短編

来ない明日がいとおしいように


「結婚しようよ」

脈絡ははてさていずこに。なまえちゃん、という柔和な切り口から次いで放たれたお言葉でございました。私は当然びっくり仰天でございましたが、人を惑わせるような妖力でも太宰さんはお持ちでしたのでしょうね、二つ返事で――二つも重ねる必要もございませんでしたけれど、兎にも角にもまともに物を考えることすらせずに――私は快諾しておりました。
さて、ところ変わってお役所で御座います。焦がしキャラメル色のトレンチコートから伸びる手に手を握って貰い、急展開から振り落とされないようにしっかりと握られて共に道を歩みました。こういうものって大抵は親へのご挨拶というイベントを通過してからなはずなのですけれど、私の両親も健やかに存命なのですけれど、生き急ぐような太宰さんの急ぎ足には口を閉ざす他ありませんでした。
私達は婚姻届を一枚戴きました。何だか気恥ずかしくもありましたが、多分全ては隣で終始にこやかでいらっしゃった彼の所為だと存じます。虚空に冤罪を被せては小さな恥じらいからも私は私を守るのです。
私は何とも呆気なく従来の姓を脱ぎ棄てて、太宰さんと揃えました。等しくなりました。これでお揃いです。

「私はもう死んでしまいたい」

ですのに――彼ときたら、そうなどとのたまうのですから。御勘弁。

「これ以上の幸福などきっとこの先もう望めそうもないだろう? なら今で終わらせてしまって、永遠にしてしまう方がずっと聡明じゃないか」

つまり、幸福だからこそ死ぬ、と。苗字をお貸し頂きましたところでやはり私の頭の作りとは不揃いですので、私には其処への至り方は測り兼ねました。ですが私の物差しを彼に当てはめるべきではないとはもう随分と昔に悟った事でしたので、私はさして驚きはせず、落ち込みもせず、太宰さんがそう思われるのでしたらそうなのでしょうねと達観の心境を真似ていました。
魂も巡る相です。水が降り注いだり地球を包んだり昇ったりをするように――雨となり海となりまた雨となるため還るように、魂もまたそうなのだそうです。輪廻するのだ相です。輪廻転生観が現実なのだとしましたら、太宰さんの仰る永遠、即ち果て、何かの終わりを彼はお求めなわけですから、魂すらもが流転する世では終焉など迎えられる訳もなく、それこそ永遠に叶う事は無いのでは御座いませんでしょうか。お可哀想に。

「来世で“再び”を望むより、死を以ってホルマリン漬けにするようにして欲しいのに。酷いったらない。そう思わないかい」

太宰さんは慈しむように私の唇の先を啄ばみました。きっと私をお誘いになっていらっしゃるのでしょうね。
行き先がベッドルームであろうとも、冥途であろうとも私はついて参る所存にございます。


2018/02/26

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