短編

黎明に世界がふるえた、終わりを告げる声があれば、終わる夜もあった。


「今夜は星が見えないな」

そうだね、と私はいかにもクラピカを肯ずるかのように言ったけれど、実のところこの都市で星空と相まみえないのは今晩には限らない。樹立するビルディングそのままの多角形の天球を仰ぐクラピカは、そうか、星の煌めきを恋しがることのできるクラピカに戻りつつあるのだ。
憤怒に生かされるのではない。しかし霞の向こうには虚ろな日々があるやもしれない。
天使のディナーみたいにあたたかで心許ない安堵に骨をほぐされながらも、私は夜風に晒されたその肩を案じる。

「目が覚めたか? こんな時間にとは災難だな」

踊る煙草の紫煙の隙間に視線の糸を通して、私達は眼と眼を結び合った。

「うん……。クラピカはまだ寝ないの?」
「まだ少し仕事が残っている」
「煙草、様になってるね」
「ん、――すまない。配慮が足りなかったな」

安価な灰皿の表面でクラピカが謝罪と炎を圧し潰せば、ほろり、とラムネみたいに崩れる灰。月光に濡れた灰皿は一級品の陶器とおもい違う滑らかさを誇るように感じられた。

「……すっかり喫煙者だね」
「ただの処世術さ」

ふ、と自嘲するクラピカ。
私はクラピカの傍らでカシオペア座を探す事にした――けれど、ネオンライトは喧しくて星座達のささやきはここまで届かない。きっとかくれんぼをしたがる幼い星々ばかりが、この街で煌々としているからだ。都市の全てが汚らわしさに浸っているだなんて信じたくはないから。お門違いと知りながら劣等な星を責めてみる。
まばゆい街。その狭間に暗躍する影。悲願を握って、影に身を染めたかたわらの綺麗な綺麗な子。
深海の青色をした民族衣装のあの子は失われてしまったのだろうか。暗黒大陸の話が舞い込んで、希望に触れられるやもしれなくて、その眼差しは凪いでいるとも自棄とも取れて。幻想的なあなたが羽ばたくこの世界が、腐敗してゆく惑星だなんて。

「怖い夢を見たよ」

徐に云った。
けれども悪夢の題名はわからないままだった。こんなにも脳裏では悍ましい色相が迸っているっていうのに。泥沼に足を阻まれているみたいに、その先はうまく言葉を選べない。
凍えているのかどうなのか、零れ落ちそうなほどに震える瞳孔が自身の脆さを象徴している。
安寧のなかに私ひとりが置き去りにされる夢だった。たくさんの大切な人が地獄のような場所に旅立っていく夢だった。クラピカも、現実に旅立ってしまう。
刹那。

「――っ」

ことばの源泉になれずにいた唇がクラピカに封じられた。
そのキスからは大人びた苦味と煙たさが強く薫った。

「口にした物事ほど意識に深く刻まれるものだ。夢にしろ悪夢にしろな。思い出したくない記憶には触れないことが一番だろう」

片眼を瞑って、人差し指を立てて。ラヴロマンスには幾らも満たない、なんとも久しい語りたがりのクラピカだった。

「……よく眠れるおまじないかと思ったのに」
「それで君が寝付けるというならどう解釈しても構わないが?」
「そういうんじゃあないでしょー」

でも、そうなのか。くちびるに乗せることで志しはより確かなものになる。本当にそうであるのなら、忌々しそうに悲願を語り、そして唱えつづけてきたクラピカは。そうすることで自らが柱にしていた憎しみの蝋燭を絶やさないように、今日に至るまで必死に繋ぎ止めてきたのだ。
この人は私が引き留めていい人じゃあない。知っていたけれど、淡い望みは浅はかに他ならなかった。湖面の月に指を伸ばすお姫様のように愚かしかった。

「ほんとう、クラピカはかっこいいなぁ」

王子様にだってなれちゃうよ、なんて私は笑う。笑顔が虚飾めいたものであったかはわからない。
安らかなあれ。


2019/04/03

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