぶる震えて着信を告げていることに気づくが、慌てて手に取った時にはもう向こうは諦めてしまったらしく、ちかちか青白く発光する携帯端末の画面には見慣れた数字の羅列が履歴として現れた。――なまえちゃんだ。
すぐさま折り返しの操作で画面を呼び出し、彼女に掛け直す。緊張を煽るように連続して鳴る、在り来たりで無機質な機械音は数秒後には止み、彼女の携帯に繋がったことを確信しておもむろに口を開いた。

「なまえちゃん? ごめん、すぐ出れなくて……」
『渚、』

弱々しく、弁解に被せるように名前を呼ばれる。スピーカー越しに空気を揺らした抑揚のない声に次いで、どうしたのと事情を問う間もなく、受話器の向こうで嗚咽が漏れた。

『ごめんね……、私、…E組行くことになった……』

床に伸びた己の影は止まったままで、動こうとはしなかった。
突然に、大好きな人の口から告げられたのは、進学校のレベルについて行けなかった脱落組――通称『エンドのE組』への転級という事実。特別強化クラスへの移動、……なんて言えば聞こえはいいがそれは単に成績の悪かった生徒や素行不良の生徒を絶望的な極悪環境に捨て置き、ひとまとめに管理するという学校側の教育方針だ。
切り離された隔離空間においては、あらゆる面での差別待遇を受ける。どこかで誰かが言った、そんなお約束が蘇り、耳の奥に反響した。

「なん、で……?」
『別れてくれていいから』

ようやく絞り出した震え声は、相手方によってまるでやんわりと一刀両断されたように。会話は続くが、彼女のそれは答えになってなどいない。
なんで。どうして。どうしてそんなことを言うんだよ。僕は君が好きなのに、なのに別れるだなんて。納得なんてできるはずがない。
ふ、と気づいた。間が差したような沈黙に、耳障りな雑音が向こう側から響いてくるのだ。鼓膜を引っ掻く不協和音は音階はわからないが汚い音だ。
雨…………?

「なまえちゃん、ひょっとしていま外にいるの?」
『えっ、――あ』
「やっぱり。それで、どこ!?」

声を荒げた僕の雰囲気に圧倒されたように、やがて彼女が躊躇いながら口火を切った。『学校の近くの公園』、と。

「待ってて! すぐ行く!!」
『っは……!?』

ぶつり、と何か言いたげな彼女には御構い無しに一方的に通話を終了させると、乱暴な動作でパーカーのポケットへと携帯を投げ込み、その勢いのまま部屋を飛び出した。
慌しく階段を駆け下りる。ばたばたと忙しない音が響いて一瞬だけヒヤリとしたが、束の間。騒ぎを聞きつけての冷たい声が自分の背中に投げかけられた。

「渚、こんな時間にどこいくの?」
「え、っと……学校に、課題忘れて……。明後日までなんだ。今ならまだ開いてるだろうし、早くしないと、いけなくて」

先程までの勇ましさを見失っている自分が、情けなくって。
目を泳がせ、口籠りながら言い訳を探す。眉間に深く谷間を刻んだ母さんはそんなあり合わせの口実にはなかなか納得してくれなくて。ああもう、焦れったいな。電話越しの声に緊急性を感じて、大分苛立っていた僕の膝は玄関へ踏み出す。
側にあったスニーカーにつま先を突っ込むと床に踵を打ち付けて、大雑把に足に履かせながらドアノブに手をかける。
驚いたような顔つきを怒りの色に変えた母さんの罵声を肩越しに聞きながら、洗面所から持ち出したタオルを脇に抱えて、傘の柄を掴むと玄関の扉を押し開けて雨水が滝のようになだれ落ちる外へと飛び出した。
ぱしゃん、と足元で跳ねた水がズボンを濡らす。
すぐに薄着で出てきてしまった事を後悔する。7月初めといえど夜間の気温は一段と冷え込むし、今日に限っては降り続ける雨も相まり体感温度を一段と下げるのだ。だがそれすらも気に留めないくらいに焦っていたのもまた事実で。
傘の下に顔を隠して、いつしかばしゃばしゃと絶え間なく水飛沫を上げて僕は走っていた。
正面から強く押し寄せる風がばんばん耳を叩き、吐き出す熱い息が首筋を滑っていく。
ざくざくと濡れた地面を踏みしめながら、表道を外れて入り組んだ近道を辿る。ろくに街頭の存在しないそこは深夜という時間帯も加わり、灯りの点いた屋根すら見当たらない。そんな狭い通路は一人で通り抜けるにはいささか不安だったが、観念して先へと進んでいく。
公園まで、あと少し。途端に湧き上がる安心感に半比例して、日頃の運動をしない生活が祟ったか、体力にも脚力にも限界が間近に迫っていた。
膝下ほどの茂みが囲った入り口に荒い息で立ち止まると、夜の引き締まった空気が肺を満たす。

「……なまえちゃんっ?」

既に疲労は感じなかった。身体が熱くなり、足が勝手に動き出す。
黒い雨の降り注ぐ公園の片隅、ブランコに腰かけ、下を向いた彼女の顔には普段の明るさは面影すらなくて。水の滴る前髪が目すらも覆い隠していて。
弱々しく萎れた背中に声を投げると振り向きざまの彼女の表情からは驚きの色が見て取れて、本当に来たの、と声には出さずに口元が言葉を象る。

「というかなんで傘差してないの!? とにかくこれで拭いてっ!」

土砂降りの中を夢中で走っていたおかげで、傘の中にあったにも関わらず、押し付けたタオルは水気を含んでいた。
頭にかぶせられた布の下でもともと大きな目を見開き、彼女は茫然と立ち尽くすので、代わりに両の手を伸ばしてわしゃわしゃと髪をかき回す。なすがまま。なされるがまま。脇を占めて取っ手を押さえつけていたはずなのだが、抱えきれなくなった傘が腕の中からすり抜けた。それを拾うために彼女と距離を離そうとするが、下がる足を引き留めるように服の裾を掴まれて。間もなく預けられた身体に数歩よろめいたが、すぐに重心を取り戻してなまえちゃんを支えると嗚咽交じりの声色が静かに切り出してきた。

「ごめんね」
「どうして謝るの?」
「迷惑になる……っ」
「僕はそんなこと思ってない」

襟元に寄りかかるぬくもりと自分の体温が絡み合って、溶け合って。
頭と背に手をやってきつく抱きしめれば、自分の腰にも同じように腕が回された。

「それともなまえちゃんは好きじゃなくなった?」
「そんなわけ、ない…」
「ならこれでいいよ。僕は別に自分が何を言われても、構わない」

「ありがとう」と小さなかすれ声がその口から零れる。ぐすっと鼻を鳴らし袖で涙を拭う彼女が、背中から腕を離してしまったことを少し残念に感じた。


泣き顔が晴れるまで


2016/05/04

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