短編

それから世界が眠るまで


※幼馴染シリーズ『思夏期

「そういや中也さん昨日と服おんなじなんすね」
「あ? あぁ。着替える時間も無くてな」
「そういやみょうじの奴もそうだったような……」
「…………」
「というか昨夜潰れた中也さんを送ってったのが確かみょうじ……」
「……………………」
「…………あー…………」
「………………………………」
「し、失礼しました」
引き攣る眉に慄いた立原が脱兎の如く逃げ出そうとするのを、俺は笑ってその肩を捕まえる。
「おいおいおい何察してんだよ何もねえよあいつとは少なくとも昨夜はなやましい事なんて何一つ無かった」
一息に吐き出して畳み掛ければ、様々な方面からの圧力に押し潰されかけて可哀想なことになっている立原は、蚊の鳴く声でイエスマンらしい肯定を紡いだ。よく出来た部下だった。

***

唇は重ねたまんまで。ふ、と開いてみた視界を締めるなまえの顔を侵食するのは俺の影。最近まで純潔を保っていたとはいえ流石にキスの仕方は心得ていたのか、肌色のシャッターが瞳を遮断している。
自宅のソファで繰り広げられるのは、長く、その上不変的なキスであった。時折角度を変えて隙間を潰しては行くものの、それだけで。もっと貪るようなことがしたいという欲を、ぽっ、と生じさせてはひとり目を開き、なまえを見つめて落ち着けて、瞑目をする。だがまたこいつの舌の味を恋しく感じ、いいのではなかろうかと眼を開けて、その邪気を振り払い、というのを繰り返した。それもやがては終局を迎える。

「なまえ。好きだ。お前が欲しい。お前を抱きたい。そういう愛なんだ、俺のは」

穢れて、荒んで、歪んで、邪な、色めいた男の欲をお前は浴びるのだ。お前に覚悟はあるのか、と双眸に向けて問い掛ける。
「どうして私を好いてくださったんですか」
「知らん。こっちが聞きたいくれぇだ」
「……少なくとも私は中也さんを好きでした。中也さんの仰るものとは違う意味でかもしれませんが」
「おいおいその歳にもなって初恋すらまだみてぇじゃねぇか」
「だって、何故だか私が好意的に見た男性はみんな不慮の死を遂げたり、地方への転勤になってしまうのですもの。例外的に太宰さんは裏切りでしたけれど。何故でしょうねぇ、中也さん?」
「さぁ? なんでだろうなぁ?」
いわずともがな俺の仕業である。
「例え友情の意味であっても、それでもお慕いしておりますから。おそばにいたいと存じますし、それが交際という形でも構いません。手酷く抱かれても、構いません」
ついにこいつは妥協を断言しやがった。
だが。

――ちげぇだろ、こんなのは。

それは声には乗らなくて。舌先にまで乗りかけた言葉を飲み込んだ自分の中に、躊躇すら言い表せずにいる臆病さの中に、真実を見つける。無情で従順な人形を隣に据え置き、己を慰めることの虚無感を伴うとしても、俺はこいつを選び撮りたいのだ。
自ら恋慕を明かしておいて、求めておいて、精一杯応じようとした相手の動機が義理からであったと発覚した途端突っ撥ねるのも大概だが、今の俺は朝の自分自身を上回る我儘っぷりである。
経緯や思惑はどうあれお互い妥協点が交際というのはとんだ滑稽噺だが。うろ覚えの、朝にこいつが放った言葉通り、始まり方からしてとち狂っていたというのに今更純愛を望む方が阿呆らしいというものだ。
冒険譚の結びを模して綴るのならば。歪なラヴストーリーを物語って行くのはまさにこれからだといったところか。

「今夜は、床で寝たくありません」
「あぁ? この俺が寝かせると思ってんのかよ」

***

「で? 昨日俺は何したんだ?」なまえの肩を寝具に縫い付けながら自分の襟元を緩める。見下ろすなまえの喉が上下に蠢くのを認め、なんだおめーも乗り気なんじゃねえか、と肉食獣が牙を剥くような仕事柄の不敵な笑みを深くした。
「手前だけ覚えてるとか不公平だろうがよ。おら、言え。お前が言わんと俺は動けねえ」
「……。最初に、確かソファにこうされました」
早くに白旗を掲げるなまえの、やはり神速の観念は今は美点として映るが、後々焦らしたりなく感じる恐れがあるのでそこはまぁ教え込むとして。
「それはベッドでいいだろ? お前も身体痛むのは嫌だもんな? それとも正確な再現望むか?」
「いえ、はい、ここで結構ですここがいいです。……服を乱暴に開かれて、」
俺は極力丁寧に――というほどでは無かったが、昨晩の乱暴さとの対比となりそう感じられる――服を脱がせにかかる。優しさを帯びた手付きになまえは疑問符の波に攫われた様な面持ちで、ぱちくり、と瞳を瞬かせていた。「俺も嫌だから優しくしてやんだよ」と言外のクエスチョンに応じつつ、「で?」と説明を求めた。
回想に導かれるまま肩に喰らい付いて。言われてはいないが同じ場所に俺のものと思わしきキスマークも残されていたので、ぴたり、と全くの同位置に唇を寄せて、重ねて吸いつく。二重に皮膚下の血管を千切れればそう易々とは消えない印となるだろう。
「次は……」
「喉か?」
「は、い……」
喉、鎖骨、胸、と昨夜の痛々しくすらある痕跡を辿る。
「その後は?」
「えっと、」
花も恥じらう乙女の恥辱はなまえの顔には全く浮上してこない事に不満を抱くが、相手が相手だ、致し方無い。必然的に言葉を詰まらせる要因は混沌として曖昧な記憶になるのだろうが、いやお前恋仲でも無い相手に辱められたことを曖昧にするというのは如何なものかというやつだし、というかそうやってなあなあにできるスキル極めてるお前がすげぇよ。
「嗚呼そういえば、中也さん泣かれたのですよ。私、抱き締めて差し上げましてね」
俺の蛮行は流れていっても、存外余計な事というのは脳に引っかかって残っているものらしい。ぶすぅっ、という擬音の似合う表情で、不服ではあったが夜をなぞるように俺は旋毛をなまえの腕に納める。
こうして包み込まれて慈しまれていると、感じた事もない聖母を錯覚しそうになってしまう。人肌から人肌に染み出して行く生温さに安らいでしまって。睡魔への恐怖心がこれではいけない、と瞳孔を開かせ続けた。
「ねぇ、中也さん。キスしましょうよ」
「ここでしたのか?」
「はい、確かに。でもそれ以上に私がして頂きたいから」
「構わねぇが。その前にいい加減その『さん』やめろ。『くん』に落ち着いただろうが」
「そうでした。――中也君、キスしましょ」
「嗚呼――」
俺の台詞の尻尾は肌の結合点で溶かされた。
「今日は寝落ちしないのよね?」
「はっ、自分の心配してろ。失神するまで愛玩してやっからよ」


2018/03/19

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