「好きすぎて俺、バカみたいだ」
※帝光。
あれは確か、俺が一軍のレギュラーに入ってすこし経った頃だったと思う。
「先輩のカラダ、めちゃくちゃ俺好みだったっス」
「どうせ誰にでも言ってるんでしょ」
「そんなわけないじゃないっスか」
「っふふ、じゃあまたね?涼太くん」
ばいばい、と手を振って、ひと気のない昼休みの視聴覚室を後にする。
校内でもトップクラスの美人の先輩に言った『好みだ』という言葉は、100%の嘘というわけでもなかった。
(色白だったし、痩せすぎてなかったし、うるさい注文もしてこなかったし。)
でもまあ、それだけのことだ。多分俺は、今日の放課後には彼女の顔も忘れている。そして明日はきっと、別の女の子を抱いている。簡単な話だ。
「涼太、」
「え……あ、赤司っち?」
後ろから声を掛けられて振り向くと、そこには目にも鮮やかな赤色があった。
こんなところで赤司っちと会うなんて、と驚いたのも確かだったけれど、それ以上に俺は焦っていた。(やばい、さっきの会話、聞かれてたかも。)
じわ、と背中に嫌な汗が浮かぶのを感じる。このいかにも頭の硬そうな主将様にあんなところ見られたら、タダじゃ済まないだろうと思ったから。
「さっきのは、恋人?」
(…ほら、来た。)
俺を見上げる赤と金の瞳も、呟く声も冷たすぎるくらいで、俺は何も言えなくなってしまう。
どうせ全て、わかっている癖に。と心の中で文句を言うと、彼は大袈裟に溜息を吐いた。
「…なわけ、ないよな。悪いけど会話が聞こえたよ」
「す…すんません、っス」
「いつもあんなことしてるの」
「いつもっていうか…まあ、誘われれば」
素直に白状すると(怖くて嘘なんて吐けなかった)、赤司っちは小さく頷いてみせた。相変わらず冷たい瞳のまま。
蛇に睨まれた蛙の気分で、俺は右手で髪を掻きむしる。早くチャイム鳴ってくれ、と心の中で殆ど祈りながら。
「お前の恋愛に首を突っ込むつもりはないが、少しは自覚しろ。お前はうちのレギュラーなんだぞ」
「…はいっス」
「芸能活動のこともあるし、ストレスがあるのはわかるけどな。もし不祥事でもあったら…」
つらつらと並べたてられる、お決まりの言葉。予想通りのお説教。大人しく聞いていたけど、少しずつ苛立ちが生まれてきた。
(なんで俺、こんな怒られてんの?俺の親でもなければセンセーでもないのに。同い年なのに。主将ってそんな偉いわけ?)
初めの頃は律儀に打っていた相槌も、苛立ちが募るにつれて疎かになっていく。それに気づいた赤司っちが、聞いているのかと声を荒げた直後、俺はこう言った。
「わかった、ごめん、これからは気をつける」
「…本当だろうな」
「うん、でもその代わりに」
「?」
「赤司っちが俺と遊んでよ。相手が赤司っちだったら、問題が起きる心配ないでしょ?」
(なーんて、ね。)
俺は思い切り意地悪い顔で笑った。勿論、心の中だけの話だ。まるで出まかせの冗談を言いながら、顔ではちゃんと反省した表情を作っている。
さあ一体、頭の硬い主将様はどんな反応してくれるだろう。真っ赤になったり焦ったり、面白い反応を見せてくれたら、この苛立ちもちょっとは軽くなるんだけどな。
1、2、3、4、5。だけど、たっぷり5秒間の沈黙の後、彼が呟いたのは想像とはまるで違う言葉だった。
「ああ、構わないが」
冷たい目と、冷たい声。
氷みたいな彼があんまりきっぱりとそう言ったもんだから、今更冗談だなんて言えるわけがない。
キンコンカンコン、キンコンカンコン。ようやく鳴ってくれたチャイムの音をやたらと遠くに感じながら、俺と赤司っちの、肉体関係を含んだ友情は始まった。
(さっきまで感じていたどうしようもない苛立ちは、何故か、跡形もなく消えていた。)
あれからまた数ヶ月が経った今も、俺と赤司っちの肉体関係を含んだ友情は続いている。
赤司っちが俺に出した条件は一つだけだった。「部活に支障をきたさないこと」。それさえ守っていれば、俺の部屋は勿論保健室や屋上やトイレでだって、彼は俺に体を開いてくれた。
「っふ、ぁ…っぁん、あ…っ!」
例えば、今は授業中、場所はしんと静まった部室。こんな状況でも、赤司っちは嫌がらなかった。あの時みたいに冷たい目で俺を見て、だけど柔らかく笑いながらいいよと言った。
立ったままロッカーに手をつかせて、背中から覆いかぶさるようにナカをじゅくじゅくと犯す。その度に締めつけられる感触が心地よくて、堪らず吐息を零してしまう。
「やっあ、あ、りょ、たぁ…っ」
女の子関係はそりゃ派手だったけれど、男を抱いたのは赤司っちが初めてで。
ただ頭が堅いだけだと思っていた主将様の体は、びっくりするほど甘美な味がした。(俺と相性が良かっただけかも知れないけど。)
抱きしめても柔らかくないし前戯は面倒だけど、粘膜に包まれるような感触は格別だし、妊娠する心配もない。
それに何より、普段あれだけストイックな赤司っちが、快楽でぐちゃぐちゃになるのを見るのは堪らなく興奮した。
声だって同じだ。切羽詰まったような、だけど綺麗なあの声に「りょうたぁ」なんて呼ばれたら、理性なんて少しも機能しなくなる。
赤司っちは俺みたいに遊んでる感じないし、こんな姿を知っているのは俺だけだって思うと、自分でも信じられないような独占欲が――――
「…ッ、りょ、た?」
……独占欲?
って、なにそれ。
「っん、どした、の、はやく…っ」
ロッカーに手をついた赤司っちがこっちを振り返り、もどかしそうに腰を揺らす。だけど俺は動けなかった。白い腰を掴んでいる手がじっとりと汗ばむ。
(俺、今なに考えた?独占欲?はぁ?なんだよそれ。)
俺と赤司っちは、肉体関係を含んだオトモダチ、ぶっちゃけセフレ、彼は主将としての責任から俺に体を開いてくれているだけであって。
別に、俺が好きとか、そんなわけないのに。
それなのに、俺は、あんたを、この体を、独占したいなんて考えている。
「……ッ」
意味、わかんねえ。
「ひっぁあ!あ、っちょ、りょーた…っつよい…っ」
「赤司っち、もっと鳴いてよ、もっと名前呼んで」
「や、だめ…っん、あ、あっ」
「外に聞こえるくらい、もっと」
ぐるぐる回る、意味のわからない感情。それを振り払うように、ひたすら激しく彼を抱いた。
小さな体に、俺を刻みつけるように。
俺が執着しているのは、彼を抱いているこの感触だけだと、自分に言い聞かせるように。
その日の昼休みは、バスケ部のみんなとご飯を食べることになっていた。
食堂の窓際、いつものテーブル席、見慣れたカラフルな風景。俺はぼーっと、その中に当然のように溶け込んでいる赤色を見ていた。
午前中俺とあんな激しいセックスをしていた癖に、赤司っちはいつも通りで。そのことがどうしてこんなに哀しいのか、俺にはさっぱり理解出来なかった。
「黄瀬くん、食べないんですか」
「っえ?いや、うん、食べるっスよ」
具合でも悪いんですか?と聞いてくれる黒子っちの声に被さるように、赤司っちの声が耳に飛び込んできた。
嫌になる。本当に嫌になる。こんなに騒がしい中でも、耳が勝手に探してしまう。美しく澄んだ、女神様みたいに堂々としたあの声を。
「…大輝、流石におかわり3杯は食べ過ぎじゃないか」
「このくらい食わねえと部活までもたねーの」
「午後の授業、寝るんじゃないぞ」
「それは約束出来ねえけど」
「こら、敦、またこぼしてる」
「あ、赤ちんごめーん。お箸って苦手なんだよね」
「まったく…ほら、フォーク使え」
「ありがとー。赤ちん、気ぃ効くね」
青峰っちや紫原っちに、まるで母親か妻のように接している姿から、思わず眼を逸らしてしまった。見たくなかった。
(赤司っちは気が効くし、面倒見がいい。厳しい人だけど、レギュラーメンバーには基本的に優しい。)
誰に対しても、そうなのだ。俺が特別じゃない。俺とこういう関係になったのも、飽くまで俺がバスケ部で、レギュラーになったばかりだったからで、特別ってわけじゃない。
そんなことわかりきってるのに、どうしてこんなに寂しいんだろう。
「赤司、そういうお前こそ、ご飯粒がついてるのだよ」
「え?本当か」
「とってやるからじっとしてろ」
「ん…ありがと、真太郎」
赤司っちがこてんと首を傾げて、隣に座っている緑間っちの指が赤司っちに伸びていく。
次第に、二人の距離が狭まっていって、テーピングをした指が赤司っちの唇に触れようとする。
嫌だ、と思った。
「…っ駄目!」
本能的に嫌だと思って、本能的に声を張り上げていた。
俺の声はそりゃあ大きな声で、同じテーブルにいたみんなは勿論、周囲で昼食をとっていた顔も知らない奴らの視線も俺に注がれる。
黒子っちが冷静に、どうしたんですか、と言ってくれたお陰で、俺は我に帰ることが出来た。
(何、言ってるんだろう、俺は。)
「い、いや…っその、」
「何が駄目、なのだよ」
「その…そ、そんなに近づかなくても、いいんじゃないスか、とか…」
「は?」
「…っも、俺、ごはんいらないっス、じゃっ!」
「おい、黄瀬っ」
緑間っちの質問に耐えられなくて、しどろもどろになっている自分が情けなくて、逃げるようにテーブルから離れた。
昼休みで賑わっている廊下を夢中で走って、気が付いたら懐かしい視聴覚室の前にいた。
『ああ、構わないが』
今でも、鼓膜にくっきりと染みついている。きっぱりとしたあの声、あの言葉。あんな風に他人に受け止めてもらえたのは、今まで生きてきて初めてだったような気がした。
「……っあー」
赤司っちが「りょうた」と甘く呼んでくれるあの唇に、他人の指が触れることがこんなに不愉快だなんて。
末期的だな、と俺は小さく自嘲した。気付いた時には失恋、だなんて、陳腐すぎて泣くことも出来ない。
(認める以外に、方法はない。独占したいと思ったこと、俺以外が触れるのは嫌だと思ったこと。この気持ちは、つまり、)
「…涼太!」
あの日みたいに、後ろから名前を呼ばれて。振り返れば、愛しい愛しい赤色がいた。
この関係が始まったあの日とまるで同じ情景に、否応なく胸が軋む。どうしようもない。
(この気持ちは、つまり。あんたに、どうしようもなく恋をしている、ということ。)
「どうしたんだ、いきなり…」
「っ来ないで欲しいっス!」
「え、」
「それ以上、近寄らないで、だって……」
一度は振り返ったけど、すぐに赤司っちに背中を向ける。こんな顔は見せられないと思った。
だって、情けないよ。かっこわるいよ。見られたくないよ。こんな、あんたに溺れてどうしようもない、なんて顔。
赤司っちの気持ちなんて、わかりきっているのに。
「俺、馬鹿みたいなんスもん…」
「…涼太?」
「赤司っちが俺のこと、セフレとしか見てないなんてわかってるのに、それなのに、」
唇が震える。声が掠れる。あんたが好き。もうどうしようもない。
頭の片隅で、早くチャイム鳴って、昼休みなんて終わって、と縋るように祈った。
そう、まるで、あの日のように。
「赤司っちのこと好きすぎて、俺、馬鹿みたいっスわ…」
俺の情けない告白の語尾に被せるように、キンコンカンコンキンコンカンコン、チャイムが鳴った。
遅いんだよ馬鹿!と心の中で叱咤する俺、窓の向こうから聞こえてくる生徒の足音、黙ったままの赤司っち。
これ以上は無理だ、と頭より先に体が反応して、脚が勝手に動き出していた。この場から逃げるように。
でも。
「待って、言い逃げは卑怯だろ」
呆れるほどに彼らしいきっぱりとした声で言って、背中に抱きついてきてくれたのは世界で一番愛しい赤司っちだった。
まさか抱きつかれるとか思わなかったから、びくんと肩が大袈裟に跳ねる。そんな俺を見て赤司っちはおかしそうに笑う。(ああ、マジで情けないな。)
「…本当に、涼太は馬鹿だね」
「わ、わかってるっスよ…っ」
「僕は、お前をセフレだなんて思ったことは一度もないのに」
「え…?」
(それ、どういう意味?)
赤司っちの顔を見ようと頑張って首を後ろに曲げても、俺のセーターに顔を埋めている彼の表情を見ることは叶わない。
その体勢のまま、赤司っちはなおも言葉を続ける。そして俺は思った。きっと俺は、抱いている時の表情とかじゃなくて、彼のこの声に惹かれたのだと。
『ああ、構わないが』
思い出しただけで胸があたたかくなるなんて、ほんと、馬鹿みたいだ。
「女遊びをやめろって言ったのだって、やきもちみたいなものだったんだよ」
「…っは?え、なにそれ、どういうこと」
「今思えば、僕も馬鹿だったよね。涼太の誘いが嬉しくて、ついこういう関係になっちゃったけど」
「ちょ、俺の話も聞いて欲しいんスけど」
「つまり、僕も一緒ってことさ」
赤司っちは抱きついていた腕を離して俺の体を反転させる。つまり正面から向き合っている体勢。
そのまままっすぐに俺を見上げながら、悪戯っぽい顔で笑ってくれた。
心臓がどきどきした。「僕も一緒」なんて思わせぶりなことを言った唇から次に零れる言葉が、待ち遠しくて、でも怖くて。
(ああ、でもやっぱり、)聞きたいよ、俺が溺れたあんたのその声で。そして、出来ることなら。
「涼太が好きすぎて、僕も馬鹿みたいだ」
出来ることなら、そのまま俺にくちづけて。
(恋人同士になって初めての、甘くて深いくちづけを。)
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