「抱きしめてていい?ってかそうさせて」





※高校。






とても重要な問題だ。
あんたの幸せを願うなら、尚更。





「えっ、ほんとに!?」



いつものように赤司っちとスカイプで通話していたら、素っ頓狂な声を出してしまった。
画面の向こうで彼はおかしそうに笑って、夜遅いんだから静かにしなさい、なんて言う。だけどその声に、咎めるような色は少しも含まれていない。



『ああ、大学は東京の学校に進むよ』
「ほんとにほんとっスか?ドッキリとかじゃない?」
『本当だよ、僕が嘘吐いたことなんてないだろう』
「…結構あると思うんスけど…でもでもっ」



めちゃくちゃ嬉しい!と、もう一度叫ぶと、赤司っちははにかむように瞳を綻ばせる。
高校3年生の、春だった。2年の頃から教師達にそれとなく突きつけられてきた「進路」の問題を、いよいよ具体的に考えなくてはいけなくなった頃。
机の上に放り出したファイルの中には、進路希望調査のプリント。今日配られたそれの存在が頭から離れなくて、恐る恐る赤司っちに聞いたのだった。卒業したらどうするの、と。



『京都に行く前ちゃんと言ったじゃないか。卒業したら戻るって』
「言われたっスけどぉ…赤司っち、京都の生活楽しそうだし、学校の人とも仲良さそうだし…」
『そんなの、涼太に比べたらどうでもいいよ』
「…っ赤司っち…!」
『いや、でもあの湯豆腐の店と離れるのは惜しいかな…やっぱり京大にしようか…』
「ええ!?」



慌てる俺を画面越しに見て吹き出す彼。弄ばれてるなあ、と思ったけど、そう思うことは不愉快ではなかった。



『涼太も、大学には行くんだろう?』
「うん、事務所には芸能活動1本でいくのも勧められてるんスけど…やっぱりね、いろいろ心配だから」
『そうか、それが賢明だと思うよ』
「スポーツ推薦とれそうなとこあるし」
『楽しようって魂胆か?生意気だぞ、涼太の癖に』
「へへ、いいでしょ」



あと1年弱で、赤司っちが帰ってきてくれる。
そう思ったらスキップしたいくらいに嬉しくて、結局スカイプを切るまで、俺の顔面は緩んだままだった。
(そんなだらしない顔じゃ、ファンに愛想尽かされるぞ。)なんて、赤司っちに苦笑されてしまったくらいで。



「じゃあ、おやすみ」
『ああ、またな』



(スカイプじゃ、キスも、触れることも出来ないけれど、来年になったら自由に出来る。)
遠距離恋愛を丸2年続けている現状に比べたら、それはまるで夢のようだと思った。
だから、それ以上を願うなんて罰が当たるかも知れない。そう思って言えなかった。パソコンの電源を落としてマイクを外し、進路希望調査票が入ったファイルを手に取る。



「進路、ねェ…」



重々しい響きだな、好きになれない。一度は手にしたけれどすぐに興味がなくなって、ファイルを再び机に放る。そのままベッドに倒れ込んだ。
大学とか、本音を言うならどうでもいい。どんな世界でも要領よく生きていける自信があったし、だから今頭の中を占めている問題は自分のことではなく、最愛の彼のことだった。
つまり、最愛の彼の幸福と、俺の欲望を量りにかけた結果に生まれた迷い。怖くて言えなかった、言葉。



「“じゃあさ、こっち戻ってきたら一緒に暮らそうよ”」



まるで芝居の台本を読むかのように、言えないまま喉の奥に置いてきぼりの台詞を口にしてみる。俺の臆病、俺の迷い、俺の傲慢。それら全てを、見せつけられた気がした。



「…なんて、言えないっスよ…」



くすくすと自嘲気味に笑ったのは、それ以外に方法がないからで。
現状で丸2年間、更にもう1年間、耐えることになるのだ。触れることも会うこともままならないこの距離に。
だから、再会が叶ったら、二度と離したくないと思ってきた。その時には絶対に自分のものにしてやろう、と言い聞かせてきた。そうしないと、引き離されたまま生きてこられなかった。
(なのに、このザマだ。)自分で自分に嫌気がさす。いざとなったら怖くて、この言葉が言えないだなんて。



だって、だってだって、わからないじゃないか。
俺と生活を共にすること、俺と一緒に生きていくこと。それが彼にとっての幸福かどうかなんて、俺にはさっぱりわからない。自信なんてあるはずがない。



「まあ、いいや」



ベッドに投げ出していた四肢に再び力を入れて起き上がる。風呂に入ろうと思って、自室のドアを静かに押した。
(俺にとっての幸福は、赤司っちそのものだよ。それ以外に何もない。だけど、あんたは、)
まるでさっぱり俺らしくない。自信過剰で責任感が希薄。それが部活の先輩から言われてきた俺の評価のはずなのに、今の俺はその真逆なのだから。



17年間貫いてきた黄瀬涼太を、ここまで容易くねじ曲げることが出来る。
そう思うと、やはり彼は俺にとっての神様なのだろうと痛感した。笑ってしまう程に、思い知らされた。






季節は巡り、気づけば初夏。
俺の誕生日に赤司っちはわざわざ会いに来てくれて、これで涼太はもう結婚出来るんだな、なんて冗談めかせて言っていた。



「まあ、年齢的にはね。でも一生しないと思うっスけど」
「どうして?」
「どうして、って…」



首を傾げながら不思議そうに聞いてくる赤司っちに半ば本気でムカついて、美味しそうな唇を塞いでそのまま床に倒した。
(どうして?なんて答えは簡単だ。赤司っち以外と寄り添う気なんて、更々ないんだよ。)
冷房で冷やした俺の部屋、シャツの隙間から触れた白い肌はとても冷たい。設定温度をもう少し上げておけば良かったかな、赤司っちは寒がりだし。



「は…っ涼太、」



熱っぽい声で名前を呼ばれて理性が吹っ飛んだ。(冷房はこのままでいい。どうせ汗だくになるんだし。)
結婚なんて心底どうでもいい。紙切れ一枚の契りになんの意味がある?俺が欲しいのはあんただけで、だからずっと一緒にいたくて、でも。



「好きだよ、赤司っち」



(あんたの幸福を願えば願う程、俺は自分でも嫌になるほど臆病になってしまうから。)
18歳の初夏、例の言葉はまだ、言えないままだった。






更に時間は流れ、12月。
この頃になると、俺達高校3年生の授業時間はかなり減ってくる。
俺は大学の推薦を既に取得していたし、赤司っちはもともと受験勉強なんて大して必要のない人なので、どちらも殆ど冬休みのように日々を過ごしていた。



「赤司っち、ローソク消して」



だから今日、赤司っちの18の誕生日も、こんな風に一緒にお祝い出来ているわけで。
赤司っちの誕生日なんだから俺が京都に行く、と主張したけど聞いてくれなくて、誕生日の前日である昨日、彼は東京にやってきた。
そのまま、俺の部屋に来て、夜通しセックスして、日付が変わる時俺は赤司っちのナカにいて、一番におめでとうと言った。幸せだった。



「なんだか恥ずかしいな…」
「何照れてんの!折角おいしいケーキ用意したんスから、ね?」
「でも、もう18なのに」
「関係ねーっスよ!」



ほらほら、とケーキを突きつければ、赤司っちは少し首をすくめてふーっとローソクを吹き消す。
そのはにかんだような表情がかわいくて、くらくらしそうだった。



「あ、ほんとだ…おいしい」
「でしょ?今人気のお店なんだって」
「ありがとう、嬉しいよ」
「いいのいいの、今日は赤司っちが主役なんスから」
「…じゃあ、もうひとつお願い、聞いてくれる?」



クリームのついたフォークを皿の上に置いて、赤司っちが首を傾げる。俺は勿論、と言いながら大きく頷いてみせる。
すると彼は傍らにあった自分のバッグから小さな箱を取り出した。まるで指輪が入っていそうな、そんな、赤いベルベットの化粧箱。



「これ、もらってくれないか」
「っえ?いや、今日は赤司っちの誕生日でしょ、なんで…」
「…駄目?」
「…い、いや、もらう、もらうけど」



(上目遣いとか、本当卑怯だから。どうせ確信犯なんだろうけど。)
弄ばれてる、といつかと同じように俺は思って、赤司っちの白い指から小箱を受け取る。
開けてもいい?と聞いたら、答える代わりにこう言った。彼らしいとしか言いようのない、明晰なその声で。



「僕、18歳になったよ」
「ああ、そうっスね。おめでとう」
「だから、結婚しよう」
「は……」
「結婚して、離れてた時間を埋めようよ」



きっぱりと明晰な声は俺に向けられていたし、宝石みたいなオッドアイにも、俺以外は映っていなかった。
俺が何も言えないままでいると、赤司っちは焦れたように同じ言葉を繰り返す。結婚しよう、ずっと一緒に生きていこう、と。



「そっちから言ってくれるの、待ってたんだよ?でも何もないから、待ちきれなくて」
「あ、かし、っち…」
「僕が東京に戻るって言ったのも、信じてなかったみたいだし…涼太は結構怖がりなんだな」



確信犯の笑みで笑って、赤司っちは一度手放した小箱を再び奪い取る。中に入っていたのはやっぱり指輪で、それを当然のように俺の左手薬指にはめた。
艶消しを施したシルバーの輪っかは、まるで初めからそこにいる運命であるかのようにしっくり馴染んでいた。



「うん、似合うね、良かった」
「……っ何、これ」
「涼太、返事は?まあ、断るなんて許可しないけど」
「そんなの…っイエスに決まってんじゃん!」



俺は夢中で叫んで、赤司っちの体をぎゅうぎゅうに抱きしめる。指輪をはめた左手で。
あんまり乱暴に抱きしめたからか、テーブルの上の皿が1枚落下した。だけどそんなこと気にならなくて、そのまま何度も何度もキスをする。赤司っちも、そんな俺を受けとめてくれた。



「ちょ、苦しいって、涼太」
「だって…嬉しいんスもん、これ、夢じゃないよね?」
「どうだろう、夢かもな?」
「もー、素直じゃないんだから」
「ん…っ」



(結婚するなら、家を探さないとっスね。)
(住みたいところ、あるの?)
(えっとねー、二子玉川のあたりとか!)
なんてばかばかしい程甘ったるい言葉を、キスの合間に交わしていたら、突然赤司っちの携帯が鳴った。
ごめん、出るね。そう言われても当然離したくなかったけど、有無を言わさぬ力で愛しい体が腕の中から出ていく。残念なんてものじゃなかった。(空気読めよ、電話の奴!誰だか知らねーけど!)



「準備終わった?そうか…じゃあこれから向かうから」



赤い携帯電話に向かって赤司っちが言った言葉に、俺は耳を疑った。
(こんなにいい雰囲気なのに、行っちゃうの?なんで?つーか電話の相手誰、マジで!)



「赤司っち、何処行くんスかー!」
「お前も行くんだぞ、涼太」
「え、だから何処…」
「行けばわかるよ」



通話を切った赤司っちにわけもわからず上着を着せられて、家を出る。外の空気は痛いくらいに寒かった。
暫く歩いて辿りついたのは、小さくて感じのいいレストラン。赤司っちが名前を言えば、店員が奥の個室スペースまで案内してくれた。そこには、なんと。



「おめでとー!!」



クラッカーを持って迎えてくれた黒子っちと桃っちと、豪華な料理に食いついている青峰っちと紫原っちと、静かに手を叩いてる緑間っちが、いて。
まさか皆が集合しているなんて少しも思ってなかった俺は、クラッカーの効果もあって言葉が出ないくらいに驚いた。横で赤司っちが悪戯っぽく笑っている。



「っな、な、な…なんスか、これ…」
「僕の誕生日会兼、僕と涼太の結婚式」
「…っはあ!?」
「誕生日に涼太にプロポーズするって話したら、テツヤが提案してくれたんだ。結婚式やろうって」
「ちょっと、主役がいつまで突っ立てるんですか」
「く、黒子っち…っ」
「黄瀬くんには何もないんですけど、赤司くんはこれどうぞ」



いつものように冷静な口調で黒子っちは言って、赤司っちの頭に金色のティアラを乗せた。バラエティショップで売っているような、プラスチック製のちゃちなものだ。
だけどそんなティアラが、やけに輝いて見えてしまうくらい、今の俺は動揺しているらしい。
(だって、だって、こんな風に誰かに、祝福してもらえるなんて。)



「なんだい?これ」
「新婦なわけですから、少しはそれっぽく、と思いまして。桃井さんのアイディアですよ」
「かわいいよ赤司くん、似合ってる!」
「さつきが用意してくれたなら外せないな…」
「きーちゃん、ほらほら真ん中座って?」



桃っちに腕を引かれるまま、ソファの中心に腰を掛けた。まだ状況を完全に把握しきれていない俺に、冷たい声が振ってくる。独特の口調、緑間っちだ。



「…一応、おめでとうと言ってやるのだよ」
「良かったな、黄瀬。お前中学の頃から赤司にべったりだったもんな」
「黄瀬ちん、ちょっとケーキ分けてあげる。特別だからねー」



緑間っちだけじゃなくて、料理やケーキをガツガツと食べていた青峰っちと紫原っちも、それぞれに祝福の言葉を言ってくれた。
なんの違和感もなく、まるでそれが当然だと言うように。
俺がずっと、春からずっと躊躇っていた願いを、当たり前のように肯定して、祝福してくれる。(夢のようだと、思った。)



「…涼太?どうしたの、ぼーっとして」
「だ、だって…びっくり、して」
「ちゃんと笑って。お前は新郎なんだぞ、ほら」



赤司っちの指が、まっすぐ伸びてくる。そして俺の頬を優しく撫でてくれた。
この指を繋ぐこと、そうしたいと願うこと。もしかしたら赤司っちは、そんな俺の気持ちを見透かしていたのかも知れない。だからこんな風に自然に受け入れてくれたのかも知れない。
小首を傾げながら天使みたいに笑っている赤司っちを見たら、堪らなくなってしまって。頬を撫でる手を絡め取ってそのまま抱きしめた。さっき、俺の部屋でそうしたように。



「っちょ、りょーた…っみんな、見て」
「ごめ…ちょっと、抱きしめてていい?ってか、そうさせて」
「…仕方がないな」



とくとくと、触れあった部分から赤司っちの鼓動が伝わってくる。溢れ出る幸福を細胞に留めるように、俺はぎゅうぎゅうと彼を抱きしめる。
そうしないと泣きだしてしまいそうだったから。



「ありがとう、赤司っち」
「それを言うなら僕じゃないだろう、敦なんて、秋田からわざわざ来てくれたんだぞ?」
「別にいいよ、ケーキおいしいしー」
「こっちのピザもすげーうまいぞ」
「もう、大ちゃんもむっくんも食べてばっかりなんだからっ」
「黄瀬、いい加減赤司を離すのだよ…!」
「というか誓いのキスはまだですか。僕さっきからずっとデジカメ構えてるんですけど。ケーキ食べたいんですけど」


黒子っちの言葉に煽られたわけじゃないけど、とてもとてもキスがしたくなったから。
最愛の彼を抱きしめている腕を緩めて、至近距離で見つめ合う。
艶消しを施した銀の指輪と、プラスチックのちゃちなティアラと、賑やかな笑顔。紙切れ一枚で交わされる契りよりも、ずっとずっと強く、繋がっている気がした。



「僕は、大好きだよ、涼太」



(この言葉があれば、他の何も欲しくはないから。)
願わくは、とろけるようなその笑顔を、ずっと隣で見守らせて下さい。
俺の、神様。











◆◆◆
春から12月まで…キセリョが悩みすぎな件。




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