短編

花火のやつには見つかってくれるなよ


嗚呼、どうしよう。どうしたら。彼の姿は、二色分の横顔のひとつさえも、後ろ姿や、影も何も見当たらない。ぐるり、と回った目が落っこちそうなくらいにぐるぐる周囲を見渡すのに。行きかう人々がおのおの思い思いの方向に進んで、向かう先の矢印が幾つも交じって、スクランブルエッグみたいに掻き回された眼界に嘔吐を催しそうになる。なんだか気持ち悪い。人が脚でぐるぐるとして、胃の中がぐるぐるする。胃の底が波みたいに盛り上がったりへっこんだりをして、もまれている。
どうしよう、轟が見当たらない。どうしよう。大海に独り放り込まれたような不安感に押しつぶされそうで、それは圧し掛かる気圧みたいに体内をも狂わせて。
私と彼は、同級生の女子の厚意で並んで歩いていたのに。迷子と大差ない不安感に、受け取ったばっかりの親切心と笑顔への忍びなさ。ショックで割れた気持ちから、ほろほろ、と冷静さの破片を歩く度取りこぼして、今やただのひとりぼっちの少女と変わりない。
どうしよう、とどうしようもない現状を悲しむ言葉を唱えるのは、何度目か。「どうしよう」胸中でのことはもう定かではないけれど、声音に乗ってしまったのはまだ3度目くらいだ。

***

夏祭り――出店のお手伝いとしての参加は実習の一環だった。人に夢を与えて、楽しませるのもヒーローだから、と察しのいい飯田が無気力な先生に代わって雄弁に語っていたように、私たちはあくまで裏方での参加だったわけだけれど。
「いいよいいよ、行って来なよ!」「そうそう、せっかくなんやし! 誘ってあげたら、轟くんも喜んでくれるんじゃないかな? きっと花火なら誘いやすいよ?」「ここはうちらに任せてさ」親切な女子たちが優しく力強く送り出してくれたことは記憶に新しい。
轟と並んで、金魚や朝顔の浴衣、揺らめくアクセサリで身を飾った少女や淑女の中、自分のラフな格好を恥じながら縫って、人と熱気の波に乗っかった。胸躍る花火までこんな風に過ごせるだなんて嬉しい予想外だけれど、予想外はやはり誤算でもあって汚れても構わず済む様なみてくれの自分が悲しい。兎と和柄の草履じゃない足はヒーローの足。でも少女やヒロインのそれじゃあない。

「なんか食うか?」

轟の声音が眼界を明るくして、発案に意識を転じられた。たった一声、一言に塗り替えられてしまって、どうでもよくはないけれど、これでもいいや、なんて。
何にしようか、と私は軽く背伸びをして轟に目線を近づけて同じ視界を見渡そうとした。「あれ」と出店のひとつを指示す轟は、私の顔に頬を少し寄せて同じくシェアしようとしてくれる。

「あれって……綿飴?」
「おぉ」
「なんかかわいい」
「そうか?」

蜥蜴の尻尾くらいの気にならない長さの列に紛れ込んで、短く会話を連ねて行く。その中で縁日や夏祭りや花火大会なんかのイベントごとへの参戦は、轟は実はたったの二度目であることが発覚する。

「こういうのはついこの前なんとなく立ち寄ったくらいだな。あんまこういう、普通のことと縁も無かった」

上品な生まれは絵に描いたように人を浮き世から切り離すらしい。顔立ちや深い教養も相まってまるで王子様だ。

「そっか……。じゃあ色んなこと経験出来たらいいね」

私も同じ瞬間に隣で過ごせたならばきっと幸せだろう。


「お前は買わなくていいのか?」
「私焼きそば買うの」

所望品からも滲む女子力の差に我ながら幻滅してしまったりもしたけれど。

***

スマホの類は先生に預けっぱなし。腕時計なんて気の利いたものも無くすといけないから勉強机の上だから、時間の確認のしようもない。音質の悪いスピーカーのインフォメーションは人が騒めくだけでかき消されてしまう。この情報社会でここまでおいていかれるなんてなかなかあることじゃない。
独りとぼとぼと歩いていたとき、人の群れがより一層の盛り上がりのような騒めき方をした。ぼんやりと霞んだ脳を携えて見遣れば、山々のように連なる人の頭の影の上に、昇っていく桜色の流星が一条。すぅ……と茎のように空に伸びた桜色は上空の或る地点まで上り詰めると、大きく花開いた。閃光する華に神経を縫い留められ、心臓が止まりかけたところに、ドッという轟音が鈍く鼓膜を殴りつけ、押し出されるようにして拍動が再び始まる。やはり音は光に遅れていて、花火が絶頂期を少し過ぎ、花弁を散らし始める辺りで私を撃ち抜いた。
火蓋が切って落とされ、ふたつ、みっつ、と次々と打ちあがっていく。大きいの、小さいの、色彩豊かなもの。砂糖菓子の真新しい記憶は身に余る温かさと輝かしさで、ひとりぼっちの自分の影をより色濃くする。
今日だけ舞台を華に貸し出している星空から視線を外した。私が背を向けた瞬間にそこでまた咲いたらしく、一際大きな歓声が光の欠片と同時に散って。それが今までのどれより美しく、鮮やかで、大きいものだったことを熱気から知った。
嗚呼――。
無意味の、からっぽの、語とも言えないただの音を発する。
重たい頭を支え続けて疲弊した首が赴くままに視線の行き先を任意の人混みへ。そこに、見たのだ。見つけたのだ。あちらも私を認めていたのだ!

――恋をしたところで、焦がれる其の人が薔薇を背負ったり、煌めきが散ったりすることはほとんどない。轟焦凍の美貌はあくまでも彼の美貌で、愛が無くても、極端に嫌悪だらけでも美貌だけはは平等に評価できると思う。
ただその人が、煌めくでも華やぐでもなく、現実世界に佇む限り、視界に存在するのだ。ピントが合うのでも、周りが霞むのでもなく、世界の解像度や彩度には何の影響も与えられない。ただ、その人が遠くを歩いているにも関わらず、眼前にいるのと変わらない速度で知覚する、認識する。
人混みに切り込みを作って、其処に肩を差し込んで進んでくる彼もやはりきらきらとはしていなくって、夜の影を引き連れていた。けれど見つけられてしまった。彼にもまた見つかってしまった。
人が放つ熱に宛てられてか、轟は額に少し汗を乗せていた。雫が幾つも集まり、寄り合い、膨らんで、一粒になって、その一粒が輪郭をなぞり、降りて。そして。

「悪い――! はぐれた」

まばたき。かぶりを、ふりふり。

***

「わたあめ、縮んじゃったね」
「気づいたら萎んでた」

A組の出店に差し向けられていたはずの爪先だったのに、不意に轟が進路を変える。他にも買うのかな、と首を傾げていると。

「どうした? 焼き蕎麦買うんだろ?」


2018/07/31

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