短編

エメラルド・シロップを落滴させて


――果たして気に食わないのはどこなのでしょうか。

「どうした? 言わなきゃわかんねぇぞ」

ぶっすぅ、という擬音の浮かぶような面持ちを、なかなか私が崩しも綻ばせもしないものだから、ついに低体温少年も嘆息をした。
轟相手となれば事細やかに欲求を口に出すことすら常だ。例えば――チョコレート菓子は大好きだけれど毎日頬張りたいショコラ・ホリックではなくて、週二回ほどの頻度で舌の上で転がせたなら十分、っていう感じの“好き”だし、でも数学並みに決まりきった定数やましてや義務なんぞではなく、気分で個数は左右するの、そういうことなんだよ、わかる? 毎日ポッキー貰っても困るし、そりゃ飽きるよなってそこでやめてくれればいいのにさ、ボンボンショコラと半々で貰っても困るんだよ、夏だし。それとも轟、毎日お蕎麦食べたいっていうの? ……あぁ、そう、食べたいタイプなんだ……。――というような。
しかし今日に限っては私も幾分違う私なのだ。不機嫌に伏せた睫毛の奥から、ちらり、と目配せをして、それくらい察してよ、って。

「察するの下手なのわかってるだろ」

わかってる。同時に今の自分の、拍車のかけられた説明下手さ加減もよく予測できていた。

「どうしてもっつぅなら、構わねぇが」
「……隠し事されたら嫌でしょ」
「そんなつもりなかったんだが……。すまねぇ、なんのことだ?」

轟に、貝殻みたいに唇を閉じ合わせたくなる背景が多い事は知っていて、ぼんやりと仄かな影はつかめているから深追いする気はそれほどない。問い正したいのはそれじゃあない。

「耳、聞こえないって聞いた」

正しくは、聞こえ難い。

「どうなの?」

淡く非対称な色素の睫毛が、伏せられると前髪がはらりと落ちて目元に影が差す。徐ろに大きくて角張った手が片側の古い火傷に触れた。指をやや後頭部に滑らせると、辿り着くのは左の耳で、形の無い何かを示そうとしてなのか、真紅の鬢を耳裏に流し、耳殻のぜんぶを私に晒した。

「あぁ……本当だ。こっちの、左の話だろ?」

確かめて、頷いた。
どちらかに蒼の現れたオッドアイに生まれると、蒼側の聴覚が常人より劣るようになる。神秘めいた存在の障害を確かめてしまった。

「生活にこれといって困るところもねぇし、言うほどでもねぇと思ってた。心配かけたんなら、悪りぃ」

心配、っていうか、なんていうか。
彼の道を狭めているし、私の声音も断じている。当たり前みたいに秘められて、害も多くあるだろうにまるで何でも無い事みたいだ。私はきっと、静かにしている轟自身以上に、轟のことで悲しんで、耳殻をそうっと慈しみたかったのだ。
全く、酷い。
そんな風に異色の虹彩を心の限り睨みつけようと顔を上げても、あの二色と視線が絡むともう吸い込まれている。
些細なことでも聞かせて欲しくて、隔てるものを取り除きたくて、できなくて、いろんな思いがこんがらがって紐解いていくのも億劫だから、もう全部まとめて憎み倒したい――だって面倒くさいでしょう。そんなくだらない我楽多の苦悩を真正面から撃ち抜いて馬鹿げた瓦礫に変えていくのが、圧倒するような色彩で。
彼に対して酷いものは破棄したいけれど、押し負ける本能から手を伸ばしてしまう。
だから、つまり、もう、これでいいかな。

「うん……心配、したの」


2018/07/21

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