短編

01.炭酸水に浸した身体をあげる


Attention
当作品は衣更真緒寄りオリジナル連載夢小説(全5話予定)です。全話通して一人称視点。
最終的にハッピーエンドではありますが少し真緒君が可哀相なお話となっております(悲恋ものではございません)。気分を害されましても当方では一切の責任を負い兼ねますので閲覧は全て自己責任でお願い致します。



真緒には私がついてるよ、と。囁きかけるのはこれでもう何度目だろうか。

「真緒は甘えたさんだね」

座高の差を埋めるためにわざわざ背中を丸め込んでまでうずめる程のものなのか、と。自分の胸に預けられた緋色の頭に指を滑らせながら、思考にできた隙間にどうでもいい事を詰め込んでみる。
しなやかに、だが確実に見違える成長を遂げた体躯は私の腕に収まりきらずに何だか慰め役の私の方が襲われているようだ。おかしいよね、寄りかかられては支えてあげて自ら神経をすり減らしに駆け回る衣更真緒が、まるで頼りない一人の女の子にこうしてよしよしと幼子扱いを受けているだなんて。平常平静な彼を知る人物ならまず己の目を疑うだろう。だからこれは私と彼だけの秘密――嗚呼、そう思っているのは私達だけで、彼の幼馴染は薄々感づいているのかもしれない――。
私はこの子にとっての逃げる場所なのだ。望まれれば、求められれば、何にだって応える。真緒が明日も何ら変わりない表情と声色で吸血鬼少年を迎えに行くために、私は私の前でだけ晒されるか弱い少年に精一杯の慈悲を与え続けなければならない。
真緒、という呼び方だってそうだ。同学年の異性は基本苗字で呼び捨てる私が恋人にも友人にも当てはまらない彼を下の名前で呼ぶ理由。それは他でもない彼の方から求めて来たからで。
癖っ毛の緋を一筋、指に乗せた。
悪りぃ、と耳元で微かな謝罪が聞こえた。何が、と私は問い返す。

「ちょっと疲れただけ。もうちょっとで元に戻っから。ほんと、大丈夫」

独白する真緒のそれは己に向けた暗示だ。ぎゅう、と腕が締まった。

「大丈夫。真緒は頑張ってるよ。私ちゃんと知ってるから」

耳朶に吸い付くのは抱き締める真緒が鼻を啜る音。泣いてるの? とは聞かない。弱い自分を人に知られることを恐れて止まない彼にとっては私も例外ではないらしく、腕に抱かれて撫でられ言葉を掛けられるまでは許してくれても顔は上げない、つまり沈んだ表情を見せてはくれない。求められているのは周りにばかり都合のいい“いい子”の衣更真緒以外にあり得ないと信じて疑わない彼は、強がるしか自衛の術を持っていないのだろう。自分の生き方を自分で狭めて、気の合う友人でも昔馴染みの吸血鬼でもない、他人でしかない女子にしか泣きつけない。器用で不器用な彼に睫毛を伏せて、可哀想に、と。心の中で私は唱えた。
そのとき、ふっ、と。読んで字の如く肩から荷が降りて解放される。深く呼吸をし直して、無言で身を引いた真緒に目を投げた。凭れ掛かかられる重みが少し恋しくなってしまうのはいつものことで、きゅうんと針金にでも縛り付けられる感覚を恋だ愛だと錯覚しないよう単純思考を普段と同じ法で押さえつける。

「……引かないんだな」

どんな言葉を返そうか。以前なら散々私を抱き締めた後で不意に我を取り戻し、本当に居た堪れなさげな様子で謝罪を繰り返していた彼だけど。多少の変化や進化はあれどその本質は変わらない。何よりの証拠として未だに私の仕事が奪われていないのだから。
淡く口元を綻ばせながら私は翡翠の瞳が欲するものを探り出す。

「引かないよ」

優しい涼風の声音に乗せた台詞に、真緒の両眼が瞬いた。
欲しがる言葉の裏で、彼はどんな気持ちを抱えていて欲しいだろう。足りない頭で算盤を弾き、考える。

「好きだもん」

寂しがり屋で甘えたがり、それでいて不器用な。そんな貴方なら、そういう私を望むでしょう?
応答的に愛を囁く私の眼前、ぽかんと間抜けに口を開けて刮目する真緒の表情はみるみる疑問符の高波に攫われていくようだった。軽々しく異性にストレートな好意をぶつけるものではない、という誰かの助言が脳に響く。わかってはいた。わかったつもりになっていた。しかし彼からすれば私の他にいないのだ。弱い面を認め、見限らずにいてくれる存在は今の彼の中ではきっと私一人だけなのだ。そんなことないよ、と気休めの言葉をかけることは出来ようとも、そんなことはないのだと真に伝えてあげることは出来ない。
それが、私。無力なだけのヒーロー気取りな自分自身。

「……は、え? ほんとか?」
「えぇー、本当だよ。ずっと見てたもの。……信じられない?」
「いや、信じるとか信じないとかじゃなくってさ……こんだけ迷惑かけてんだから、俺がってならまだしもなまえから好きになられる理由とか考え付かねえっつーか、」
「真緒って結構無理するっていうか、強がるところあるでしょ」
「強がってばっかで悪かったな」
「うん、それはいいんだけど、だからちょっと嬉しくって。――私にだけ弱いとこ見せてくれたの」

言葉は、嘘は、重ねて振る舞えば真実になる。演じてしまおう。彼を愛する可愛らしい乙女を。薄っぺらい無償の愛を本心に被せて、演じよう。

「しょっ中目合うの私のせいみたいに『何見てんだよ』とか言ってたけど、あれ、真緒の方だもんね。ねぇ、真緒、だからさ、私と付き合おう?」
「いやそこは付き合ってくださいだろ?」
「付き合ってください」
「なんっか言い方がなぁ……」
「真緒が私のこと嫌いなら別にいいんだけど」
「なんでそうなる。てかお前の中での俺って相当かっこ悪いだろ? なまえが嫌いとかそういうことは全然思ってないし。むしろ……」

――気を許せる友達でも肩を組める仲間でもないのは変わらずとも、他人ではなくなってしまった私達はとても今まで通りの枠に収まるような関係ではなくなってしまった。


2017/01/09

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