短編

マミィズハンドが注ぐは致死量


不意に見遣った定食屋の壁掛けテレビというのは何故こうも意識を縫い止めてしまうのか。「なまえちゃん。私にも使わせて欲しいな。先程からずっと待っていたのだよ?」とそんな風に何故だか双眸を煌めかせている太宰さんの声掛けが無ければ、私は手首の角度を変えるのを忘れたままでいた事だろう。其れの意味する事とはつまり、私はこれからも延々と醤油を垂らし続けて白米に塩っぱさを付与し続けていたかもしれず、太宰さんが醤油を使う番が回って来なかったかもしれないという事。食卓に意識を引き戻されてみれば丼の上でぼんやりと醤油瓶を傾けたまま意識を手放していたお陰で、気づけば艶やかな白米は茶黒く染まっていた。嗚呼、やってしまった、と。せっかくのバター醤油御飯が。なんてこと。そこで思考停止に陥る私の手中からは掏られるように醤油瓶が掬い取られる。流麗な掏摸に驚いた。

「ふふ。でも嬉しいな。ようやっと私と共に心中してくれる気になったのだね」

千切れるのでは感じるほど細い三日月。其れを想起させる弧になる太宰さんの薄い唇。しかし一体どの様な文脈でそうなるのだ。私が死を決意するだなんて。太宰さん独自の解釈から飛躍した話を掴みあぐねている私は首を傾げるしかない。
返答の代わりに摘む指先が揺らす小瓶。中でとぷりと水面が乱れた。

「致死量にはまだ足らないくらいだけどね」

そうのたまい、太宰さんは今しがた私から掏ったばかりの醤油瓶を手に取った。彼の注文品は絶対に醤油で味を足すべきものではないにも関わらず、である。国木田さんは今はいない。掛け過ぎる気満々、死ぬ気満々でいる同僚を折を見て止めなければならないのは私だろう。

「完食するのは骨が折れそうだ。手伝うかい?」
「いえ、お気持ちだけで。太宰さんを死なせるわけにも参りませんから」

さて、はて。この醤油を加え過ぎた昼食は胃に突っ込む他ない訳だが、ケーキにクッキー、何だと思って喉を通すことにしようか。どんな暗示で騙し通そうか。
自殺嗜好家に目をつけられたくなくば、醤油を垂らしながらぼうっとしてはならない――深く刻んで留意する。


2018/01/17

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