短編

宇宙の主の瞳


※ヒロイン=転校生

「なまえ。なぁなぁ、見て見て、おれ蜜柑の筋取るのうまいだろ〜? リッツにやってやってたら上達したんだ」

へへん、と得意げに胸を張るレオさんの掌中で、ころん、と転がる果実は彼の髪色そっくりの鮮やかさ、瑞々しさ。そうですね、と単なる相槌のつもりで打ったものの、実物を注視して呼吸器官が硬直した。到底素人の業とは信じられそうもない、美しく輝く宝珠のような、メロパールと見紛い兼ねない蜜柑がそこにはあったのだ。いやどんな才能を開花させているんですか、先輩。
すごいだろうそうだろう! と呑気に胸を張っている場合、いえバヤイじゃないです、これは。匠の技ですよ、これは! 芸術でしかないです。
その後も私に蜜柑を剥いては与えてくださるレオさんであったけれど、暫し経過したところでふと思う。何故だか彼は無闇矢鱈と私の世話を焼こうとしているらしいのだ。どこか秘密基地めいたスタジオ内でいつの間にやら開幕しており巻き込まれてしまったおままごと。配役はといえば彼が親で私が面倒を見られる対象らしく、蜜柑から開幕したホーム喜劇は手ずから飲み物を淹れてくださったり、甘味は欲しく無いかと尋ねてくださったり、それはもう凄まじく。普段私が行なっているマネジメントもといプロデュースに限りなく近しいものばかり。
しかし超人狂人揃いの夢ノ咲とはいえワーカホリック程度しか染められていない私はきちんと疑問符を抱くことができた。レオさん、突然なんなのだろう、と。まともかつ素直な解を得られる見込みはなかったけれど、思ったままに私は問いてみる。すれば、案の定。

「別にどうもしないけど。邪魔すんな」

ふい、と尖った葉色の双眸は逸らされるけれど、どうもしないや大丈夫と唱える人間ほどその状態からは遠い場所に位置していることを私はよく知っている。けれど直ぐ様耳をぺたりと頭にくっつけた仔犬のようになり、眉を下げた愛玩動物そのものの面持ちで私を振り返った。

「ごめん、嘘!」

ぱんっ、と両掌が閉じ合わされて軽やかな破裂のクラップ音が弾ける。

「ほんとはどうもしなくない! いまのおれにはマリア様が足りてないんだ!」

ま、マリア様、とは。

「力強く、守る、守り抜くっていう騎士性だけじゃなくって。あるだろ、いろいろ、他にももっと! 包んで慈しんだり癒したりの、聖母性。そういうかたちした愛とか、庇護とか、優しさとか!」

ぐちゃぐちゃで、支離滅裂で、先行する単語やイメージばかりが散らかっているけれど、力説する拳から聞き手の胸にまでじんわりと滲み広がるものはあり。
いつもながらの突然の、というやや矛盾を抱えたレオさんの咆哮。いつもながらのそれだけど、いつもながら突然に機関銃は連射する上、やはり突然にピリオドを殴りつけて刺々しさを不器用にとり落す。

「けどそういうのが全然わからない。見つからないんだ。無性の愛ってものを考えれば考えるほど遠ざかってく。どうしたらいいんだ……おれ……」

たすけて、と瞳が濁流から掬されることを渇望していた。

「――――なまえ……」

いつだったか、発音がし易くていいとレオさん自身が褒めてくださったその名前は、私のもの。透明感のある声音に淀みなく呼ばれてしまったら――。
配役は、逆転。
子供返りを起こしたレオさんをそっと包んで、私は母を目指してみる。懐に迎え入れた日差しのように輝かしい夏蜜柑色の旋毛は迷子の項垂れ方だった。簡素に結わえて尻尾にされた伸びっぱなしの後ろ髪が、親にまともに手入れも施されていない哀れな子のようで、甘やかしに歯止めが利くのやら。

「なまえのほうがよっぽどマリア様だ……」

抱擁の最中、彼は。

「やっぱり青い服なだけじゃあだめだよな」

と、私達が纏う制服の色を彼はなぜか嘆くのだ。

「青色は聖母マリアの色なんだ。結婚式でもサムシングブルーってあるだろ? でも形だけじゃあ幸福は呼び込めたって霊感は味方になってくれない……」

この先輩はみょうちきりんの代名詞のように思えるけれど、やはりただの異星の住人なんかじゃない。底知れない知識量に、今回偶々アイディアが降りてこないくらい、気にする必要もないですよと堪らず慰めたくなるけれど、胸の中で尖らせた唇を見つけるとそれも言えない。
素晴らしい音色を奏でる才能は魔法のようでありながら、うまく造形できなければ厄介な呪詛に変わり果てる。そんなものからレオさんを逃がしてあげたいという気持ちがつい零れ落ちてしまう。それも仕方がないのだ。うんうんと唸って、捻り出そうと幾つものことを試みて、それでもてんで駄目駄目な様子で、捻って捻って針金みたいに捻れている人が哀れでならない。
嗚呼、でもこんな私のお節介も大切ではあるのやもしれない。
一つの着想に籠城を決め込んで、蓋で鍋を密封したままことこと煮詰め続けるのもすぐに精神力を吸い上げてしまうから、偶には。偶にぐらいは視線を外すように促して、私が火加減を見守る役を交代するのも構わないだろう。そもそもがレオさんは一つの旋律に情熱どころかその瞬間の生命活動のほとんどを注ぎ込んでしまうお方である。そう、気晴らし、つまり充電だ。
レオさんを見つめる。
レオさんの髪には外の汚れが混じり、唇は荒れていて、ネクタイは歪な結び目だった。これではアイドルがそれでどうするのだと泉さんに怒られてしまう。誰でもないレオさんの為に購入したリップバァムを差し出すけれど、ただの赤子の唸りか返答か判別がつかないやや悲しげな「んー」が寄越されるだけで終えられてしまって、私もまた眉を下げる他ない。
よぉし。ならば宣言をしよう。精一杯、この私が聖母様を演じ切ってご覧に入れよう、と。
まずは髪の中に入り混じった砂粒や朽葉の欠片を手で払い除けて。
次いで。くるくる、とリップバァムの蓋を外すと中からクリームの山が現れるのでそこから人差し指でひと掬い。そのひと掬い分をレオさんの血色のいい唇のてっぺん中心部に乗せて差し上げ、そこからそうっと指で引き伸ばしていく。果実みたいな唇を押し潰さぬように、誤って引っ張ってしまって引き千切らないように、そうっとだ。少し多く取りすぎたのか余ってしまった迷子のバァムは自身の唇の軟膏とする。
甲斐甲斐しく身なりを整えて差し上げていると、少しずつレオさん本来の格好良さと可愛らしさが取り戻されていくので満足感が漲る一方で、手入れを施してしまうと返ってしゃんとしていない部分が目に止まるようになってしまい、気になってしまう。肌の調子は自宅でなんとか管理して頂くとして、せめて服の乱れは私がここで整えよう。
例えば、ネクタイ。少しばかり不恰好な結び目が、違和を覚えさせる不自然な長さ。ううん、気になる……。
指定のネクタイは、引けば、しゅる、と小気味好く解けた。ひっくり返った出来上がりになってしまわないようにレオさんの脇から手を差し込んで抱き込む形で挑む。慣れないネクタイを完成させたのなら、ぴしり、と襟を正して。

「おぉっ、なんかよくなった」

感想を頂戴する。

「……こんな風に、無償に優しくできたらいいんだけど」

果たして貴方はどこまで高い純度を求めるのでしょう。喜ぶ顔が見たいから、という優しさの根本さえ有償として数えてしまうのならばそれは酷く生き辛いおつむじゃなかろうか。それでは聖母性を輪郭を見つけ出して欲しいがために母の真似事に勤しんだ私の動機でさえ無に返されてしまう。
いやそもそも、こんな風、と仰ってもらえるような代物はもとより無かったのである。輪郭だけでもどうか浮かび上がって、なんて、それだけにとどまる願いじゃない。このてのましたのたくらむこころ――下心。
どこにもないそれは、レオさんのその翡翠の、無垢であらゆる側面をは映せない双眸の奥にしか存在しないのだ。


2018/04/20

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