短編

永久凍土より、愛を込めて


※都市伝説化(のつもりでしたが……苦笑)。

「帰らねぇのか?」

斜陽に横顔を焦がされる中、対称的な色彩の男の子が私を一瞥して問った。痛ましい、変色した皮膚の中に存在する眼窩。其処を石座のようにして納まる左の瞳孔。厳めしい鏡湖を想起させる色相の眼差しを、ふっ、と。刹那的に、ひとしずくほどの一瞬、受け止める。私がまばたきを終える折には彼の臙脂色の鬢が、風を孕んで悪戯っ子なカーテンのようにたなびき、絡み合う前に私の視線を絶ってしまう。易々と魅惑されることもままならない。
……そうだね、などと遅れ馳せながら能天気な応答を漏らし、真意にうまいこと霧をかけたつもりでいたものの、別の試みに飛び込もうとポケットに携帯端末を捻じ込んだお蔭で、まるで肯んじたかのような口当たりとなった。
この屋上まで昇り詰める疾風は、若々しいまま髪や塵を巻き上げる。彼の異彩の髪をも、また。
さもおとなしく階段を下りますと云うように歩んでみる――ポケットから飛び出たイヤフォンジャックのぬいぐるみがぽこぽこと腰で跳ねた――。しかし私は帰路にはつかずに。ぽい、ぽいっ、と堅苦しいローファーは脱ぎ捨てる。脱ぎ捨てても、ソックスが汚れてしまうことを恐れていなかった。
ひらり、身を翻し、私は屋上のフェンスの外へと躍り出た。銀の糸で編まれたフェンスの、無数に連なる菱形の穴に指や片方の爪先を引っ掻けて躰を支え、遥か下界を眼界に収める。

「……落ちても知らねぇぞ」
「大丈夫――」

柔らかなお咎めを遠くの音色のように聞き流し、私は風を抱き留める。高鳴る空は、燃えていた。少年の赤髪と同調して存在を等しくし、そして終いには反対側の銀髪を燃やしてしまいそうだ。閉ざされた里の大地を染む、純な深雪の小景を彼方に消し飛ばして。
帰路に就くつもりは微塵もなかった。ならばどこへ足を運ぶつもりかと問われれば、私は困ってしまって黙さざるを得ない。
終焉を前にしているのだと、脳が錯視して震えあがりそうなほどに空は焼けていた。ビルディングの頂きも火達磨と化してしまって。私もまた焼けて、落ちて行くのだ、そうなのだ。夢か幻かどちらかみたいな思考は既に確信を帯び始めており、衝動が踏み出したがるのを、理性が踏みとどまらせている。
わたしのこれらは。
灰になっても叫べる喉じゃない。歩める足でもない。灰になってでも何かを志していられるか、わからない。
空を包める業火なら燃やし尽くしてくれるんじゃあ、ないか。

「ねぇ、」

まだそこで佇んでいるだろう異彩の少年に、上擦る声を投じた。

「なんだ」
「私の靴、揃えておいてほしいの」
「別に構わないが」

彼は、私か、はたまた私の肩越しの空か何かを眺めることを打ち止め、私の願い事を結んでくれる。背筋をアーチ状に曲げて其の一足を摘まみ上げ、任意の地点に置き揃えて、やったぞとばかりに私に視線を送るのだった。

「ねぇ、君、名前なんていうの?」
「……、轟焦凍」
「ふぅん。ねぇ、いつからいた?」
「さぁな」

少年轟の竦められる肩の微動を眼で追うと、物哀しい美貌に翻弄され華奢だと捉えていた体躯も、その実剛強そのものだと知る。白い襟から控えめに伺える喉仏も、轟が短音を唇に乗せる都度、その音と同じだけ短くだが震えている。嗚呼、そしていま再び震えようと。

「なぁ、あんたは何をしようとしてるんだ」
「さぁ、ね」

轟の格好つけた言い回しを拝借し、今度は私に濁す番が巡ってきたらしく。
自分の心境さえ私は掴みあぐねている。建築物と虚空との境目で風に惑わされながら黄昏れる機など早々ない。果たして危ういお遊戯のひとつとして数えても構わないのか、それとも。
思考の最中に轟は。
悠々と私を追い越し――そして、振り向き様に。

「まだ、来るな」

来るな、とはいったいどこに。こちらに? つまりそちら側に私は踏み込んではならないと? 少なくとも、今はまだ?
轟の音色は死を不承諾することと同義に聞こえた。

彼は蝋燭の灯りが揺れ、闇に薄れるような。或いは、雪の結晶が淡く儚くはじけるような消失をした。

――ぷつん、と衣嚢にて、結び目が弾け飛んだ。気配を知覚した頃にはすでに遅く、イヤフォンジャックが私から切り離され、踵の真下に吸い寄せられていった。嗚呼、わたしのちいさなぬいぐるみが茜色によって燃え尽きてしまった。なんていうのは暗喩に過ぎなくて。きっと現実には落っこちて、破損して、汚れる、ただそれだけなのだろうけれど。


2018/09/13
ねこあしの轟焦凍が都市伝説化した場合。
場所:屋上。時間帯:夕方。
モチーフ:ぬいぐるみ・携帯電話・危険な遊び。
遭遇した場合:くるなくるなく……彼のツイートはここで途絶えている。
#都市伝説化 /287694

- ナノ -