短編

ぼくの灯台は元気か


「絶対明日、どうだった? って聞かれるだろうし……ちょっとショッキングって聞いたし……ね、だめかなぁ。一緒に観て……くれないかな」

ノートPCを傍らに、唇の上には言い訳の羅列をつらつらと携えて、このままでは私は今晩眠れなくなってしまう、と泣きついたのは彼の畳の上でのこと。
と、いうのも。
A組の女子の間でホラー映画の話題が上がって、私は猛プッシュを躱しきれずに、観てみるね、と口にしてしまったのだ。当然一人で鑑賞するなんて無理に決まっている。そんなこんなで轟に縋りにやってきた次第だ。

「構わねぇけどよ。どれくらいかかるんだ? 眠ぃんだが」
「2時間もないと思うけど……。ごめんね、邪魔したね」
「……? あがっていけよ」

あ、いいんだ。ではでは、さてさて。
轟の脚の狭間の特等席に座らせて貰い、背後からしかと抱いて貰えば恐れるものなどない――格子柄の絨毯の上には背の低い椅子があるけれど、一人掛けだ――。
星空に沈んだハイツ・アライアンスの、電光は輝きながらも淡く夜闇に浸食された部屋。自前のPCを呼び起こせば、一呼吸のうちに画面には明かりが灯され、海底の竜宮城のように煌々とした。
ストリーミングサービスから勧められたタイトルを選べば、おどろおどろしい言葉の羅列の題と、大仰なメロディとともに映画は開幕する。幕があがると同時に響く痛ましい悲鳴に肩が跳ねた。


「まだかかるのか……?」
「っぽいよ」

ぬいぐるみを抱く心地に近いのか、肩口に埋められる轟の額。私の骨の髄にるわぁんと響く、睡魔に掠れた声色。
轟ときたら、体躯は逞しくて青年と云って差し支えないというのに、時折雨に濡れている子猫みたいな香りを奏でるから、こちらの拍動はとうとつにしどろもどろになってしまう。

――そういえば轟って末っ子だっけ。

存外騙し絵のようだった映画は、蓋を開けてみればそれほど恐ろしいものでも無く、女優の割れ鐘の悲鳴に弾かれたように幾度か轟の手を握った程度だ。
くぁ、という轟のあくびを背骨に感じる。すると間もなくして、自分の呼吸の底からも同様にあくびがせり上がって来た。元々床に入るつもりだった轟ばかりじゃなく、私も退屈、なのだ。
素直になろうか。陳腐な物語より夢中にさせられる。砂糖菓子より求めたくなる。轟を。
轟を振り返っただけなのに酷く軋んだこの首は、絡繰人形として油でも差してもらえばなめらかな動作を取り戻せるだろうか――退屈だから仕方がないんです、なんて背徳感と行儀の悪さは全て退屈になすりつけて、唇を重ねる。お互い、横顔や鼻筋をディスプレイの蒼白い輝きに焼かれていた。

そろりそろりと爪先を滑らせ、脚を組み替えると、踝にアンクレットの飾りのように焼き付いた畳の目の痕が晒された。ざらついた痕跡が残る素肌は、洋風の私室では相まみえない、幽かに古めかしくて奥ゆかしいものだから、懐かしさを覚えた。

「畳痕ついちまったな」

その折、轟の透いた手が私の畳痕をなぞった。細やかな凹凸のできあがった滑らかではない皮膚の、違和ひとつひとつを拾い上げていくように。彼の部屋を訪れる都度、必ず私の肌に淡く刻まれる畳痕に、色めいた愛しさを証のように感じていたのは轟も同様だったのだろうか。
見向きもされないエンドロールは夜を喰らう。時間は刻々と液晶画面に吸われていく。そんな夜を、溜まらず惜しむ。


2019/09/07

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