短編

あるいは奇跡の睡眠欲についての研究


傾いた日のように鮮やいだ、緋色の尾鰭と煌めく鱗。ぽこりと飛び出たまんまるい飴玉の眼球。昨夜までは確かに水中を踊っていた、虚無感を孕む小さな亡骸を掌に抱いた。
納涼祭の金魚すくいから連れ帰った出目金たちは、一匹、また一匹と金魚鉢の中を舞うことをやめてゆき。ついに今朝、最後にぽつりと取り残されていた孤独な出目金が、広く持て余してしまった水面に幽霊船のように寂しく虚しく浮いている様を目撃し――。
先に旅立っていった群れと合流できるように、と。庭の片隅の、ほかの群れを埋めたのと同じ場所に新たに穴をこしらえた。

「金魚ぐらいでいつまで泣いてるつもりだ?」

泣いてはいません。と、不愛想な声色になってしまったが、あちらもあちらでぶっきらぼうに「そうかよ」と仰る。
不意に耳朶に降った言葉だったけれど、私の頭上をふわふわと過ぎていく紫煙が、背後に立つ影が愛煙家だと語っていた。
浅く掘った墓穴にそうっと埋葬する。出目金の意志のない骸の瞳に空が鈍く反射していた。

「せっかく土方さんが買ってくださったのに」
「気に病むな。店の水槽で散々客のポイに追い回されて弱ってたんだろ。そもそも祭りの金魚なんざすぐに死んじまうもんだ。わかったらいつまでもめそめそやってんじゃねェ」
「はい」
「死んだもん惜しんだってどうしようもないだろうよ」
「そうです、よね」

お好み焼きのマヨネーズが切れていないか取り締まっている、などと本気かどうかわからない屁理屈を捏ね繰り回してサボタージュに興じていた土方さんが、「せっかくの祭りだ、なんか奢ってやるよ」と気前がいいのか口止め料にか、仰ってくれたのだ。私は土方さんのお好み焼きを半分ほどせしめながら、人のお金なら金魚すくいで気兼ねなく浪費できますね、奢ってもらえるなら出目金にします、とおちょくった。
目当ては何だったのだと聞かれて、万事屋さんの出店だと答えた途端、土方さんの眉間の皺が増えたのでそのあと少しまごまごとしてしまった。
夏の一夜の思い出も、土の下に埋めてしまえばあっけない。しかしそれでいて私はしゃがみこんだままでいる。立ち上がる活力は宙を漂っている。

「子供の頃は屋台の金魚なんてうまく掬えなくて、結局父親に掬ってもらって持ち帰って、それで。すぐに死なせていました。……結局同じでしたね」

風が寒さを運んでくるようになり、季節は、絡繰の回転する歯車のようにまたひとつ巡ろうとしている。花火さながらに散り、朽ちて、私と共に夏を超えてくれる金魚はいなくなってしまった。

「名前は?」
「え……っ?」
「こいつらの。金魚の名前、なんつうんだ」
「あ、ありませんよ。死んじゃったときが寂しいですから」
「それもそうだ」

いっときでも――例え、ひと夏でも。己の暮らしのリズムの中に招き入れた存在が欠け落ちてしまうと、ぽっかりと胸に空洞ができて、風がひゅうひゅう通り抜けるたびにそこが疼いてむずがゆくて仕方が無くなる。
刹那、砂利が跳ねたかと思えば、土方さんが私の隣にしゃがみこんでいた。彼の両手は短い合掌ののち、新しい煙草に火を灯す。細い煙を零しているそれを運ぶのだけれど――彼自身の唇にではなく、金魚の墓に手向けるように立てるものだから、私は瞠目を禁じえなかった。

「……これ、なんですか」
「線香なんざねェが、これで十分だろ」

あまりに慎ましい線香をあげると再び手を合わせる土方さん。そんな彼が不思議でならず、飲み込めず、きょとりとあっけにとられた表情をついつい長く浮かべてしまったけれど。相応しいとも、私やこの江戸には似合いの弔いやもしれないなどと考える。

「お前が泣いたところで死んだ以上はどうにもならんが、こうやってたまに思い出して手合わせるてやるのはいい供養にはなるんじゃねェか?」

だから、泣いてはいないのに。それとも私の涙の幻想でもご覧になったのか。


2019/12/02

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