短編

小さな嘘を食べちゃった王子様


記憶を取り戻した後の色欲さん。

魔法弾によって開けられた穴に、剣の切っ先が掠めて出来た裂け目。血濡れた大地に横たわるなまえの躰は変わり果てていた。衣服を染める鮮血の赤は、彼女の裂け目から溢れ出て止まらないもの、だけではないのだろう。彼女の血液と、彼女が斬り伏せた者達の血液。持ち主の違う幾つもの赤が、彼女の体の上で入り混じっている。
腹わたを撒き散らしながらも勇ましく剣を取り、懸命に振るい続けようとした少女だったが、強靭な精神力に反して肉体は常人だった。
今日という日の中で、今というこの時間の中で、無慈悲に容赦無く奪い取った命が、全てその身に返ってきたような。奪ったぶんだけ奪われたような。そんな末路を傷だらけの脚を引きずって、歩み出そうとしている。
嗚呼――。
ゴウセルは悟る。
助からない。死んでしまう。彼女は、もう。
それは予感でも何でもない。事実となりうるものだ。なまえの死という、この先に起こる想定内の未来。
決して覆りはしない予定調和悲劇の結びの訪れを、ただ待つ事しか出来はしない。

「なまえ」

歩み寄り、彼女の顔の側に膝をつく。彼の動きに合わせ、纏う鎧が薄い金属音を響かせた。

「ゴウセル……」

なまえは精一杯彼の呼び掛けに応じようと乾いたくちびるに少年の名を乗せた。
酷い光景だ。築き上げられた敵陣の死体の山。赤黒く汚された空気と景色。
せめて安らかに眠れ、とゴウセルは。彼女の目元を手で覆い隠し、その虚ろな瞳から景色を追い出した。
神経を遮断し、視界を奪う。

「おかしいわ……。ゴウセル、目が見えない……」
「大丈夫。今日は曇りだったじゃないか」
「そう、だったかしら……」
「そうだよ」

今も尚自分達の頭上で憎たらしく輝き続ける太陽の光が目をいたぶるけれど。戦場に似合わぬ眩ゆい陽光がゴウセルの琥珀の目にしみて痛いけれど。

「ゴウセル、そこに、ちゃんと、いるわよね……?」

浅く乱れた息の隙間に絞り出されるか細い声。

「大丈夫。なまえ、俺はここにいるよ。お前のそばに」

他人の血液が付着することも厭わずに彼女の手に手を重ねた。
彼女は今誰もいない孤独の闇の世界を見せられているのだ。人工的な体温とはいえ、ゴウセルは自身の持つそれが造りものとは思えない完成度を誇ることを知っている。ならせめて人の温度が、ぬくもりが、すぐ側にあることを感じていてほしい。
そうして握り締める。

「ねぇ、どうしてさっきから、大丈夫……って、言うの」

変なの、と淡く笑むなまえの世界にゴウセルの姿はない。それでいい。

「もう、いいんだ」

もういい。頑張らなくて。力まなくて。力を抜いてしまって、いい。呼吸も、鼓動も、何もかも、やめてしまったっていいんだよ。頑張ったじゃないか。誰も責めない。だから、もう。

「ごめん、ね」
「何のこと?」
「押し付けちゃって……。帽子亭の仕事。私、いなかったら、雑用みたいなの、とか、ゴウセル一人でやらないと、でしょう……?」

ごめんね。

重なっている手――力が通わなくなり、滑り落ちそうになった彼女の手を、握って引き止める。

「…………許さないよ…………」

そんな風に謝ったって。
絶対に。


2017/09/09
今までのゴウセルなら低い確率を低い確率としてそのまま述べるだけでしたでしょうに、確率は低くとも戻ってほしいと思えたり、信じられるようになったのです……(233話より)

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