短編

番外編


小噺詰め。

◆これ以上を望んだら?

背中に押し付けられる床の冷え冷えとした硬さは時間を置いたところで肌と馴染み合ってはくれない。自分に覆い被さる人物の背後に広がる天井を逃避がてら仰いで、視線を少年へと戻すと改めて私は自分の置かれる状況を自覚した。押し倒されている、と。
「真緒」と微かに呼ぶ声もまるで彼の耳には届いていないかのように。余裕無く息をして何か込み上げてくるものを必死に抑え耐えている、珍しい事もあるものだと確かな違和を感じ取りながらも崩れない能天気さでそんな姿を下から眺める。
真緒、ともう一度投じようとした呼び掛けは押し付けられた唇に吸い込まれて消えた。申し訳程度にシュガーコートを纏っただけの色欲は隠し切れていない。見上げた真緒の爛々と光る緑の目は見慣れた色のようで知らない熱を孕んでいた。どくり、波打つ心臓の振動が肋骨を伝って全身に響く。
触れ合わさっていた彼の口から名前を呼ばれる。

「なぁこれ以上の事したいって言ったら、どうする?」

視線が絡んで反らせない。これ以上の事。キス以上の事。手を握って、見つめ合って、舌を絡めるだけじゃない。もっと身体の芯から一つになるという、それはそういう意味だ。
胸元を結ぶ制服のリボンがほどかれて呼吸はし易くなったはずなのに息苦しさから解放される所か増すばかり。第一と第二ボタンを外す手つきは妙に慣れたものだった。あの年上の幼馴染の世話をしていたからだろうか。吸血鬼を自称する、あの眠たげな。
制服の上から胸部をまさぐられ、慣れない触られ方に下ろした瞼をきつく閉ざす。あまり凹凸のない身体を滑り、脚に手が降りて。長くも短くもない私のスカートの中、太腿に見た目によらずごつごつとした真緒の指の感触が沈んだ。
スカートの中に、奥に、優しく撫ぜながら進んでいくのだから結局は同じ。秘部を、下着越しに爪の先が掠めて瞬時ぎゅうと腿を閉じ合わせた。

「や……っ、やだ、やめて……」

彼は、その言葉を待っていたのかもしれない。

「わり……。急ぎ過ぎた、よな」

項垂れた首に腕を回そうとしたが直前で止められた。

「今は、やめてくれ」

小さく頷く事しかできなかった。


2017/04/03


◆あまい雰囲気。

キスをねだる。いつもみたいに、あるいはいつも以上に甘みと興奮を帯びた眼差しで、それでもどこか遠慮がちに。ねだられる。
それまで真緒と並んでベッドに腰掛けている状態だったが、ぎしみしと音を鳴らしながら上り込むと膝立ちの状態を作ると座高に差が出た格好で望み通り口付けた。滑らかな頬を左手で包み、後頭部に巻きつけた右腕は意地悪く退路を断つ。舌で閉ざされていた唇を割って口内に侵入すると、おずおずとぎこちなく真緒が差し出して来るので自身のもので絡め取った。こっそりと自分だけ目を開けて真緒の顔を盗み見ると飛び込んできた整った目鼻先に後悔する。
びく、と逃げ出そうとする臆病な舌を追いかけて強く吸ってみる。力加減の上手くいかない真緒の指先に肩を掴まれ、微笑ましく思ったのも一瞬だった。寒空の下に放り出された人間のようにひくひくと痙攣を繰り返す手が何を誤ってか私の皮膚に爪を立てたのだ。
いひゃ、と声を密着状態にあった唇同士に隙間が生まれそこから久しい空気に触れる。離れると引いた銀糸を色気無く拳で拭ってしまう真緒は軽い息切れ混じりに不満を零す。

「っん、で……なんで俺がリードされてんだか……」

言葉と共に景色は反転。曰く逆であったらしい配役は再び逆転をして通常運転。
文句有り気な台詞の割にはやんわりと至って優しくマットレスに沈むよう促され、天井を背に覆いかぶさる真緒を見上げる格好になった。

「私が、下、なの……?」
「普通そうだろ、何驚いてんだ? 今のが少し変だっただけだからなー?」
「そっか、私、下……なんだ。ってことは真緒が、い、いれ、るんだよね……」
「だからさっきからそれが普通って、」

言ってるだろ、とでも続くはずだったのだろう言葉を唇を合わせて打ち止める。は、と息を漏らす真緒があまり乱れていない呼吸とそれ以上に彼が思い描いていたものから大分狂ってしまったらしいペースを整えるべく一度離れた。そうしてまた不慣れなキスを繰り返す。
いっそ境界が曖昧になるくらいに溶かしてくれればいいのに。
呼吸に障らない優しいものが押し当てられる程度で、くすぐり続ける啄ばみ方がまた逆に苦しい。

「……キスばっか……。もっと触ってよ」
「って言われてもいざこうなると、な」
「……久しぶりにへたれてる真緒見ると安心する」
「うるせぇよ」

首筋に真緒の唇が押し当てられた。乾いた唇の動きが触れ合わされた肌から直接神経に流され、じりじりと身体の芯を焦がしていく。キスを落とされて、強く吸われて肩が跳ねた。立てられた歯が肌を裂いて傷が作られる。震える喉が細い悲鳴を取りこぼしてしまう。
それでも足りないと欲張る私は肩に軽く乗せられていた真緒の手を取ると自分の胸部へと自ら導いた。手中に収まる大きさとはいえそれが持つ独特の質感にびく、と驚いた真緒が顔を上げた。

「お、おい……」
「だって……触ってって言ったのに、私。真緒が」

真緒が、そう、真緒が悪いのだ。
お願い、早くして――乞い願う。
ぷつ、ぷつ、と恥を忍んで胸に真緒の手を置いたままボタンを指で弾いていった。眼前に晒された肌をそこだけ申し訳程度に覆う下着から、ふいと赤い顔を背けようとする真緒の頬を捕まえて。ねぇこっちは特区に覚悟なんて決めてるんだから。今更何を躊躇うの、しかもそっちが。視線で続きを促した。


2017/04/03


◆真緒誕

みょうじなまえの送り主の名で、真緒の自宅のポストに滑り込まされていたのは嫌に薄い封筒だった。耳に残る仲間達からの「おめでとう」を思い出す。3月16日。普段と変わらない慌しさで通り過ぎていった、しかし自分にとっては少し特別な日付け。今日と彼女とが結び付くと、唇が綻んでいた。
何かが入っているようには思えない厚さとサイズ感に中身は手紙の類かと、どんな言葉がしたためられているのかと胸を踊らせ靴を脱ぎ捨てる。

封筒から出てきたのは3枚の図書カードとメッセージカードだった。1000円分が3枚、3000円。好きな連載の単行本が6冊といったところだろうか。
『お誕生日おめでとうございます。北斗君の話ばかり聞いたりしないので末長くよろしくお願いされてください。愚痴ってくれない真緒もどうかと思いますけど。羽柴』
紛れもない彼女の字で綴られた短いメッセージの簡潔さにあいつ……と真緒は笑みを零す。
鞄のポケットから携帯端末を取り出すと画面を呼び起こし、連絡帳からなまえの名前をタップする。スピーカーを耳に翳し――センサーが機能して暗くなった画面を確認する――相手側と通じるのを待った。

『もしもし。……真緒? あ、おめでとう』
「おう。サンキューな。プレゼント、ポストに入ってた。わざわざ悪いな。けどお前、誕生日のなら直接渡しに来いよなー」
『ごめんね、忙しいと思って』
「ま、気にしてはいないけどさ」
『ちゃんと埋め合わせ、する。週末とかどう?』

なまえの気遣いの果てのプレゼントの郵送なのだから、埋め合わせ、と彼女が言い出す程のことではない。要するに、口実だ。週末にまた約束が一つ出来上がった訳であるし。
今日が自分の生まれた日だったところでカレンダーは祝日の赤に色づいてくれる訳でもなく、卒業式シーズンで仕事も雪崩れ込んでくる。家を出てしまえば殆ど飾りのようなこの日より、約束を結んだ週末の方がなまえとの輝かしい瞬間となるだろう。それは、そうとして。

「なぁ、通話切るのもうちょっと後でいいか?」
『うん。丁度今、話し相手が欲しかったところなの』

電子音の赤い糸でもう暫しの間繋がりを見出していたいと思う。

2017/03/16 Happy Birthday
(2017/10/05 rewrite)


◆ヒロイン誕生日前

「もう直接お前に聞くけどさ、誕生日なに欲しい、なまえ?」
「まくら、とか」
「枕?」
「うん」
「枕か……。硬さとか手触りとか結構好み別れるよな……。俺はちょっと硬めくらいが好きだけど。メーカーの希望とかあったら言ってくれよ」
「メーカー? いつもはお値段以上なところでお世話になってるけど、結構値段張るよね。……中古でも、気にしないけど。場合によっては中古の方が嬉しい、というか……。ごめん、なんでもない、忘れて」
「……俺の代わりってことか?」
「違う」
「でもなまえが俺の部屋に来た時、枕の位置変わってたよな。抱き締め――」
「違うよ! 私変態じゃないから、違うから!」
「今はいるだろ、俺。ほら」

人の話聞いてよ、と変態認定にぶちぶちと文句を垂れつつも。そうやって目の前で腕を広げられてしまえば、私の脳も単純なものですぐに抱きしめて欲しくなる。
ぎゅう、と抱かれて。男の子の、真緒の香りに包まれて。抱き枕として部屋に存在していてくれたら、毎晩眠れずに苦しむことも無いだろうにと惜しむ。

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