短編

胡乱ポップ


これまた滑稽なことになったものだ。
女中が一人、天人の薬品を浴びせられたと屯所は騒めいた。効果は一時的なもので害もなく、一晩もすれば元に戻る、とは山崎の報告だったが。
肉体年齢を著しく若返らせる――どこぞの死神名探偵よろしく幼体と化する薬品とあっては。

突如放り込まれたこの脱法的な薬品による女児は、この刀と汗の日々の男世帯では唯一の小さな花に他ならず、激しい混乱を招いていた。くりくりとした瞳の女児に隊士どもは如何様に触れてよいかもわからない。
皆が情けない狼狽を晒す中、我らが近藤さんが先陣を切ったのだった。

「お嬢ちゃん、自分の名前は言える? 歳、幾つかな?」
「……おじさんだれですか?」
「オジッ…………」
「知らない人に名前教えちゃいけないって言われてるの」

意気揚々、にこやかに発進した近藤さんの戦艦は瞬く間に撃沈した。
俺は近藤さんの屍をてきとうに拾いつつ、薬品製の少女を一瞥する。「そう怯えんじゃねーよ」と蒸していた煙草を口から乖離させ、繋いだ。

「俺たちはお巡りさんだ。何、お前の父ちゃん母ちゃんもすぐに見つけてやる。だから自分の歳と名前、言えるか?」
「……みょうじ、なまえ」
「いい子だ。マヨネーズをやる」
「い、いらない。すっぱくてきらい」
「――――」

助け船のつもりが忽ち沈没船と化す。俺は近藤さんの後追いをした。

「みょうじなまえ……昼から連絡の取れなくなった女中の名前とも一致しています。どうやら妙な冗談でもなく本当らしいや。って、土方さんあんた何ショック受けてんですかィ。いいぞぉ〜そのままくたばれ〜腐れ土方ぁ〜」
「うるせー……」

総悟が放った人を苛立たせる波導で皮肉にも俺は息を吹き返す。そうやって墓から這いずり出たはいいが、不安の踊る瞳をきょろきょろ惑わせる少女に、俺達はやはり舌を巻くのだった。
しかしどうすりゃいいんだ、と。わしゃわしゃ、と近藤さんが豪快に頭を掻く。

「真選組の記憶もなくしちまっている餓鬼一人を女中部屋に置くわけにもいかんしなぁ。脱走されでもしたらそれこそ一巻の終わりってもんだ」
「だからといって手隙の女中に面倒見させようにも火元に餓鬼はいただけないだろ。ちょうど俺は今日は書類仕事だ、こっちで面倒見るから近藤さんは普段通りにしててくれ」
「お? そうか? すまんな、トシ」
「いや……別に迷子預かってんのと変わりゃしねえしよ。それに元々此奴とも顔見知りだった。――わかったらてめーらもとっとと市中見廻りいってこい。思わぬアクシデントだったが、こっからは通常業務だ」

はい、と重なって上がる野太い応答。散っていく隊士達を尻目に俺は肩を竦めた。
そのときなまえがしょぼくれた声を放つ。

「ねぇ、母様はまだ来てくれないの……?」
「あァ? あ、あぁ。大丈夫だ。きっとすぐ迎えに来るぜ、おめーがいい子にしてればの話だがな」

――あっ、危ねぇ。軽く忘れかけてたが警察官として迷子を預かってるっつう設定だった。

「お前のことはこっちで面倒みてやる。いいか、くれぐれもおとなしくしてろよ」
「はい」
「いい返事だ。本当――お前は利口な奴だよ」

縮んでしまう前からずっと。利口で気が利き、喫煙家の男のことも表立っては煙たがらず、影で密やかに咳き込んでいる女だった。それが全く何がどうなって。
柔らかで容易く折れてしまいそうな、水仕事とも血とも無縁なのであろう幼い手と手を繋ぐ。如何にも見慣れないという風に屯所の景色を見廻すこいつがこれ以上惑わないように確と手を引き、副長室まで導いていく。
道すがらずっと餓鬼の背丈に合わせて屈んでいた俺の腰は、室に辿りつく頃には情けなく悲鳴をあげていた。

俺は文机に根をおろし、執務に浸る。
無論目の届く位置にだが、なまえに座布団を出してやるとそいつはそこに愛らしく座した。
なのだが。こいつは、幾ら時が過ぎてもそこでそのままそうしていやがる。書類を4枚、5枚と片付け、未分類と未署名の山を崩して。不意に眼差しを上げたとき、なまえは未だ姿勢の一つも変えないままだったのだ。

「そんなとこで一人でおとなしくしてても退屈だろ」
「いい子にしていればきっと母様もはやくきてくれる、ってお巡りさんが言ったから。あとおとなしくしてろって」
「そうは言ったが……そうしてしょぼくれられてもこっちも気分が沈んでいけねぇ」

筆を置いて真っ直ぐに少女を見据え、語りかける。

「お前くらいの女の子ってのは何して遊ぶもんなんだろうな。あれか、鞠撞きとかか」
はみんなやってるけど、私は下手なの。めんこも駒も虫つかまえるのもにがて。おてだまも、できないからなかのあずき食べちゃったし……」
「随分と苦手が多いなァ。なんなら好きなんだ?」
「うーん……特にない……」

――最近の餓鬼ってのはそんなものかねえ。

いまや豊かなこの国では望めば玩具も菓子もなんでも手に入ってしまう。反面、心は上手く育まれずに貧困なのだろうか。
否、単にこいつの意志というものがあまりに淡い泡沫のようなものなのだという、それだけのことだろう。

「あっ」

何を思いついたか、なまえは表情に明るさを灯した。

「迷子センターであめもらった、ってともだちがいってたよ」

飴、とな。
弱ったな――と俺は苦々しく語散る。

「副長! なまえさんの子守りは自分にお任せくださいっス。話は全部聞かせてもらっています!」

そのとき。室の外から襲来した、覇気の漲る声色を場を裂いた。開きっぱなしの襖からその姿を現した鉄の、美少年顔負けのやたらと煌めいた双眸になまえは目を点にする。

「いらねー。ほっとけ」
「すいません! 出過ぎた真似を! そうっスよね、副長の大切にされていらっしゃる女性を預かるなど、自分、図が高すぎました」

……。

「そういうのいいから。この吸殻捨ててきてくんない?」
「謹んで捨てさせて頂きに参ります!」
「あとついでだ、飴買ってこい。迷子の餓鬼が好きそうなやつ」
「はいっス! ――いやまて、副長となまえさんをこんな密室に二人きりにしても良いのか……? 未成年との交際は肉体関係さえ持たなければセーフと考えられがちだが、実際には保護者の同意なく未成年者を連れ回す行為も犯罪になりえるはずだ。また例え合意の上であっても未成年側にはまだ十分な判断能力が育まれていなかったものとされ、罰せられるのは成人側! 実際、過去にも逮捕例も出ているぞ。幼児化した恋人に副長をロリコンに目覚めさせ、犯罪者にさせるわけには……!」
「誰がロリコンだ、誰が犯罪者予備軍だ。つーか子供の前でなんつう話してんだ。いいから飴買ってこい」
「了解っす!!」

奴のうざったらしさと奉仕が表裏一体であることには頬も引きつるが、ともあれ嵐は過ぎた。

「……おっきい目だった。タマキュアみたい……」

なまえのつぶやきが外界の小鳥のさえずりと共に溶ける。

***

墨汁に濡れた筆が紙面を駆ける音が絶えず鼓膜を擽っていた。終わりの見えない書き物が悪党ども同様、まとめて叩き斬れるものならいいのにと何度目かの歯噛み。
そうやって虚無を噛み締めたところで、己の口寂しさを自覚する。いつもならばこのまま文机で煙草に火を点けるところだが、幼くなってしまったなまえの肺を汚すのはどうにも憚られ、ふらりと俺は立ち上がるのだが。肝心のなまえの姿がそこには見当たらない。
用意してやった座布団はすっからかん。それまでなまえのいた痕跡が皺と窪みとしてあるのだが、当人の影はすっかり消えていた。
だが俺が案ずるまでもなく。失踪なんぞでもなんでもなく。疲弊の滲む視線を滑らせた先の縁側にて、彼女は発見される。

「よう。日向ぼっこか、いいな」
「あ……おまわりさんだ」

いつの間に日向に身を移していたのか。縁側に腰を落とした後ろ姿に、障子の柱に背を預けつつ、問うてみる。
呂律の危うい語調になまえの旋毛に目をやると、うつらうつらと揺れている。そのうえ陽射しに睫毛を伏せているうちにだろう、クリームのように蕩けてしまった瞼。もうひとつおまけにまばたきの速度が一等遅い。

「おまわりさんは、お仕事おわったの?」
「ようやくひと段落ってところだな」
「そうなんだ。おつかれさまです」

俺は煙草の箱を揺らして一服と洒落込もうとする――が、躊躇した。ねむけまなこに絆されたのである。らしくもないが。
そもそもが害悪な煙をそとの風に預けようとしていたはずで。縁側で寛ぐ子供のそばで煙草を吸い始めたのでは本末転倒に他ならない。
どうやら縮んだこいつにはかわいげがあるらしく、それがどうにも俺の庇護欲を掻き立てているようなのだ――確かに俺は子犬や毛玉には甘い節もあるにはあるが――。

「眠そうだな。お昼寝タイムでもとるか?」

かぶりを振って抗うなまえは、まだ“いい子でいろ”という俺の呪文に囚われているのだろうか。であればとんだ頑固者だ。

「我慢するな、寝るのも餓鬼の仕事のうちだ」

未成熟な細胞が集ってできた小躯を軽々と抱き上げた。俺の腕の中でなまえはひっくり返された兎のようにかちんこちんに身を凍らせて、そのおとなしさに磨きをかける。
が、そんなちみっこいやつは一瞬の間ののち我に帰ると。少女らしく明るい瞳を俺に見せつけた。

「……! お姫様抱っこだ! すごいね、王子様だ!」
「王子なんて柄じゃねーよ」

俺たちにはせいぜいその番犬が似合いだろう。

「……おら、おとなしくしてねぇと落とすぞ」
「うん。いい子にする! えへへ」

ふにゃりと破顔した瞬間の誇る、その破壊力ときたら、ない。合法か非合法かも定かではない、薬品の一時の作用、とはいえど。少女状態の恋人は反則だと思うほどにかわいいのだ。
縮んだこいつとせめて一瞬でも戯れることができれば幸いだっただろうに。俺を阻む執務が憎い。

なまえは俺の膝を枕にしてから少々もすると、もう夢の世界のようだった。
先程こいつに貸した座布団を片付けるのを忘れていたが、今はいい。
畳と男の膝だけでは、さきほどまでいた日向よりも幾らも寒いだろう、と。隊服のジャケットを小ぶりな肩にかけてやる。
筆休めの折には寝顔を盗み見て神経をほぐし。時折石鹸の薫る髪に指を絡めて、わしゃりと撫でるのだ。

――糞、抱き締めてェ。

雷光のように総身を駆け抜ける衝動と、だらしなくも緩みそうな面。つくづく鉄を追い出したことは英断だったと感じる。

「……っとに。早く元に戻れよ。なまえ」


2019/12/16
土方さんは真正面から小動物や子供に見つめられるとかなり弱いのかなと。定春家出回然り……。

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