短編

海をさらう声


※少年時代。

「エンジン煩い。乗り心地悪い。デザインごつい、可愛くない。運転荒い。ヘルメット無い」
ぶちぶちと文句を垂れ流したくなるのも仕方がない。何せ私は荒波のように押し寄せ顔面を打つ風に涙すら吹き飛ばされそうなのだ。
身を屈めて運転手の背に隠れようにも、座高の変わらない背中は不躾ながら盾とするにはあまりに細やか過ぎる。バイクの二人乗りは実行すると一気に浪漫が消失するので推奨しない。というかもう一生したくない。
「乗せて貰ってる分際でごちゃごちゃうっせぇ。落とすぞ」
鋭利な眼光と捻り曲がった口では脅しをかけつつも、後ろ手に私を捕まえる手はコンクリート道路に投げ飛ばす気などさらさらないらしく、挙句、
「おら、もっと引っ付け。振り落とされっから」
などと抜かす始末だ。落としてやるのではなかったのか。よく似合う極悪人の化粧は所詮は余所行きの装いでしかないのだろう。と私が思いたいだけでもあるけれど、あながち間違いでもなかろう。
中也の腰に回した腕に力を込めるように促されたので、恥辱より生命線を掴み取る私は恥じらいをかなぐり捨てて抱きついた。頬を押し付けた背中で風を孕んでいたライダースジャケットの合成皮革が皮膚に擦れて少し痛い。そして抱き竦めてみて改めて、触角から細さに反して肉付いた腰の頼もしさを知る。
刹那、睫毛に降りた影を拵えたのはふうわりと旋毛を覆い隠したあの帽子のブリムで。
「何これ」
「ヘル代わり」
「ありがとう……」
「お前の人の優しさを受け取れるところは好きだわ。無くすなよ」
幽かに振り向いて、横顔だけで、歯を見せて笑って。
童顔で小柄で血の気が多くて多すぎる。中原中也といえば、そのような一向に青年の影が浮かび上がってこない絵に描いたような少年だというのに、どういうわけか風の中と戦場で仰ぐ横顔は胸を高鳴らせるのだ。
フェイクレザーとは些か不相応とも感じる大人びた黒帽子には中也の体温の残滓があった。無くすなよ、の言いつけを守るべく深めに被り直すとより彼を感じる。
「ねぇ、背中の皮膚って分厚いわよね」
「……? そうなんじゃねえか? それがなんだ」
「いや……重いっきし胸押し当てちゃってるから」
「ぶっ。手前そういうこたぁもっと早く言え!」
「中也ってば童貞臭いなぁ、もう。……って、やだ何耳まで赤くしているの。本当にそうなの?」
「……るせぇ。手前もおんなじようなもんだろうが」
「え、私は……」
私は。
事実のための否定文句は迫り来る向かい風が遥か後方に吹き飛ばした。
「……そうか。悪りぃ」
「ううん」
「……姐さんが連れて来てくれたってだけだろ。突き放しちまえばよかったんだ、あんな野郎」
「そう、ね。中也か太宰ならまだ嬉しかったかもしれない」
「あいつの名前は出すな」
「あら嫉妬?」
「…………」
「黙るのやめて。紛らわしい。私の貞操のお話なんてものはもういいじゃない、ね? ところで中也、あれやって、ビルの壁直角に走るやつ」
「手前の重量に割く分が惜しい」
「馬鹿、そこは『なまえの体重くらい造作もないけど女の子には危険だからごめんね』ってかわすの」
「んな糞鯖みてぇな台詞言ってられっかよ」
「でもその方がみんな喜ぶわよ」
「手前もかよ」
「さっきからどうしたの。それじゃあまるで私のことを好きみたい。――そうね、喜ぶ。どうせ置いて行かれるなら目に見える優しさとシュガーコートが欲しいから。でも中也以外に限るわ。私は乱暴で男前な中也の方が」
「方が?」
「慣れているから」
それに、と繋ごうとして。結局閉じてしまった口に続きを紡がせようと「なんだよ」と催促する中也の声は聴覚からも、彼の肩甲骨に伝わる振動からも、聞こえる、感じる。
「俺の方が、なんだって?」
「中也の方が好き、って」
「そうか」
「他の人より中也の方が好き。多分一番好きよ」
「俺もだ」
そんな一番好きな男の子よりも愛せる王子様が彗星の如く舞い降りなければ、白いドレスを着よう、ってそんなにも甘いお話かしら。


2018/03/28

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