短編

プラトニックのそっくりさん


※話中に背徳的な描写がございます。本番にこそ至りません。義務教育を終えていらっしゃらない方、並びに実年齢が15歳未満の方のご閲覧はどうぞお控えくださいますようお願い申し上げます。


枕に押し付けていた片頬がマスク紐の線の通りに痛むものだから、太宰さんに付き合ってうたた寝しかけていたらしい状況は掴めた。横になるだけですっかり身体の節々が軋むようになってしまって、整えた姿勢しか背骨には許されなくて、もう、嫌だわ、って。人知れず嘆息。
時計を一瞥すると午後二時を回っていた。
臀部から肩甲骨にかけての曲線を舐め回すように撫ぜ上げる太宰さんの手に瞠目をした。一眠りして僅かばかりとはいえ調子を取り戻しつつあるから、調子に乗っているのだ。普段であれば涼風に晒され続けたのではという程に冷たい彼の指先に怯むところだが、今回は。衣服から滲み伝わる高温に心配を膨らませる。厭らしさを伴った手の動きが脳を色めかせたので、既に彼の思う壺、だ。
「なまえちゃん、これ……マスク、邪魔だなぁ」
潤った瞳や鼻筋に反して、乾いて掠れた声音。熱く覚束なげな指先が琴の弦を弾くように私のマスクの紐を弄るので、はいはいと私は外した。かさりとして罅割れ掛けた唇を頬骨に感じる。後でリップバァムを引いて差し上げなければ。などと、おねだりをするような愛撫を首筋や鎖骨にも頂戴する傍ら、空気を読まずに頓珍漢に考える。
触れられれば瞬きの頻度を狂わせたり、瞳孔を開いたり、逆に瞼を閉ざしたり、することはするのだがどこか上の空でいる私を目覚めさせようと太宰さんはお考えになったのか。駆け引きもそこそこにキスを喰らい、舌を差し込まれる。軽く歯を立てて噛みちぎるぞと脅そうか、とも考えたけれど。一度サボタージュを許してしまった手前、何だか自分にはここで止める資格が無いように思えて――もう少々正直に述べると、勤勉に生きてきた私にとっては大きな事だった仮病とずる休みを唆されてとはいえ成し遂げてしまった今、並大抵のわるいことでは動じない精神に昇華してしまったのだ。
丁寧に愛でてくださるわけでも、ましてや滅茶滅茶に犯してくださるわけでも無かったけれど、熱い、とても熱い体温が、粘膜伝いに私を煽った。
「太宰さん」
「んー……?」
「な、何をなさっていらっしゃるんです?」
「ん、脱がせようとしているだけだけど。……ボタンが中々上手く外れてくれないがね」
私は指にいじくり回されて外れかけていたボタンを正した。
「駄目ですよ、今日は。キスだけでやめましょ?」
「嫌かい?」
「そうではなくて。冷やしてしまったら病体に障りますよ」
「病体だからこそだよ。血流が良くなって白血球も増加するの」
でたらめ、でまかせ。そう、お得意の、あれだ。きっとそうに違いない。でも怜悧な双眸は不可思議な妖力を秘めていて、危うく信じ込まされそうになる。
人の信用を安く買い叩くのがとてもお上手でいらっしゃるから、この方の相棒もそりゃあ騙されてしまうんじゃないか、って。
乾いた唇に首筋が吸われる。ちう、と甘えるみたいに。
私は先程正したばかりのボタンに自ら指をかけた。ありがとうと笑む太宰さんには憎たらしさどころか愛おしさしか募るものはない。もぞもぞとブラウスを腕から滑らせ、掛け布団の外へ放る。取り払った下着も同様にだ。
双丘を掌に包まれ、脂肪組織に骨の指が沈み形が変わるのを眼下に見ると、病人相手に昼下がりからこんな行為に及ぶ背徳感が背筋を駆け抜けた。気紛れに与えられる胸の芽への刺激に眩暈に苛まれる。
スカートに降りていこうとした太宰さんの手を私は抑えた。駄目です、という意味合いでではなく。
「あの、自分で、慣らせます、から……」
「そう……。なら、ちゃあんと見ていてあげよう。――人差し指出してくれるかい?」
戦々恐々人差し指を差し出すと、ぱく、と小振りな唇に含まれてしまった。熱い舌に絡みつかれ、爪の淵や、先の方の肉と爪の合わせ目をなぞられる。滑りを良くするため濡らすお手伝い――舐めて、とか、脱がせて、とか、そんなおねだりは私の急所を的確に穿つのだ――をすることはままあったが、男女逆なのは初めてで私の眉は切なく形を変える。
「あの、もう結構ですから……っ」
「ん、ちゅ、ふふ。その気になってしまった?」
「ち、違います」
恥じらいはかなぐり捨ててスカートを降ろし、寄せた下着の隙間から指先を忍び込ませ、秘めた割れ目に指を一本だけ差し込んだ。そうっ、と。そうっ、と。既に潤いを帯びていた窪みが急に恥ずかしくなった。
「大丈夫そうなら、関節を曲げてみたり、円を描くように動かしてごらん」
「はっ、はい……っ。ひゃ、ぁ」
耳元で命じられると声音だけでも気が狂わされる。導かれるまま太宰さんに従った。神経を焦がすものを夢中で追いかけていると段々と呼吸が荒ぎ、丸まってくる背中。もっと、もっと、と胸中で譫言を繰り返す。
刹那、顎を掴まれて太宰さんの顔を仰ぐ格好にされた。
「私の事も構おうね、なまえちゃん。これでも寂しがり屋なのだよ」
謝罪を探して目を泳がせていると、構われたがりの大きな獣が瞳に熱を揺らがせて。唇にかじりついてきた。ゆうるりとしたスロウキスでぐずぐずと熟れ過ぎるくらいにまで愛し合おうとする。
脚の狭間を慰めるのが疎かとなるのに口から直に愛を注がれては、昇華されない熱だけが募る。上手い具合に操れない指では思うような喜びを得られない。
「今何本指入れてる? まだ1本目?」
「は、はい……っ」
「じゃあそろそろ増やしてみようか。濡れているでしょう、さっき舐めてあげたのの代わりに、それを指に塗りつけて、ね」
「んっ、ふ……ぅ、はい……」
「二本?」
「さんぼん、です……」
「なまえちゃんってば淫乱さん」
恥辱的な淫乱の判に軽い失望感を叩きつけられ、目頭が内側から熱せられた。花も恥じらう乙女などでは断じて無くとも、下品な女とはっきりと認識されては朝日を快く迎えられない。
「……嗚呼、ごめんね、そんな顔はよして」
猫撫で声で頬擦りをされ、頬に吸い付かれた。私達は恐らく互いの機嫌を取るのが同等に上手い。
「かわいくてやらしいなまえちゃんが私は好きなのだから。ばらばらに動かしてみて」
「うぁっ……、ん。はいっ」
味を覚えている得体の知れなさ。それがせり上がってくる。呑み込まれる。今にも逃げ出したいほどで腰が引けているというのに、もっともっとと喉から手が出るほど貪りたくも思う。相反するものが入り乱れてどうしようもなくどうしようもない。
果てのない階段を延々と登らされ続けているような、ずっとそんな心地だった。しかしようやっと。頂きが近付く。だが果てまで至る、その前に、ぎゅう、と手首を捕獲されてしまったのだ。
「ちょっと、何一人で気持ち良くなってるの」
皮膚に食い込む太宰さんの細い爪が、ふっ、と浮く。
「それとも私の思わしくない体調を気遣ってくれての、視姦か何かのつもりだったのかい。悪かったね、察しが悪くて。しかしながら、ね。生憎触れない女の子には興味がないのだよ」
「すみません」
「何に謝っているの」
「太宰さんに、寂しくさせてしまったことです」
「そうだよ。恋人そっちのけで快楽追いかけるような子に育てた覚えもないのに。わかったのなら、じゃあ、はい」
じゃあ、はい、とは一体。太宰さんは何かを私に委ねたが、その何かが汲み取れずに私は首を傾げる。
「わからない? 君が脱がせるんだよ」
なるほど。確かに本日は何から何に至るまで、太宰さんの最低限文化的な生活は高麗鼠の私が甲斐甲斐しく維持しなければならないのだった。
今日はスーツベストは召していない。縹色の縞模様のドレスシャツ。慎重さを指先に絡めて、一つずつ鈕を外していく。するり、とシャツを肩から滑らせた時の衣擦れの音が嫌に鋭利に耳朶に触れた。こうして奪い取ってしまっても纏わり付いた包帯で御自分ばかり肌色の面積が広くないのだから、なんだか狡いところがある。
金具が奏でる薄い金属音に心拍数を煽られながら、ベルトを緩めて下も脱がせる。皮膚に浮き上がった骨盤に眩暈を覚え、額を抑えつつ。

「おいで」

私を蠱惑するその人の、その刹那の麗しさ妖艶さといったら!
蝶々のように愚直なまでに蜜を目指す私だけれど、きっと良くて蜂や兜虫だ。

***

血管を透かず、肉薄な彼の唇の上にリップバァムを引き伸ばす。油分を与えて軽く揉み込んで差し上げれば心なしか顔色が良くなったように思えた。
冷蔵庫から摘み上げたミネラルウォーターのボトルを太宰さんに押し付ける。蓋を小指と薬指に挟み、ボトルは残った三本指で。反り返る顎と、ごく、と蠢く喉。水分補給を見届けると感染なんてもう気にも留めないで、私は同じボトルから水を貰った。
倦怠感を纏う私は、これを風邪ということにして明日の昼間まで目を閉じていたい気分だった。


2018/02/20

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