短編

プリズムの研鑽


※診断メーカー
※ファンタジック注意


澱んだ曇天から舞い降りてきた六角の雪のこどもを、一粒ずつ丁寧に硝子瓶に詰めてゆき、集めた其れをなまえいで糸の束にし、壮五さんの髪として梳いた。雪色の髪はとても人造とは考えも及ばない程柔らかく、滑らかに指の隙間からこぼれる。
子猫の舌もご満悦のミルクを肌に数滴垂らし、薄く引き延ばして。カルダモンは非常に香り高い品であるから、筋肉を強張らせ慎重に与え、高貴に香らせる。
私は大粒のアメジストをふたつ、さざれの石英の中から選び取る。

「では壮五さん、眼の方、失礼しますね」
「うん、ありがとう。お願いします」

ぱかり、と扉さながらに開いたが、それは壮五さんの瞼だった。糠床を掻きまわしこねくり回すように、何の変哲もない日課同然の指裁きで、ずるり、と彼の古びた眼球を取り出す。この古い瞳も昔は美しいアメジストとして煌めいていたが、現在では劣化し、シトリンと鉱物名を改めなければならない有様だ。元が良質故、下層から徐々に黄金が差していく瞳はアメトリンのようで、銀髪金眼の御人形としても差し支えない麗しさだったが、どういった原理か、それでは眼界が霞むらしい。
壮五さんのからっぽになった眼窩は、月面のクレーターのような虚無感とおどろおどろしさが眼を穿つ。さらに彼がひとがたであるが故のグロテスクさが重なり、喉をせり上がる嘔吐感を嚥下するだけで必死だった。

逢坂壮五さんは人形だった――それも志のある。

ルースのアメジストは、石座に見立てた彼の眼窩に収める。ただ物体としてシャンデリアの灯りを反射させていたアメジストは、壮五さんの視覚となった刹那、明確な意思をそこに輝かせた。それはまさしく双眸だ。
換えられた新たな瞳を確かめるように、幾度かまばたきを散らしたあと、問題ないという風に壮五さんは淡く笑んだ。

「見えていらっしゃいますか?」
「お陰様で随分とよくなったよ」
「よかったです。痛かったりはしません?」
「それもないかな。ありがとう、なまえさん」

去る大富豪がほんの戯れになのか、はたまた渇望の末になのか、経緯は定かではないが、見る者の目を必ず見張らせる、神話のように美しい人形を拵えたのだそうだ。血と共に豊かさを継承しながらも、子宝には恵まれなかった富豪が自身の遺伝子に換えて生み出した、とは風の噂に過ぎない。孤独に耐え兼ねた人間がついには芸術に狂ってしまっただけのことだと囁く声も多く聞く。真相は、富豪の亡骸とともに地中深くで眠りについてしまったが。
神秘の壮五さんに食事は不必要であり、睡眠も疑似的なもの。佇まいも振る舞いも人間そのものであるものだから私も家の人達も半ば忘却しているが、数週間に一度、ほころびが目立ち始め、メンテナンスを控えめにせがまれた折、再認識させられるのだ。
髪は雪の糸、瞳はアメジスト。肌にはミルク、そしてカルダモンを少々。滑らかな動作や呼吸を保つため、悪魔の羽根に、幼い少年少女の泣き叫ぶ声――私の属す人の群れとは何もかもが異なるのだと。

「なまえさんなんだか元気がないみたいだけれど……大丈夫?」
「大丈夫ですよ。少し疲れてしまっただけですから」
「そう……。やっぱり骨董品やは遠かった? 僕の為にいつも申し訳ないよ」

そんな、と私は口籠る。とんでもないです、朝飯前です、と力拳を小さく作るが、彼の面持ちは切なげに曇ってしまった。

「それに骨董品屋の魔女は意地の悪い人だと聞いてる。何か無茶を言われたりしていない? あの羽根がなくても少し動作や息が重苦しくなるだけで、壊れてしまうわけじゃない。僕は大丈夫だよ」

私の腕で存在感を示す包帯をさらりと撫ぜて労わる壮五さんの指が、砂糖菓子でかたちづくられているのだと、今になり新事実の後出しを喰らったところでさして驚かないだろう。魔法に明るくない私には無茶な“無茶”、即ち依頼を羽根の代わりに魔女から承り、案の定増えた包帯を、菫色の眼差しが憂いてくださる。
壮五さんの主成分がひとつふたつ欠けた程度で、破壊の一択なわけではないとは知っている。しかしこうして温度を交えているうち私の中にも感情が育ったのだ。生命を揺るがすことはなくとも、苦しみは苦しみだ。歪む柳眉はあまりに悲しく、とても見てはいられない。
私は夜空色の羽根を彼に捧げる。
残るは。

「あとは“泣き声”なんですが……すみません。手に入らなくって」
「いいんだ。なまえさんは優しいから、きっと小さな子に手出しするのを躊躇っていたんだよね? 大丈夫、“泣き声”なら自分でなんとかできるから」
「前もそう仰いましたよね。本当は無理していらっしゃるんじゃあ……」
「……」

優しい困り顔までもを操る壮五さんの豊かに動く表情には感服してしまうが、真っ直ぐに見つめ合う今はそれ以上に胸を締め付けてやまない。

「大事なことを隠されてしまうのは悲しいです」私は希う。
「隠していてごめんね。心配をかけるだろうと思って」

曰く、鮮烈な記憶のフラッシュバックであれば例え幻聴でも不完全ながら条件を満たせるらしい。

「眼を閉じて情報を整理していると記憶が瞼の裏に投影される事があって――なまえさんたちで言う、夢を見ている状態なんだけど……。時折小さな自分が泣いている夢を見るんだ」

いつもの夜と何ら変わりなく、椅子に腰かけ瞼を閉ざす準備に入った壮五さんは、蓋をし晒したがらなかったご自身のことを物語ってくださる。

「父さん――僕を作った人――は跡取りが欲しかったんだ。それで僕を作って、僕に道を示した。想定外だったらしいけど、僕は感情が豊かで、そのせいで苦しかった。けれど弱い人間は望まれてはいなかったし、父を愛していたからね。望むように、って」
「……泣いていた壮五さんがいらっしゃったんですね…………」
「そうじゃないんだ。作り物だからもう子供として泣かないと思えばその通りになる」
「じゃあ、」
「泣きたかった僕が生き返ったみたいに、あそこでそうしているのかもしれない」

これから悪夢へ身を溶かす彼を。

「手を握っていて欲しいんだ」

これならすぐに海底からだって掬い上げてられる。
それになにより、目覚めたときさいしょに知覚する物が固い背もたれだとはいささか寂しい。


2018/09/16
#貴方を作るなにもかも /766184

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