短編

プテラノドンは飛ばないみたい


アニメ設定

一段落した作業にふっ、と息をつき額から滲んでいた汗を手の甲で拭った時だった。それまで手に持っていたスパナ類のものとも違うきつい鉄臭が鼻についた。指を見ればすぐに気が付くような目立つ箇所の肌がぱっくりと割かれていて、ちょうど赤の一滴が滴り落ちる瞬間を目が捉える。傷口から溢れた鮮血をせっかく作った作品に落とすまいと反対の手のひらで受け止めて、どこで切れていたんだろう。まるでわからなかったや。今までの作業を思い起こす。が、心当たりがあり過ぎて逆に困ってしまった。
どくどく、と肌の裂け目に自分の動悸が響く。負傷した際の嫌な感覚。
辺りの地面を見渡せばそこには点々と嫌な赤色が散っており、端の方から赤黒く変色しつつある血痕の群れを一瞥し、やってしまったと肩を竦める。夢中になると周りのことに無頓着になる、僕の悪い癖だ。これではまたユリーカかなまえ辺りにまた怒られてしまう。再認識ついでに後頭部を引っ掻きたくなるも、髪にまで赤を塗りたくってどうするのかと踏みとどまった。
早いところ絆創膏でも貼ってしまった方が賢そうだけど、あれは確かバックパックの奥で、それが置いてあるのはテントの中。指の出血は止まらなそうだし撒き散らすわけにもいかない。
そのとき。背後でテントが開く音。そこから顔をのぞかせたのは、

「……あれ、シトロンまだ寝ないんだ」

なまえ。
なんてタイミングのいい。ここは叱られることを覚悟の上でなまえに頼んでしまおう。

「なまえ、ちょっと君にお願いが」
「ん、なに?」

実験ならやだよ? 早くに断りを入れてくる彼女に、そうじゃないですよう! とつい大きな声を出してしまい、しーっというジェスチャーを何故だか僕がやられてしまった。

「絆創膏を貰えませんか。ちょっと指を切ってしまって」
「いいけど。……え、もしかしてその赤いのシトロンの?」

あはは、と答えと言い訳の代わりに苦笑を寄越せば、眠気眼のなまえが盛大に吐き出す大きなため息。そこで今度は僕の方が静かに、と人差し指を唇に当てる。むっとした表情のなまえが、ちょっと待ってて。とだけ言い残して再びテントに這い戻り、がさごそ何かを漁る音を立て、やがて四つん這いの状態で出てきた彼女。その手にはポケットティッシュが握られている。ぶちぶち言う文句は言いながら、しかしなんだかんだで優しく面倒見のいいところがポケモンや子供に好かれるのだろう。本人は目の前で困られると放っておけなくなるだけだ、って言っていたけれど。

「問題児はサトシだけじゃないねぇ。トレーナーやってるからには普通は求めてないけど、君も相当だよ? お姉さん困っちゃうよ」

二度目の嘆息をして僕の隣に座るなまえは言葉通り困ったような笑みを浮かべていた。だがすぐに、表情はそのままに目つきはどこか真剣なものへと切り替えて、僕に手を出すよう促してくる。この場はおとなしく従って、甘えてみよう。
なまえによって数枚引っ張り出されたティッシュに赤黒さを取り払われて、露わされた傷口は予想以上にグロテスクなものだった。無自覚なままスパナ類でえぐってしまっていたのかもしれない。血液が滲んだティッシュペーパーからは白さが消え去っていて、出血量が少し恐ろしくなる。
いつだったか、痛みに鈍感でいるのは危険だと、他でもない彼女に釘を刺されたことがあった。今になってこういうことかと理解したけど、言葉の主からすれば遅すぎると呆れられても仕方がない。

「シトロンだしあんま心配してないけどさ、没頭すると注意が疎かになるでしょう、君。一応私の方が先輩だけどバトルも知識も君の方が上だし。これくらいしかできることないけど、だからっていつも支えられてるわけでもないし」
「そんなことないですよ。僕はなまえに今までたくさん助けられていますし、頼りにもしてます」
「そうやって言えば私が怒らないってわけでもないんだからねー?」
「別にそういうつもりで言ったんじゃ……」

発言が大人びていると大人から評されることはあったけど、他地方出身の彼女は文化の違いからか、僕の言うことを「カロス人は情熱的だねぇ」の一言で一蹴してしまう。何も国民性が全てじゃないのに、毎回毎回同じ台詞でやんわり流されてしまうとさすがに僕も傷つくことだってある。どうやったら真っ直ぐに言葉の意味を受け止めてもらえるのだろうか。頭を捻った数は知れない。

「僕はなまえを好きですよ」
「……男の子が異性に軽々しく言う言葉じゃないよ」

絆創膏を貼り終えた彼女の「はい、終わり」は手当ての完了を意味していたのか、会話を終わらせるために口に出したのか。……それとも僕に軽々しく言ったわけじゃないですと言わせないため?
どちらにしてもすっきりしない。
大人ってずるい。

「好きなことに打ち込むのは結構だけど、あんま夜更かしはしちゃだめだからね」

ぽん、と至って自然な流れと動作で頭を撫でられ、何か自分たちの間にある差を強く意識させられる。
なまえの優しさは大好きだけど、子供扱いしてくるなまえを僕はあまり好きではない。
すたすたテントに帰っていくなまえに、ついいましがたまで触れられていた指を眺めた。
はい、と頷いた僕はなまえに約束を取り付けられてしまったからこれ以上夜更かしは出来ない。早いところ工具を仕舞って寝てしまおう。
最期にもう一度、彼女に手を置かれた自分の頭を触ってみる。なまえの手に自分の手を重ねたところが容易く想像できてしまって、途端、一気に頭のてっぺんまで熱が上り詰めた。


2016/11/25

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