短編

惑星の燃える音を解いてよ


※クラピカを男性として扱っております。

クラピカはとても語る人ではあるけれど、胸のうち全てを晒す人ではない。
自らがハンターを志すまでを最初は沈黙しようとしていたし、無暗に明かすべきではない大切な秘密をその瞳に宿している。

――たまに地下でなにかしているのも秘密といえば秘密か……。そもそも言わなくてもわかるだろうって思ってる節もあるんだよね。困るなぁ。

賛美を人知れず零すところ、だとか。当人が知りえないところで称賛をおくるのだから、まったくもって不器用この上ない。
本当に、参ってしまう。
しかし、参るのも、滅入るのも、泣き叫びたくなるのも、やはりクラピカがひとり静かにどこかへ進んでいく、そのときなのだった。孤独な道を歩むことも、その実ままならないのに、尚選ぼうとする。クラピカを繋ぎ止めて置くには私の手では脆くて、クラピカを縛る鎖の足元にも及ばない。

***

十二支ん加入に伴い、組を空けることが増えたクラピカに代わり、リンセンが走り回るようになった。私にはそのリンセンの補佐を求められ……、つまりこれまでリンセンに課せられていた業務と、これからリンセンに課せられようとしている業務の一部が、こちらに流れ込む運びとなった。
私が組の内部で鼻高々に掲げられるものなんて、ボスとの関わりが少しばかり深いことくらいで、戦績などまるで輝かしくはない。が、重ねた関係性でクラピカを支える権利が得られるのなら喜ばしい。
しかし明かす裏には隠し事がある。こんなにまで私に情報を開示する真意を、彼の口からは細やかには伝えられていないのである。代理人の補佐が持つ必要の無い情報までもが、過多なまでに与えられる理由。おおよその察しこそ、つくものの。

――協会のことで多忙なのも本当だろうけど。未知の大陸……ううん、それより先さえ見据えている。組の頭の代理補佐、どころじゃない。一時的なものじゃなく。

クラピカが散った折のため?

まさか。否、ありうる。あくまでも“眼”の奪還を目的としているクラピカだが、己の命を軽んじている言動が目立つ。
どうしようか。ずっとクラピカの口から仕事の説明を受けながら頷いていたけれど、もう私はこの人を見つめられなくなってしまったかもしれない。話は終わっているのにいつまでも書類に視線を伏せていてはおかしい。
刹那、クラピカが口を切る。私は反射的にその猫科の瞳孔を仰いでいた――自然に、だ。安堵する。

「なまえ、このあと時間を貰えるか? ひとつ頼みたいことがある」

***

「本当に私が入ってよかったの?」

ここは、祭壇、と表していいのだろうか。
淡い色調の花々が咲き乱れて、中央には祈る聖女を象ったかのような像。人形のための教会のように、狭くも神秘的だ。
ホルマリンで満たされた容器内に浮かぶ、一対の緋色の光。二つの緋色を内包する半透明な容器は幾つも幾つも連なり、この地下室を構成している。一つきりの椅子がぽつんとあるけれど、不思議と寂しくは思わない。
ホルマリンに浸された眼球の、緋いこと、緋いこと。どれもが大粒の柘榴石にも劣らない輝きを誇っており、刮目の衝動に勝てなかった。“緋の眼”の色彩に圧倒されたのも束の間、身体部位なのだ、と脳が解に辿り着いてしまえば、あっけない。目元の皮膚が委縮した。
私達と変わらない、生命をかたちづくっていたはずの眼が、“美術品”として世に渡り、金に換えられ、下衆な富裕層に愛でられているのか。ほとほと同情し兼ねる猟奇的な嗜好だ。私には腐敗した世を憂うことしかかなわない。
一歩表へ踏み出せば、灰色の外套を纏った人々の群れのようにビルディングが樹立しているというのに。導かれたこの地下世界は、どうしてこんなにまで神聖であれるのだろう。
私をこの聖域へ導いたクラピカのその佇まいは寂寥感に溢れている。涙は香らない。けれど彼はとても寂しくて、虚ろだ。かつて蒼の民族衣装に身を包んでいたその人は、当時のように幻想的で、恐ろしくなる。

「なぜなまえが気に病む? 招いたのは私だろう。気分を害してしまったのならすぐに上へ戻るが。すまない、こういったものに君は慣れていると思っていた。特定の信仰もないとも」
「そうじゃないよ。怖くも思ってない、……変な意味じゃなく。ただすごく場違いな気がしたから」

「同胞に会って貰えないだろうか。手を合わせてくれるだけで構わないんだ」――そう願われたのはつい先ほどで、地下にこんな光景が広がっていることを教わったのも、ついいましがただ。
凄まじい敏腕を振るい、組をまるきり清らかに作り変えてしまったクラピカにまさかやましいことなど疑ってはいなかったけれど――マフィアながらに潔癖めいた面のあるクラピカであるし――驚いていた。圧倒されていた、と綴るべきか。
たったひとつだけの椅子が象徴するように、ここはクラピカを孤独にするのだと思う。ノイジーな外界から刹那的に乖離させる。ここに眠る多くの同胞たちとの閉じた世界、そして閉じた対話を実現させる。
誰かが踏み込むことは予定外だったであろうことは明々白々で、招かねざる客人の私は、聖域に拒まれているような、今にも弾かれそうな心地だった。

「場違いなどではない。きっと同胞たちも君を快く受け入れてくれるだろう。もう少しこちらへ来たらどうだ?」
「でも大事な仲間を人の目に晒してるんだよ」
「人? なまえのことか? なまえを単なる他人とは思っていないが」
「あ、ありがとう。実際そうなんだけども」

私は曖昧に微笑んで見せた。
クラピカの空虚な微笑に引き寄せられる最中、思う。やはり秘められていたはずの信仰や思い出や遺体を垣間見てしまって、忍びない、と。

「出回っていた緋の眼の、恐らくほとんどがここにある。……長かった」

その言葉は短かった。
しかしこの人の歩みの途方も無さを知る身にはとても堪える。
クラピカが聖女らしき像の埃を掃うと、金の月の色の髪が首筋に零れ、五本指の鎖がしゃらりと協和音を響かせる。賑わしく咲く花に水を与える背中は、性のない影ながらに凛々と正されて。その手が椅子の位置を整えるべく座面の淵にかけられた折、蠱惑的に浮かび上がる中手骨と蒼い血管に、危うく私は色めいてしまうところだった。

「お祈り、だったよね」
「そうだ」

促されるまま、瞑目、そして合掌。手と手の狭間から酸素を追いやると、自分の肌同士がぴたりと密着して左右の熱がそこで分かち合われる。
胸中でそっと名乗り、はじめまして、と告げる。届くように、と。クルタの人々に今更私がクラピカを語れない、としり込みもしたが。行く末を、無事を、見守ってほしい、と願う。そしてクラピカのちょっとしたかわいらしい近況を添えた。この方は、流行りの音楽に疎いのですね、という具合にだ。
クラピカが捧げるクルタの言語の祈りが鼓膜を震わせる。頼み込んで多少教わった言語とはいえど、囁き声で紡がれてしまうと理解するには不十分で、けれどそれ故にか何かひとつの旋律のように脳をくすぐって――。いけない、航海でもしたら私は真っ先にセイレーンに喰われてしまう。
それにやはり自分は邪魔者そのものだと再認識させられもして。

***

地上一階へ結ばれる階段をふたり登る。踏み外せば地下へ真っ逆さまだ、私は薄暗がりのヴェールに覆われた段差を丁寧に確かめ、強張る爪先で確かめる。
上階の明かりに頭のてっぺんが触れようか触れまいか、というところで、先導していたクラピカがふっと振り返る。

「件の大陸に同行する任務中なのだが、君にあの地下と同胞のことを頼みたい」

やはり。
任務中頼む、とは。本当に“任務の間”だけなのだろうか。刹那的な代理としてなのか。クラピカの死を見据えてなのか。見極めることができるか? 否。
死を否定しないクラピカは、けれど生を肯定している。肯定させられるだけの友人にクラピカは恵まれているからだ。友人達という希望に縋る他ないけれど、それはあまりにか細い糸である。
船上から“眼”を持ち帰る気でいることは本当だろうけれど、いつか命を棄て兼ねないというのも、クラピカのなかに同居している。死に怯えていないのも事実、今朽ちるわけにはいかないというのも事実、いつ全てを擲つともしれないのも事実。事実だけが幾重にも重なって存在している。
――無論、快くではなくても承諾する以外、道は残されていやなかったのだが。

***

夢心地、だ。なんだかまだ夜を引き摺っている。
昨日は仕事を終えるとそのままクラピカの自宅に上がって、転がり落ちるように爛れた繋がり方をした。
触れ合う折にはお互いいつもと異なる呼吸になる。二人きりで分かち合うその秘密に耳をそばだてながらに、息を奪い合う。平素より強く汗が香っていたのは私がシャワーを拒んだせいに違いない。
昨夜の私は何よりも間と沈黙と言葉を恐れていたのだ。おそろしいそれらが降りてこないうちに、獣に回帰してでも逃げ果せたかったのやもしれない。クラピカにおいていかれてしまう未来を想像してしまうことにも、知らしめられてしまうことにも、どちらにも胸を刺される。おうとつを埋めてもらうことで突き刺されている現実を忘れてしまいたかった。緋色の瞳と見つめ合えばそれはもう対話以上に素晴らしく結ばれる気がした。
だから、と。そこに要因の全てを集約する気はないけれど。私はあの人と抱き合いながら、大変な戯言を零してしまった。
必要ない、と――避妊具から眼差しを外しながらに。
クラピカが「何を言うんだ。辛い思いをするのは君の方だぞ」と叱責してくれる人だったからよかったものの。

倦怠感に蝕まれた四肢に鞭を打ち、下着とブラウスだけはなんとかこんとか身につけて、私は爪先でシーツを引っ掻き、皺を作ってみた。純白の朝焼けのもとで波打つシーツは、まばたきする都度、温もりの残滓を空気に奪われていく。冷たくなりつつあるクラピカの寝具からまず私は下肢だけで脱した。

「いつのまにかネクタイつけなくなったね」
「重要な場で身につけていれば十分だからな」
「どっちでも似合うよ」
「たいしては変わらないだろう」
「変わりますー」

とうに身支度を整えてしまったクラピカの、空っぽの襟元。そろりと視線を淡い金の毛先へ差し向ける。嗚呼、跳ねている、なんて。見つけた彼の寝癖を微笑ましく思いつつ、無邪気に跳ねた金髪を撫でつけようと手を伸ばしたとき、クラピカがそっと唇を割り開く。

「君は……その、出産願望があったのか?」

耳殻をどうにかするかのような一言に、私の脳は氷結した。

「私は、そういった家庭内の幸福というものに執着がない方、だとは自覚していたんだが……。私もなまえも一般的に考えても十分に若い年齢であるし、判断は急がずとも、という甘えがあってだな。将来設計などは正直まったく……。なまえを不安にさせていたのなら詫びさせてほしい。いやしかし、そうでなくとも、それは二人で慎重に話し合いを重ねて決めることではないのか?」
「いやあのちょっと、待っ――! ゆ、ゆうべ? の、あれのこと、だよ、ね」
「あ、あぁ」
「ご、ごめん。あのとき私が安直だったというか、安直すぎただけなの! クラピカが大陸に行く間、何か拠り所みたいなのが欲しくて、それで、でもあのとき頭からっぽだったし! 安直に……本当に、安直に……」

眼球があちらこちらへと放浪して、終着点へ辿りつこうと必死になっている。
なんということだ。彼を追うことができない不甲斐なさと、孤独感と、失う恐怖が入り乱れた末に弾き出された戯言が、クラピカには願いとして伝わってしまったのだ。違うのだ。自分は何がほしいのかがまるでわからず、表現法も知らない私は、あろうことか授かりたいという原始的な願望に帰結させてしまったというだけで。

「ただ寂しかっただけなんだと思う……。どうにかできるだけの何かがほしかったのかも、しれない……。自分でも、わ、わかんないんだけど」

原型はもうどこにも留めていないから、自分の感情だというのに恥ずかしながら憶測だけれど。
こんな愚かしさを吐露するばかりの感情論でクラピカは許してくれるだろうか。ちらりと盗み見たその人は、閉じ合わされた薄い唇の狭間でふっと息吹く。

「私には何もない。差し出せるものは何一つないんだ。道徳心も誇りも尊厳も失い……挙句君からも少しずつ何かを奪い続けている。君には何度も言っているが、人と同じ幸せを望むのなら、私のことは忘れろ」
「何度も答えてるけどそれは嫌なんだよ。それだけははっきりしてる」
「皮肉なものだが私の側にいない方が君が幸福だというのも事実だ」

とっくの昔に私は目を瞑って、現実を眼界の外へ追放している。――この国の方に従ってるとはいえど――マフィアという職も、社会の暗黒面を垣間見る日々も、常にこの危うく綺麗なおひとの隣を選び続けた、その代償だ。

「――全く……右側だけでいいな?」

クラピカの指が彼自身の右の耳朶へと運ばれる。イヤリングなんて外していったいどういう……などと瞬きをしながら言葉の続きを待っていれば、歩み寄られ、距離を詰められ、まだ櫛を通していない鬢を耳の裏へと流された。
銀色の煌めきが一つ、眼界の隅を通り、分け与えられる――パチ、と私の右耳で金属音が揺れ、イヤリングを手ずから嵌められたことを悟った。
私の右耳にクラピカの耳飾りが儚く揺らぐ。

「……片方だけあげる文化があるの?」
「知らないのか? 片側の耳にのみ身に着けるイヤリングというのは、左のみの場合は凛々しさや男性性の象徴、逆に右のみの場合は優しさと女性性の象徴とされる。今では同性愛者であることの表明としての意味も強まりつつあるが、こうして左右で意味づける伝統は古くから各地にあるものだ」

語りつつも、クラピカは私の髪に触れたままで、ご機嫌に毛先と指を絡めている。ほんの指の戯れなのにまるで血潮が焼かれているようだった。少し撫ぜられているだけなのに鳳仙花みたいに爆ぜてしまいそうで。

「イヤリングは気に入っていたものだが、目立たない装飾であることは少々残念だな。重量があった方が身に着けている実感もあっただろう。君に相手がいるとも、伝わりやすかったろうに」

ううん、と私はかぶりを振る。これがいいよ、と言葉を付加した。
私達の間に当方もない距離が生まれても、クラピカの控えめな体温を思い出せる、なんて。とても素敵なこと。同時に、洒落た行為に及ぶにも迷いがない姿勢に私ははにかむ。
嗚呼。でもな。ひとつ惜しい。
大切に身に着けて、そして預かっておくから、だから、きちんと返させて――そう約束する勇気があればよかったのに。


2019/06/09

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