短編

心中旅行


ボウルの中の甘ったるい水溜りは、予想以上に嵩が多くって、嗚呼押しつけがましい情を混ぜ込み過ぎたかしら、って。
いつも風の向くまま拵える焼き菓子だけれど、ヴァレンタイン前夜に冷やして固めるだけでも妙な含みが付加されてしまって、私はその含みに気が付いてくれなきゃ嫌な訳で。勿忘草が花芽を形成する季節を目前にした、ひそやかな祭典。わたしを忘れないで、なんて控えめでネガティヴな意味を抱きかかえたその花を、想起させる色なのか、その花から想起させられる花なのか、想い人が結わえた髪は。もうどちらともつかなくてどちらともいえるし、どちらに対してもどちらかを思い浮かべて微笑みかけてしまいたくなる。
それより、今尚熱を逃がし続けている、湯に浸したこのチョコレートだ。この後ザッハトルテのコーテイングに用いろうとしていただけなのに、どこで見誤ってか生クリームを投入して溶かしてみればこの量、この有様だ。大量に余らせてしまいそうなこれで何か作れる中で処分できるお菓子はないものかと、クラスの女子よりは格段に多い引き出しをがさごそと漁ってみる。もうお風呂を汲まなければならない時間だし、トッピングにできるものがいい。クレープ、だとか。
そうときまれば、だ。私はチョコレートのボウルを湯煎から降ろして、冷蔵庫に爪先を向ける。卵に、薄力粉に、お砂糖に、バターに、牛乳に……。女子が騒ぎがちなパンケーキ、あれってどれも一緒じゃないか、なんてほざくお馬鹿な男子は、アンチテーゼを翻せる自分に酩酊しているだけなのだ、きっと。パンケーキ以前に洋菓子のことごとくが卵と薄力粉とお砂糖とバターを混ぜて焼いて、と作られるって知らないのか、抜けているのか。
しゃかしゃか、とホイッパーで弄んだクレープ生地は、粒状の塊が存在しないか何度か掬い上げて確かめて。そうしてオムレツのときよりは控えめな量を、熱したフライパンに流し入れた。
弱火に設定して辛抱強く待つ。植物の生長のようにまったりと、じわりじわりと焦げ目が広がって、ぱりりと形状が固まっていく様。それが焦らす様なスロウモーションで展開されていた。
膜を張る生地の真下にそろそろと菜箸を差し込んで、剥がすよりも軽く、ふわり、と。浮かせてしまう。このままホットケーキのようにフライ返しと気合だけでどうにかクレープとして完成させてあげるつもりだったけれど。

嗚呼、けれど――地球最後のヴァレンタインなのかもしれない。

年号が塗り替えられるか否かで騒がれている浮き世だけれど、そもそもその年号議論を始められる“来年”が訪れないやもしれないわけで。母にも父にもクラス外の子にも言っていない、世界最大の秘密だ。今夜こしらえているチョコレートの宛先も、誰にも秘めているから、私の人生の中では“地球最後”と同等の秘匿でもあるのかも。
このまま、ぽーんとフライパンの上で生地をひっくり返せないまま幕を降ろす未来さえ、眼前にはっきりとした輪郭を以て仁王立ちしている。
どうせ死んでしまうのなら、ここで負うかもしれない人生最大の火傷さえもほぼ無関係なんじゃないか。終幕は皆に等しく訪れるもので、本来ならば機会も散りばめられている。だけれどあの日さえ迎えてしまえば、ほんの数秒数時間の誤差の中。なら、きっと怖いことも無いはず。
私は中華鍋を軽々と操る料理人の姿を脳裏に閃かせて、そして。
宙に放る――舞うそれを、差し出した鉄の中に受け止めて。成功。よっしゃあ。指を力ませるだけの控えめなガッツポーズ。
終末に寄り添われれば、火傷さえも厭わない。
そんな調子で一枚、二枚と薄っぺらな生地を重ねて行く。フライパンと躍らせて、焼き目がついたのならお皿に乗せて、踊り相手を取り換えて。ボウルの中から温かな卵色の液体が綺麗さっぱりいなくなると、私はクレープ生地を摘まみ上げて一口かじってみる。どうにもうまいこと喉がこくりと蠢いてくれず、胃袋に送り出せなかった。どうにも、こうにも、こんなもので、こんなものだから、仕方がない。人に渡そうと、カロリーを注ぎ込んだものっていうものを、どうにも自分の喉は迎え入れてはくれないのだ。味は上々、だけれどなぜか、こうなってしまう。

***

何にも怖がらずに鉄の掌で舞い踊らせた翌日は、一世一代を投げつける。
火傷したっていいや、られたっていいや――どうせ終わるわけだから。
灰色といえば曇天のようだけど、なんだか今は酷く楽しげな指定色の群れの中を駆け抜けて、見つけ出した雨上がりの色に導かれる。小さくて淡くて、雨みたいに景色に吸い込まれていきそうな水色。わたしを、ぼくを、忘れないで、と孕んだ意味に言外の懇願をされなくたって、忘れない、忘れたくない。私だけに駆け足に咲いた勿忘草色の、二つ結び。
呼びかければ、夏めいた名前は私の声音さえ澄ませてくれる。

常に爆心地で営んでいる所為か、放棄はいびつな度胸を育んでいる。
もう終わるのだし、砕けてしまっても構わない、と。だけれどもしも終わらなかったら、硝子片みたいに散り散りになった私はその身を連れて明日に立たなければならなくなる。見越して、見据えて、ほどほどの全力投球みたいな、腑抜けた生暖かい生き方は貫いておいて損は無いのだ。
でも、まあ。一斉送信のワールドエンド通達か、80年前後の寿命全うかを迫られているに過ぎないわけだし。いつかはどうせ終わってしまうのだし、まあ。
いいか。


2018/07/15

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